表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
51/57

第50話:騎士の稽古と消えた流派


朝の光が、屋敷の白壁をゆるやかに照らしていた。

昨日と同じ門が、今度は“客”ではなく“滞在者”としての俺を迎え入れる。


鉄の格子が静かに開き、

街の喧噪が遠ざかると、風の音まで澄んで聞こえた。


「本日よりこちらに滞在してもらう」

エレナの声はいつものように抑えられている。

「まずは部屋の案内を――」


その後ろから、落ち着いた声が割り込んだ。

「ご案内は私がいたします」


振り向くと、青いショートヘアのメイドが立っていた。

深い群青の瞳。整った仕草。

だが、どこか冷たい光を宿している。


「アイリスです。――こちらへどうぞ」


エレナがうなずく。

「彼女はこの屋敷の管理と来客対応を任されています。

 私は公爵への報告があるので、後ほど」


「了解」

軽く手を上げると、エレナは無言で去っていった。


廊下は静かで、足音が吸い込まれていく。

磨かれた床が陽を反射し、白い壁がわずかに青みを帯びて見えた。


「この屋敷、随分広いな。人の気配があんまねぇ」

「正式な使用人は私と、もう一人のセラだけです。

 他は近隣から日雇いで呼んでいます」


「へぇ、見た目のわりに静かな場所だな」

「……静けさを保つのも、仕事の一つです。

 それと――アドリアン様は信用できる者しかお側に置きませんので」

「へぇ〜、なるほどな」


淡々と答えたその横顔に、

一瞬だけ、強い光が宿った。

――睨まれた、気がした。


だが彼女は何事もなかったように前を向いたままだ。


(……気のせいか?)


アイリスが止まり、ドアの前で振り返る。

「こちらが本日からお使いいただく部屋です。

 掃除は一日おきに入りますので、お手数ですが散らかさぬよう」


「気をつけるよ」


「朝食は一階のホールで。昼は――」

アイリスが淡々と説明を続けるが、

その声音にはどこか距離を取るような冷たさがあった。


ドアを開けて中に入ると、整った部屋だった。

木の香りと、微かに花の匂いがする。


「……悪くないな」

「ありがとうございます」


軽く頭を下げたアイリスが去ろうとした時、

ふと足を止めて振り返った。


「――あなた、昨日の試合。見ていました」

「そうか」

「……立っていた、あのエレナ殿を相手に」


その一言を残し、彼女は静かに扉を閉めた。


残された部屋に、微かな違和感だけが残る。

(……妙だな。どこかで――)


