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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第48話:路地の影、騎士との再会


路地に入ると、喧騒が一瞬で遠のいた。

石壁の間を昼の光が細く差し込み、乾いた風が砂を巻き上げる。


俺たちは早足で歩き始めた。

靴音が反響し、まるで誰かに追われている音のように聞こえる。


リュカが前を向いたまま、低くつぶやいた。

「……見つけた」


すぐ後ろで、シアの声が続く。

「今、真後ろの屋根の上です」


言葉の温度が変わる。

空気が一段、重くなるのを感じた。


「……コール様、いかが致します?」

「捕まえられるか?」

「はい」


シアは頷くと、俺の手を離した。

一度だけ路地の先を見やり、

リュカが短く息を吸い、シアと目を合わせる――

無言のうなずき。


「行くよ!」


その瞬間、リュカが俺の手を強く引いた。

反射的に走り出す。

石畳を蹴る音が、細い路地に響いた。


陽光の射さない裏通り、

背後で屋根瓦がかすかに鳴った――。


リュカに引かれるまま、俺は路地を駆け抜けた。

曲がり角をいくつも抜け、干された布が風に揺れる細い通りへ入る。


「……そろそろだ」

リュカが立ち止まり、短く息を整えた。

振り返ると、その瞳が鋭く光っている。


次の瞬間――。

彼女は猫族特有のしなやかな跳躍で壁を蹴り、

窓枠を掴み、洗濯紐を足場にして一気に屋根へ。

布がばさりと舞い、陽光を受けてきらめいた。


「俺は置いてきぼりかよ!?」


屋根の上には、黒衣の影。

長いフードを深くかぶり、顔は見えない。

ただ、その立ち姿に“普通の盗賊”ではない気配があった。


リュカの気配に気づいたのか、影がわずかに動く。

同時に、反対側の屋根の影から声がした。


「――逃がしません」


シア。

いつの間にか反対側の屋根に立ち、

手には短剣が一閃の光を反射している。


風が一瞬止んだ。

三人の影が屋根の上で交差する。


リュカが低く呟く。

「……挟んだ」


その瞬間――。


下から金属の音が響いた。


カシャンッ。


剣の刃が柄から射出され、鎖を引きずりながら屋根へと伸びた。

空気を裂く金属の音。


ガキィンッ!

剣の先が屋根の端に突き刺さり、

下から一気に引き上げられる。


「っと!……置いてくなよな!」


風を切って浮き上がる感覚。

足場に着地すると、鎖を手繰り寄せながら剣を引き抜いた。


黒衣の影の目の前にリュカ、

背後にはシア、反対の屋根には俺。


「……っで? 逃げられないけどあんた何者?」

リュカが片耳を動かし、薄く笑う。

「さすが、コール様」

シアも短剣を構え直し、静かに息を吐いた。


黒衣の者は沈黙したまま、周囲を見回す。

風が布を揺らし、フードの奥から微かな息音だけが漏れた。


俺たち三人の影が、屋根の上で円を描くように包囲を狭めていく。

鎖が鳴る。

乾いた風の中、ほんの一瞬――緊張が極限まで張り詰めた。


「どうしようもねぇんだ、さっさと――」


俺が言い終えるより早く、

黒衣が腰の袋を投げつけた。


ボンッ――!


白煙が一気に広がり、視界が奪われる。

鼻を突く刺激臭。

「げほっ……!」「くっ、煙幕……っ!」


リュカとシアが咳き込み、目を押さえる。

屋根の上の風が流れ、煙が渦を巻く。


「くそっ、見えねぇ!」


煙の中、黒衣の影が音もなく身を翻した。

屋根瓦の上を滑るように、あっという間に距離を取る。


剣を構えたが、すでに遅い。

影は屋根の向こうに消えていた。


俺は深く息を吐いた。

「ちっ、いつものスカーフでもしてりゃ少しは追えたのにな」


煙が晴れるころには、影の姿はもうなかった。

屋根の端には、わずかに黒布の切れ端だけが引っかかっている。


リュカが鼻を押さえたまま言う。

「……行ったね」

シアが周囲を見渡し、耳を伏せる。

「完全に消えました。足音も気配も残っていません」


俺は剣を収め小さく舌打ちした。

「ちっ、逃げられたか。……ま、追ってもキリがねぇ。買い物だけ済ませて帰るぞ」


二人が頷く。

屋根から飛び降り、再び石畳の上へ。

昼の喧騒が戻ると、さっきまでの緊張が嘘のように薄れていった。


果物と食料を抱え、俺たちは市場をあとにした。

太陽は真上、風は少し湿っている。


「船、待たせすぎたな」

「またこられても面倒だし急ごうぜ」

「そうですね、日がでてるうちに向かいましょう」


――そのころ。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


通りの反対側。

赤髪の騎士が静かに歩いていた。

人々の間をすり抜け、目だけが獲物を追うように研ぎ澄まされている。


(ここもいないか……)


そのとき。

黒衣の影が横切った。

人混みの中、ほんの一瞬、布の端がエレナの腕をかすめた。


「……!」

振り向くより早く、低い声が耳元で囁く。


「冒険者、アーク――郊外の門へ」


次の瞬間、影は群衆の中に溶けて消えた。

エレナは目を細め、足を止めることなく方向を変える。


(郊外の門……!?)


