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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第52話:硝星工房と屋根の上の風


午前の光が街路を照らすころ、馬車は屋敷を出た。

石畳を滑るように進む車輪の音が、まだ静かな城下町に響く。


「思ってたより人が多いな……」

窓の外を見ながら呟くと、隣のアイリスが明るく笑った。

「今日は市場の日ですから! 北通りは朝から賑やかなんです♪」


リュリシアは向かいで軽く微笑む。

「工房はその先よ。確か川沿いに、小さな煙突が見えるはず」

「硝星工房、だっけか?」

「ええ。色硝子の細工ではこの地方で一番。……少し変わった職人だけど、腕は確かよ」


エレナは黙っていた。

膝の上に置いた包み――砕けた硝子を包んだハンカチを、無意識に指でなぞっている。

その視線の落とし方に、どこか昨日までの鋭さがなかった。


「なぁ、エレナ」

「……なんだ」

「そんな顔すんな。割れたのは“思い出のほう”じゃなくて、“形”だけだ」


彼女は一瞬、目を見開き――それから、ほんの少しだけ笑った。

「……お前は、そういうことをさらっと言うな」

「才能だな、惚れてもいいぜ?」

「っふ…バカを言え」


馬車の外で、川風が旗をはためかせる。

やがて、硝子を溶かす独特の匂いが風に混ざった。

リュリシアが指先で前を指す。

「見えてきたわ。あそこ――煙突のある小さな建物」


陽光を反射して、青と緑の破片が工房の窓に吊るされていた。

それはまるで、光そのものを編み上げたような輝きだった。


――硝星工房。


中は思ったより広く、炉の奥で赤い炎が静かに揺れていた。

棚には大小の硝子細工が並び、光を受けて壁一面に虹を散らしている。

年配の職人がルーペを外し、こちらを振り返った。


「……ほぅ、珍しい顔ぶれだな。お嬢様方と――おぉ! 噂の“チャチャチャ”の旅人じゃないか!」

「なんかやだなその呼び名……てか俺のこと知ってるのか?」

「わしもあんたに、稼がせてもらった口でな。へっへっへ。それで、今日はどんな用件で?」

「はい、少し硝子を見てもらいたいの」


リュリシアが差し出すと、職人は丁寧に包みを受け取り、光にかざした。


「……直せないこともないが、綺麗に砕けてるな」

「ほう? つまり?」


職人は欠片の形を一つずつ確かめ、ゆっくりと息を吐いた。

「繋ぐだけなら三日だ。ただ――今は炉が詰まっててな。

 火を空けられるのは、一週間後になる」


「一週間後か」

「それからさらに三日。火を通して硝子が“呼吸”を取り戻すまで待ってもらう」


職人の言葉に眉を上げた。

「そんなにかかるもんか?」

「時間をかけねぇと、光が落ち着かんのさ」


職人は破片を掌で転がし、淡く笑う。

「砕けた硝子は、一度死ぬ。

 もう一度“生きる”には、火と――持ち主の手の温もりが要る」


「持ち主の、手?」

「預けるのも、お前さんの手。受け取るのも、お前さんの手。

 それでようやく、光が戻るんだ」


沈黙。炉の音だけが、ぽうっと響く。

俺は小さく肩をすくめた。

「……ずいぶん手のかかるやつだな」

「割れたもんてのは、どれもそうだよ。

 急いで直そうとすりゃ、余計にひびが広がる」


職人は破片を包み直し、棚の奥にそっと置いた。

「一週間後に、また来な。

 その頃には、火も、お前の心も、いい温度になってるだろう」


俺は苦笑しながら頷いた。

「そうか……そうだな。よろしく頼む」


職人と固く握手して、俺たちは外に出た。

川風が少し強くなり、街路の旗がぱたぱたと音を立てる。


「……いい人だったな」

そう告げると、リュリシアが囁くように微笑んだ。

「でしょ?私も火の匂い好きなの。なんだか、心が落ち着くのよ」


セラが後ろで控えめに言う。