思考の途中でノック音がした。

「アーク、いるか?」

エレナの声だ。


扉を開けると、彼女が腕を組んで立っていた。

「今日は公爵が外出中で予定がない。

 ……せっかくだ、裏の広場で少し付き合ってもらえるか?」

「また“確認”か?」

「そんなところだ。それに――お前の剣は荒すぎる」


その言葉には、わずかに教官めいた響きがあった。

エレナの瞳が淡く光る。

その真剣さに、俺は小さく息を吐いた。


「げ、まさか……訓練かよ」

「文句は受け付けない。来い」




裏庭の広場。

敷石の地面、囲む古木。噴水の音が静かに響く。

朝の陽が枝葉を透かし、地面に柔らかな光の模様を落としていた。


その光の中、二人の影が向かい合う。

エレナは長剣を抜き、背筋を伸ばす。

まるで一流の教官のような立ち姿だった。


「まず構えろ。剣を“持つ”んじゃない、“支える”んだ」

「さ、支える?」

「腕で振るな。足で立て。腰で押し出す」


言葉より先に動きが飛んできた。

金属音が鳴り、俺の剣が弾かれる。

「ちっ、容赦ねぇな!」

「戦場で容赦は死を招く」


その声には、一切の迷いがなかった。

何度目かの打ち合いのあと、剣を交えたままエレナが低く言う。


「……昨日、お前が立ち上がった理由。少しわかった気がする」

「へぇ、どんな?」

「“生きたい”と願う強さ。――剣士の原点だ」


その瞬間、風が吹き抜けた。

二人の髪が揺れ、陽光が刃に反射する。


少し離れた場所で、リュリシアがセラと共に立っていた。

「うふふ、早速仲良く出来てるのね」

「お嬢様、あの方、本当に冒険者なんでしょうか?」

「う〜ん?どうかしら?、私の知ってる冒険者ってもっと荒っぽいイメージだけど」


エレナの声が再び響く。

「構え直せ、アーク! まだ終わっていない!」

「へいへい!、了解!教官殿!」


剣と剣がぶつかり、金属音が再び響く。

屋敷の裏庭に、風と剣の音だけが鳴り続けた。


十合を超えたころには、腕が悲鳴を上げていた。

「っだぁー! もう無理! 降参!」

剣を投げるように地面へ突き立てた。


「情けない。これでよく私に勝てたな」

「はぁはぁはぁ!、ま、まぁな!」


エレナが小さく息を吐く。

「はぁ……剣は偶然では勝てん」

「そういう言い方が真面目すぎんだよ」


地面に腰を下ろし、息を整えた。

剣を膝に立てかけ、ふと笑う。

「いやぁ、こりゃだめだ。やっぱ俺には剣術なんて向かねぇ!」


「何を言っている。剣を握っている時点で、もう半分は剣士です」

「残りの半分が問題なんだよ……」


苦笑しながら、心の中で呟く。

(……“この世界の剣術体系”。どんなもんか、調べてみるか)


意識の奥で、光の粒が浮かび上がる。

頭の中の“辞書”を探るように、流派や技法の情報を引き出そうとする。

だが、そこには膨大な数の名前だけが並び、肝心の内容はぼやけていた。


(……チッ、やっぱり“経験値”が足りねぇのか)


そこでふと、口を開く。

「なぁ、エレナ。お前のその剣筋――どこの流派だ?」


一瞬、空気が変わった。

エレナの手が止まり、目が揺れる。

その表情が、ほんの少しだけ陰る。


「……聞いて、どうする」

「いや、参考までに。俺、ずるいからさ。弱点探して次は真っ当に勝とうと思って」


コールの軽口に、エレナは目を伏せて小さく笑った。

だがその笑みは、どこか寂しげだった。


「――“アストレア流”」

「聞いたことねぇな」

「当然です。今はもう、存在しませんから」


その声には、わずかな震えがあった。

コールが眉を上げる。

「……潰えた流派、ってやつか?」

「……その流派は元々私の師が作ったもの、裏切り者と呼ばれて処刑されました」


風が止んだ。

噴水の音だけが遠くで続いている。


「私は……その師を、自らの手で斬りました」


その言葉には感情がなかった。

まるで長年の“呪い”をなぞるような響き。


俺はその時ただ、彼女の持つ剣の刃先がわずかに震えているのを見た。


「だから、私はあなたに教えるんです。

 二度と、誰もそんな終わり方をしないように」


その目は強く、そして痛いほど真っすぐだった。

静かな朝の空気に、張り詰めた糸のような沈黙が落ちる。


「……そういうの、嫌いじゃねぇよ」

「……何がです」

「自分の痛みを、誰かのために使うやつ。…そういうあんたに惹かれたのかもな?」


一瞬、エレナの瞳が揺れた。

けれどすぐに顔をそむける。


「……相手を惑わす術は長けているな」

「生まれつきだ」


小さく息を吐いて、エレナは剣を収めた。

「今日はここまで。次は、もっと本気を出してもらいます」

「マジかよ……」


その背を見送りながら、頭をかいた。

――と、その視界の端。


木陰で、青い髪が一瞬光った。

あのメイド――アイリスがこちらを見ていた。

目が合った瞬間、彼女はすっと影の中へ消える。


(……やっぱ、気のせいじゃなかったな)


剣の訓練よりも、別の意味で息が詰まるような朝だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