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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第53話:屋根の上の観光


剣を支点に、鎖がしなり、ふたりの体が大きく宙を舞う。

屋根の上を渡り、通りの上空を抜け、陽光の中を滑るように飛んだ。


「きゃああああああっ!! アークーーー!!」

「おう! 返事が元気でなにより!!」


笑い声と悲鳴が混ざる。

風が強く吹き抜け、金の髪が後ろになびく。

リュリシアは恐る恐る目を開け、思わず息をのんだ。


眼下には、街が一望できた。

赤茶の屋根がどこまでも続き、遠くでは市場の人々が豆粒みたいに見える。


「すごい……! こんなに綺麗な街だったなんて!」

「おう。高いところから見ると、なんでもちょっとマシに見えんだ」

「ふふっ、そういうこと言う人、初めて!」


笑う彼女の声が、風の音に溶けた。

俺はその横顔を見ながら、心の中で思う。


(……こういう顔、屋敷の中じゃ見れねぇんだろうなぁ)


鎖を引き戻し、次の屋根に軽やかに着地する。

風が二人の間をすり抜け、心地よい熱だけを残した。


「……よし、あと三軒飛んだら市場の通りだ」

「えっ!? ま、まだ飛ぶの!?」

「当たり前だ、観光は始まったばっかだぞ!」


「もう! ほんっとに無茶苦茶なんだから!」

リュリシアは呆れたように言いながら――それでも、笑っていた。


再び跳躍。

陽光の粒が二人の影を追いかけるように流れていく。


街の鐘が鳴った。

風に乗って、屋根の上の旅が続いていく。


街の鐘が鳴り終えるころ、俺たちはちょうど市場通りの上にいた。

下からはパンを焼く香ばしい匂い、果物の甘い香り、そして人々の声が溢れてくる。


「……おっ、あそこだな」

屋根の縁に足をかけ、リュリシアを軽く抱き直す。

「ちょ、まさか――」

「行くぞ!」

「きゃああああっ!?」


軽い着地音と同時に、通りの真ん中へ。

突然現れた俺たちに、周囲の人々が「お、おい!?」とどよめく。


「……あはは! ほんとに飛び降りた!」

リュリシアは息を弾ませながら笑った。

頬は風のせいか、ほんのり赤い。


「お、お嬢様!?」

屋台の奥から、慌てた声が飛んでくる。

「今の、まさか――あのリュリシア様じゃ!?」

「うわ、ほんとだ! 王家の……!」

一気にざわめきが広がった。


「……やべ」

「アーク、どうするの?」

「どうするって……“観光”だろ? 堂々と見て回る!腹減ったし!」


「開き直った!?」

リュリシアは吹き出し、口元を手で隠した。

「ふふっ、もう……あなたって本当に予想がつかないわね」


「ほら、次はどこだ。お前が見たいって言ってた“市場の鐘”ってのは?」

「うん、あの先! 塔の上から見ると、街全体が見えるの!」

「おっし!…でもその前に腹ごしらえだな。あそこの屋台、うまそうだ」


香ばしい匂いに釣られて足が止まる。

焼き串、果実酒、焼きたてのパン。

リュリシアも目を輝かせて「これ!」と指を伸ばした。


「おぉ、王族のくせに屋台メシいける口か」

「王族だってお腹は空くのよ!」

「じゃあおごりだ、姫様」


「おごり?」

「さっきの“観光代”。今度は俺の礼だ」


小さな木皿を受け取り、二人で並んで腰を下ろす。

パンの湯気がふわりと上がり、噛むたびにほんのり甘い。

リュリシアが頬を膨らませながら笑う。


「こんなにおいしいのに、どうして屋敷では食べられないのかしら」

「知らねぇな。外の空気で食うからじゃねぇか?」

「それ、ちょっとわかるかも」


二人でパンを頬張りながら喉をつまらせ背中をたたき合い楽しく飯を食った。


陽光の下、彼女の笑顔はどこまでも自然で――

その穏やかな時間を、唐突な怒声がぶち壊した。


「見つけたぞ!!、アーク!!!!!」


(……うわ、タイミング悪っ)