「ですが、そろそろ戻りましょう。昼までに城からの使いが」

「うん……でも、せっかく外に出たのよ?」

リュリシアは小首をかしげる。

「少しだけ、この街を案内したいわ。ね?アーク」


その声音は、ほんの少し甘えるようで。

周囲の護衛たちが顔を見合わせた。

「お嬢様、それは――」

「だめです」

「危険です」

口々に反対の声が上がる。


俺はしばらく黙っていたが、リュリシアと目が合う。

頼むような、それでいて子供みたいにまっすぐな瞳。


……はぁ。 、工房まで連れてきてくれたしな‥。


「……ったく、しゃーねぇな」


その瞬間、リュリシアの表情がぱっと明るくなる。

「えっ、本当に?」

「紹介してもらった礼だ。――で、街を見たいんだな?」

「え、ええ。でも皆が――」

「じゃあ、こうしよう」


言うが早いか、俺は彼女の腰を軽く抱え上げた。


「きゃっ!? ア、アーク!?」

「じゃ、悪ぃ。言い訳よろしく!」


腰の剣を抜き放ち、近くの建物に狙いを定めトリガーを引く。

次の瞬間、剣の先が放たれ、壁に突き刺さった。


「待てアーク!?貴様何を!?」

「ちょっ、お嬢様!?」

「アーク様!? なにする気ですか!?」

背後でエレナとセラ、アイリスの声が重なる。


だがもう遅い。

再びトリガーを引くと、鎖が引き寄せる力で俺たちは空へと上がった。

リュリシアを片腕に抱えたまま、風を裂き、屋根の上に着地する。


「アーク!! 貴様何を考えている!!」

「言ったろ、ちょっと見て回るだけだ!」

「馬鹿者!! 今すぐ降りてこい!!」


下からおっかない怒号が上がる。

俺は片手を振って叫んだ。


「悪ぃな! 夜までには戻るから! よし行くぞ!」


リュリシアは驚きの中で、それでも笑っていた。

風に舞う金の髪が、陽を反射してまぶしい。


屋根の上を駆け抜けながら、俺は思わず笑った。

――風が気持ちよかった。

しばらくぶりに、戦いだけじゃなく、この世界を“旅してる”気がした。


ーーーーーーーーー屋根の上


建物の上を風が駆け抜ける。

足元で瓦がカン、カン、と心地よい音を立てた。


リュリシアを片腕で抱えたまま、俺は軽々と跳ぶ。

城下町の通りがあっという間に遠ざかっていく。

風が頬を切るように強く、けど、それが妙に気持ちよかった。


「わ、わっ――すごい! 本当に飛んでるみたい!」

「だろ? ちょっとしたお嬢様の空中散歩だ!」

「お嬢様って、こんな乱暴に運ばれないと思うけどっ!」

「細けぇこと言うな。俺なりの礼だよ!」


「礼……?」

リュリシアが不思議そうに見上げる。

風に乱れた金の髪が陽を受けて輝いていた。


「硝子だよ! 正直、泣きそうだった!」

思わず声が大きくなる。

風がそのままそれをさらっていく。


「でも、お前があの工房の話してくれたろ? あれでちょっと救われた!」

「……アーク」

「だから礼だ! ありがとな!」


リュリシアが驚いたように瞬きをしたあと、ふっと柔らかく笑った。

風の中で、その笑みは陽光よりも眩しく見えた。


「もう!……そんなことのために、こんな無茶を?」

「無茶? 違ぇよ、これは“観光”だ!」

「観光って……!」

「せっかくだし、街でも案内してくれよ。お前が好きな場所、見てみてぇ」


リュリシアは一瞬、言葉を失ったように見えた。

けれど次の瞬間、風に髪をなびかせながら笑った。


「……そうね。じゃあ、あの広場! 市場の鐘が見えるところ!」

「よっしゃ、了解! 姫様のご希望とあらば全力で!」


「ちょ、ちょっと!? 本気で跳ぶ――きゃああああああっ!」

「ひゃっほぉおおおおう!」


風が二人を包み、笑い声が空へ吸い込まれていく。

陽光の中、青い屋根の列を越えて――

二つの影が、城下の市場へと消えていった。

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