第49話:旅の寄り道
白い門が見えた。
陽光を受けて鈍く光る鉄の格子、その向こうには石造りの大邸宅が静かに構えている。
門の前に立つだけで、空気が変わった。
街の喧噪が、門の内側だけ切り取られているような静けさ。
「……あれが公爵の屋敷か」
「はい。アドリアン・アルトリウス公爵邸です」
エレナの声は変わらず淡々としている。
その横顔に、緊張と警戒が同居していた。
門番が二人、こちらを見て直立する。
エレナが名乗ると、すぐに門が開いた。
滑るような音とともに、鉄格子が左右に割れる。
白い石畳の道が、奥の館まで真っすぐに伸びていた。
窓枠や柱にまで彫刻が施され、無駄のない整然とした美しさ――
“力”ではなく“秩序”で築かれた屋敷だった。
中に一歩入った瞬間、空気の温度が違った。
風の匂いが澄んでいて、街の土埃が消える。
手入れの行き届いた庭木、並木の影、噴水の水音――
どれも整いすぎていて、逆に息が詰まりそうだった。
「落ち着かねぇ場所だ」
「慣れれば静かなものです」
「慣れたくねぇな、こんなとこ」
エレナがわずかに目を細めた。
「……無礼は慎んでください」
「はいはい、わきまえはありますとも」
屋敷の正面に着くと、重厚な扉が迎えた。
エレナが扉の前で立ち止まり、軽くノックする。
「エレナ・シルヴァ、アークをお連れしました」
「入りなさい」
中から響いた低い声に、空気が張りつめた。
エレナが扉を押し開ける。
中は広い。香木の匂いと、書類の乾いた紙の匂いが混じっている。
机の奥で、金に薄い銀の髪が交じるの男が顔を上げた。
瞳は年齢を感じさせない、底の見えない眼差し。
アドリアン・アルトリウス。
リュリシアの父であり、この領地を治める公爵。
壁際にはリュリシアが控えていた。
金の髪をゆるく結い、穏やかな笑みを浮かべている。
けれどその目は、静かに俺を計っていた。
「ようこそ、冒険者アーク殿」
アドリアンの声は落ち着いていた。
「そのままで構わんよ」
俺は気持ち頭を下げるふりをしたが、せっかくのお言葉に甘えそのままでいた。
アドリアンはゆっくり立ち上がり、窓の外に視線をやった。
「人は倒れるものだよ。兵も、王も、民も。
けれど――立ち上がる者は、そう多くはない」
窓から射す光が、彼の髪に淡く反射した。
静かな声だった。だがその穏やかさの奥には、長く重ねた年月の響きがあった。
「エレナから聞いている、君は彼女に“勝った”そうだね」
「試合には負けた、勝負では倒れなかった、ってだけだ。勝ったって言えるほどのもんでもねぇよ」
「……その言葉がすでに、君の強さを物語っている」
アドリアンは微笑みながら席を立つ。
「エレナは、油断も慢心もなかったと言っていた。
それでも君は、最後まで立っていた。
それは運や技ではなく――意志の力だ」
俺は肩をすくめる。
「意志だけで勝てるなら、誰も苦労しねぇさ」
「そうかもしれない。
でも、意志を失った者はどんな名剣を持っていても立ち上がることはできない」
アドリアンの声が柔らかくなった。
「……娘がね、こう言っていたよ。
“怖かったけど、不思議と安心した”って。
それは簡単な言葉だが、私にはとても意味のあるものだった」
彼はリュリシアの方に目を向ける。
リュリシアは少し頬を赤らめ、俯いた。
「私はね、君を試したわけではない。
ただ、あの子の感じた“安心”が何だったのか――それを確かめたかった」
「……で、答えは出たのか?」
「まだだよ」
アドリアンは穏やかに微笑んだ。
「だからこそ、もう少し傍で見てみたい。
――リュリシアの護衛として、ね」
「……護衛?、随分気軽に言うじゃねぇか」