マントを翻し、人の波を抜けて駆け出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


門の手前。

風が強く吹き抜ける中、

俺たちは買い物の袋を抱えて歩いていた。


「これでいいか? 肉も野菜も揃ったし」

「十分です。これでしばらく食いつなげますね」

「じゃ、戻るか――」


その瞬間、背後から鋭い声がした。


「止まれ!!!」


振り向くと、赤い髪が陽光を反射していた。

エレナが立っていた。


「……あんたか」

「あなたに、話があります」


リュカとシアが警戒して前に出る。

だがエレナは剣に手をかけることもせず、まっすぐ俺を見ていた。

その目に、敵意はない。


(……何の用だ?)


俺は二人に視線を向ける。

「二人は先に行ってろ」

「えっ、でも――」

「行け。すぐ戻る…、『コンパスで見ておけ』」


小声でシアに指示を出す。

二人はしばらく躊躇したが、

結局うなずいて荷物を抱え、船の隠してある方へ走っていった。


残ったのは俺と、赤髪の騎士だけ。

風が吹き抜け、門の旗がはためく。


「……で、何の話だ」

「少し歩きながら。…人目のないところで」


エレナは背を向け、静かに歩き出す。

俺は無言でそれを追った。


陽光の下、二人の影が長く伸びていく。

街を離れ、丘の道へ。

そこから先は、誰もいない場所だった。


門の外。

風が少し冷たくなってきた。

街の喧騒が遠ざかり、石畳の先には緩やかな丘と、低い雲が広がっている。


「……で、話ってのは?」

俺がそう言うと、エレナは一度立ち止まり、振り返った。


「あなた、本当に“ただの冒険者”ですか?」


唐突な言葉に、眉をひそめる。

「さぁな。俺は俺だ。それ以上でも以下でもねぇ」


エレナの目が細くなる。

「戦いのとき……あなた、私の剣を奪いましたね」

「覚えてる」


エレナの瞳の奥に、怒りではない揺らぎが宿る。

「……私は、あの一戦で油断はしていなかった。

 慢心もなかった。技も力も、私の方が上のはずです」


風が吹き抜け、鎧の金具がかすかに鳴る。

彼女の声は静かだが、底に硬い芯があった。


「けれど最後の瞬間――あなたは倒れなかった。

 踏みとどまり、立ち上がり、そして……私を倒した」


沈黙が落ちる。

エレナは視線を下げ、わずかに拳を握った。


「なぜ負けたのか、今でも分かりません。

 あの時、あなたの剣には“何か”があった。

 理屈ではない、ただ…生にしがみつくような、強さが」


俺は黙って聞いていた。

彼女の声には、悔しさよりも“理解しようとする誠実さ”があった。


「……だからこそ、知りたい。

 あなたの“あの一撃”に、何があったのか。

 あのときあなたが見ていたものは、何だったのか」


その問いは、まっすぐ俺の胸を射抜くようだった。

風が止み、二人の間に小さな静寂が落ちる。


俺はしばらく考えたあと、短く言った。

「……あんただ」


エレナの瞳が揺れる。

「……それは? 一体どういう――」


「何を見てたとか、考えてたとか、そんなもんわかんねぇ、ただ……あんたが綺麗で、強くて‥

 負けたくなかった。それだけだ」


風が一筋、丘を渡っていく。

エレナは言葉を失い、ただ俺を見つめていた。


沈黙。

その沈黙の中で、何かが確かに動いた――

互いに違う生き方の、ほんのわずかな交わりのように。


エレナはしばらくその場に立ち尽くしていた。

丘を渡る風が、彼女の赤い髪を揺らす。

やがて、わずかに息を吐いた。


「……、あなたは不思議な人だ」


「褒め言葉として受け取っておく」

俺が肩をすくめると、エレナはかすかに笑った。

けれど、その笑みはすぐに消える。


「――アドリアン様が、あなたに会いたいと仰いました」


「……あんたの上司か?」

「はい。公爵であり、私の主。リュリシア様の父上です」


エレナの表情が少しだけ引き締まる。

「正直に言えば、私は反対でした。

 あなたのような人物を、主の前に通すことに……抵抗があった」


「だろうな」

「ですが、アドリアン様は“必要な縁だ”と。

 あの方がそう言う時は、何かを見通していることが多い」


「“縁”、ね………なるほど。俺は“縁”ってやつに好かれてるらしいな」


エレナは軽く首を振った。

「好かれているというより……“選ばれている”のかもしれません」


その言葉には、ほんのわずかに敬意が混じっていた。

コールは口の端を上げる。


「ずいぶん持ち上げるな。俺みたいな流れ者を」

「持ち上げてなどいません。

 ただ、あなたのような人がこの国にいる――

 それ自体が、定めのように思えたのです」


「定め?…」

俺は小さく笑う。

「こんな定め…あってたまるかよ」


「……それでも」

エレナは静かに言った。


「あなたは、倒れなかった。

 この国も、そういう者を必要としているのかもしれません」


沈黙が流れる。

遠く、風に乗って鐘の音がかすかに聞こえた。


エレナが振り返り、歩き出す。

「行きましょう。アドリアン様がお待ちです」


「……ああ」

俺は剣の柄を軽く叩き、歩き出す。


二人の影が再び並び、丘を越えてゆく。

その先に広がるのは、白い屋敷――

アドリアン邸。


風の中、旗が翻る。

戦の匂いをわずかに残したまま、

次の“出会い”が静かに始まろうとしていた。

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