振り向くと、通りの向こうから重い足音。

地面を叩き割りそうな振動が伝わる。


エレナを先頭に、鎧姿の兵が三人、まっすぐこちらに向かってくる。

周囲の人々がざわつき、店主まで引いている。


「……なぁ、なんかすごい数じゃね?」

「“ちょっと見て回るだけ”の人を探す人数じゃないわね」

リュリシアがくすっと笑いながらも、汗がこめかみを伝う。


エレナの声が響いた。

「リュリシア様を勝手に連れ出し!、屋根を跳び回った挙げ句!!、市場で屋台飯とはどういう了見だぁああ!!!」


「いや、その、…観光で」

「言い訳無用!!」


地響きのような怒気。

周りの屋台主たちが一斉に逃げる。

リュリシアは慌てて間に入った。


「ま、待ってエレナ! 私がお願いしたの!」

「だとしても! 護衛の許可なく行動するなど!」

「……お、おいエレナ。せっかくなら串食ってけよ? うまいぞ」

「黙れぇぇぇっ!!!」


剣の鞘が地面を打つ音…兵たちの表情が凍りついた。

屋台の串が風に飛び、俺は乾いた笑いをこぼす。


「……あー、こりゃマジで殺られるやつだな」

「逃げる?」

「…逃げる」


次の瞬間、俺たちはまた走り出していた。

人混みの中を抜け、笑い声と怒号が交じる市場を駆け抜ける。


「追えぇエエエ!!逃がすなぁアアアア!!!!」


怒声が後ろから崩れ落ちるように追いかけてくる。

屋台の間を縫い、汗ばんだ人混みをかき分けて走ると、木の皿や果物が飛び散り、香ばしい匂いが一層濃くなる。


「おい、そこの店! すまん! 通るぞ!」

「お嬢様!? お気をつけて!?」


リュリシアを抱えた腕から伝わる軽さと体温に、妙に安心する…変な意味じゃなく懐かしい…そう、懐かしい感じだ…。


一瞬の記憶の回帰は、後ろの金属音で引き戻された。

その音が近づくたびに、胸の鼓動は早くなる。


前方でアイリス(明るい方)が慌てて手を振る。

「こっち! あの路地を抜ければ――!」

「お!味方じゃん!サンキュー!」


瞬時に判断して、屋台と屋台の狭い間を斜めに切った。足元で小石が跳ね、リュリシアのスカートがふわりと揺れる。

「おととととと!?」

「アーク、ちょっと危ないわよ!」

「仕方ねぇだろ!今捕まてみろ、あの勢いじゃ俺の首が飛ぶ!!」


リュリシアは小さな悲鳴をあげつつ笑っている。

どこまでも無邪気だ。その笑顔だけで、追手の怒気が少し遠ざかる気がした。


路地を抜けると、視界が開けて小さな広場に出た。中央には噴水があり、水しぶきが陽を受けて細かい虹を作っている。

だが追手の数は変わらず増えているように見えた。


「向こうの屋根伝いに行けるか?」

リュリシアが息を切らしながら首をかしげる。

「おっし!飛ぶぞ!」


例の如く剣を構え、鎖を引く。

剣先が軽く刺さる建物の壁に鎖が引っ掛かる。

リュリシアを抱えたまま、二人は一気に跳躍。

屋根と屋根の狭い距離を繋ぎ、風を切って飛ぶ――歓声がまたリュリシアの口から漏れる。


下の兵が屋根の上を見上げ、怒鳴る。

だが屋根の上は滑りやすく、追うのは容易ではない。

俺は屋根の縁で足を踏み替え、次の屋根へと飛び移る。リュリシアは腕にしがみつきながらも、目を輝かせていた。


「アーク、すごい! 怖くないの?」

「怖ぇよ!」


屋根伝いの移動は、市場の喧騒を別世界に変える。だが街角の一人の老職人がふと指差し、声を上げる。


「あの若造、前にも見たぞ。――チャチャチャだ!」


その声が伝播すると、群衆の視線は再び二人へ集中する。噂は噂を呼び、追手の士気が上がる。

エレナは歯噛みして屋根の端を見上げた。兵たちに命じ、屋根の通行を塞がせる。


「そこまでだ!!!!」


だが俺も簡単に止まらない。

屋根の端で反転し、次の場所へと勢いよく飛ぶ。

屋根から垂れ下がる洗濯物が二人の通過を祝うかのように舞った。


着地してすぐ、周りを見渡す。

塔のある広場への近道が視界に入った。塔の上なら一時的にでも見失えるかもしれない。


「そっちだ! 塔へ行くぞ!」

リュリシアは頷き、息を整えながらも顔にはまだ微かな笑みが残る。


最後の跳躍をして、狭い路地を抜け――市場の喧騒と怒号から、ほんの少しだけ隔絶された場所へ滑り落ちるように着地した。

背後では騒ぎが続いている。


深い息を一つつき、リュリシアの額に軽く触れる。


「よし…ちょっと休め。次は塔の上…。でゆっくり、飯に、しようぜ!。…はぁはぁはぁ」


リュリシアは息を吐いて、ふっと笑った。

「うん、楽しみ!。アーク!、ありがとう!!」

「はぁ……はぁ……俺、こんなに全力で走ったの、戦場でもねぇぞ……」


「ふふっ……観光って、こんなに命がけなのね」

「お前が王族じゃなきゃ、もう少し楽だったと思うけどな」


リュリシアが頬を膨らませ、わざと腕で小突く。

その仕草が、なんだか普通の娘みたいで――少し可笑しかった。


塔の上から、午後の光が街に差していた。

風が二人の髪を撫でて、さっきまでの怒号も届かない。


静かな呼吸の音だけが残る。

そしてリュリシアが小さく呟いた。


「ねぇ、アーク。……また一緒に来てくれる?」

「もちろん。次はもうちょい穏やかにな」


そう言って笑い合う。

風が再び吹き抜け、遠くの鐘が小さく鳴った。


――ああ、こういうのも悪くねぇかもな。

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