「気軽ではないさ。君が引き受けてくれたら、それはこの家にとって大きな縁になる」
アドリアンの瞳がやわらかく光る。
その眼差しは、見透かすようでいて決して責めない。
「どうだろう、アーク。
君の旅路の途中に、少しの間――この家を寄り道にしてはくれないか」
沈黙。
部屋の時計が、ひとつ音を刻む。
俺は鼻で笑い、腕を組んだ。
「……人の懐に入るの、あんま得意じゃねぇんだがな」
「それでもいい。
君が“倒れなかった”理由を、あの子に見せてやってほしい」
リュリシアが一歩進み出て、静かに頭を下げた。
「お願いします、アークさん。……父の言葉は、私の願いでもあります」
アドリアンがやさしく笑った。
「報酬のことは、心配いらないよ」
正直そこが肝心だ…ここ最近懐は寒い。
俺は息を吐いて、苦笑する。
「……まったく、甘いな、公爵さん。…しかも、全部見透かされてる気がするぜ」
「歳の功…というやつだよ」
アドリアンは静かに椅子に戻り、
「ようこそ、我が家へ」
とだけ告げた。
「俺、受けるなんて言ったか?」
俺の言葉にアドリアンは優しい笑顔で答えた。
「目を見ればわかる」
「ったく、長居はゴメンだぜ」
屋敷を出ると、胸の奥に小さく残る感覚があった。
あの男の言葉が、なぜか耳の奥でまだ響いていた。
――
それから俺は船に戻った。念のため森を大きく迂回して。
「はぁ、疲れたぁ〜」
リュカが顔を上げ、尾を揺らす。
「あ、コール! お帰り! どうだった? あの騎士に呼ばれてたけど?」
俺は荷物を甲板に置き、軽く息をついた。
「公爵に会ってきた。……あの赤髪の騎士、エレナの案内でな。
それと、護衛の仕事を頼まれた」
「公爵!? って? 金持ちの? 本物の!?」
リュカが素で叫び、耳をぴんと立てる。
シアも目を瞬かせた。
「……それはまた、急なお話ですね。断れなかったのですか?」
「断っても多分、どのみち逃がしてくれねぇよ、しかもほれ」
俺は苦笑して、腰の袋から金貨の詰まった布を取り出した。
「優勝賞金の残りだとさ」
リュカが両手で受け取ると、思わず目を丸くする。
「ちょ、こんなに!?」
「これだけあれば、しばらくは食いつなげるだろ?」
「しばらくどころじゃねぇって! 、これほんとに全部渡していいのか?」
「あぁ、それとは別に給料もくれるらしい…しかも安くねえ」
シアは小さく首をかしげ、微笑んだ。
「……コール様の考えは、いつも突然ですから。けれど――信じます」
「せっかくの自由時間だ、お前らも楽しんどけ」
俺はそう言って、いつもの服がかかってる場所、そこの腰のホルスターから魔導銃を取り出した。
金属が陽にきらりと光る。
「面倒な場所に行くからな。……一応、準備はしておかねぇとな」
リュカが眉を寄せた。
「なぁ、あんまり無茶すんじゃねぇぞ? 公爵相手って、あぶねぇ…そういう意味でだろ?」
「俺が無茶しなかったことあるか?」
「ない!」
即答に、シアが思わず吹き出し、まったく…もう、とでも言いたげな顔をしている。
「……気をつけてくださいね」
シアが静かに言う。
「コール様お強いですが……戻らなければ意味がありません」
俺は軽く顎を上げた。
「わかってる。――じゃ、留守頼んだ」
二人の視線を背中に感じながら、甲板の縁に足をかける。
振り返らずに飛び降りた。
風が頬を撫で、どこか懐かしい匂いがした。
背後でリュカの声が聞こえる。
「……まったく、コールってほんとに自由だよね」
「ええ。でも……不思議と、いつも帰ってくる気がします」
シアの言葉に、風が優しく揺れた。
そして俺は再び、あの白い門へと歩き出した。




