第46話:勝敗の行方、手にした賞金
「……貴様に対する認識を、改める」
その声が耳を打った瞬間、
風の流れが変わった。
(……ああ、来るな)
砂の上で、エレナが静かに構えを取り直す。
太陽が落ちかけ、影が長く伸びた。
観客は誰一人、声を出さない。
息をする音すら、聞こえるほどの静寂。
(完全に“戦場”の空気だ……)
剣を握る手が汗ばむ。
脇腹の痛みが、心臓の鼓動に合わせてじんじんと響く。
それでも剣を下ろす気はなかった。
(認められたってことか……)
エレナの足が沈む。
踏み込みの合図――音もなく砂が跳ねた。
次の瞬間、視界が光で裂かれる。
「ッ……!」
火花。
受け止めた刃が、腕ごと持っていかれるほど重い。
一撃一撃が、迷いがない。さっきとは大違いだ。
全部に体ごと持っていかれそうだ――!、
生き延びるためだけの剣とは、格が違うってわけか!。
ギリギリの受け流し。
視線を上げる。
エレナの剣筋は美しい。
だがその美しさが、痛いほどだった。
(この強さは……ただ強いだけのもんじゃねぇな)
踏み込みを重ねる。
金属が軋み、砂が爆ぜる。
エレナの反撃を正面で受ければ骨が折れる。
だから、刃を滑らせ、あえて受け流す。
衝撃に逆らわず、身体を倒しながら回転――。
砂の上を転がり、反動で体を起こす。
肺に砂が入って咳き込みそうになったが、立ち上がる。
「……はぁ、はぁ……やっぱ強ぇ」
声に出すと、喉が焼けるようだった。
だが笑った。
エレナの眉がわずかに動く。
驚きと、警戒。
ほんの少しだけ、別の感情も混ざっていた。
観客がどよめく。
「立った!」「まだ立ってる!」
歓声が遠くで響く。
だが、今は聞こえない。
エレナが一歩前へ出る。
刃が夕陽を受けて赤く光る。
あの瞳に、もう軽蔑はなかった。
俺も、剣を構え直す。
両足を踏みしめ、砂を噛む。
脇腹の包帯が赤く染まるのが分かる。
(一か八かだな……)
風が鳴く。
その瞬間、俺たちは同時に踏み出した。
金属の音が空を裂く。
互いの剣が正面からぶつかり、火花が散った。
腕が軋み、足元の砂がえぐれる。
呼吸も、痛みも、もうどうでもよかった。
(あんたに小細工は通じねぇ――わかってる)
エレナの剣は正道そのものだ。
一切の嘘がない。
相手の正面を切り裂き、真正面から叩き伏せる。
だからこそ、俺みたいなやり方は嫌いだろう。
(だが悪いな……俺は、騎士じゃねぇ)
唇が自然と歪む。
笑うというより、噛み締めるように。
心の底から出た言葉が喉の奥で響く。
(これが、“意地汚くても生きる”やつの戦い方だ)
踏み込み。
砂が爆ぜる。
上から下へ――大ぶりの一撃を叩きつける。
「ッ!」
観客が息を呑む。
あからさまな隙だ。
背中を向けるように体を捻り、自分の体を抱き込むような姿勢。
誰が見ても、無防備で愚かな動き。
だが、その瞬間――逆の腕が動いた。
腕の防具に仕込んでいた刺突用の短剣。
それが腕の隙間から放たれ、空を裂く。
(いけ――!)
投擲された刃が一直線にエレナを狙う。
しかし。
「……浅い」
金属音。
エレナは手首をわずかに傾けただけでそれを弾いた。
短剣が砂に突き刺さる。
(やっぱりな……)
俺は笑った。
これまでの試合で、そんな小細工が通じる相手じゃないのは分かっていた…。
あの女は正面からの戦いしか見ない。
だからこそ、俺の狙いは――その先だ。
「これまでだ!」
エレナが声を放つ。
剣が振り下ろされる。
避けられない。
間合いも詰められ、反撃の余地もない。
(だから――こうする!)
俺は咄嗟に兜を外し、
それを――自分の頭の代わりに掲げた。
元々、殺す気ではなかった剣の勢いは鈍いものだった。
だから、自分から――。
金属が突き破られる轟音。
エレナの剣が、兜を貫いた。
そのまま刃が兜の途中で止まる…一瞬。
(今だ!)
俺は兜をぐるりと回し、全身の力で剣をねじり取る。
そして、わずかに体勢の崩れたエレナの横腹に蹴りを叩き込んだ。
ガギィンッ!!
次の瞬間、エレナの手から剣が離れ、宙を舞う。
時間が止まったようだった。
夕陽が赤く光り、兜と剣が同時に砂の上に落ちる。
呼吸だけが響く。
互いに汗と砂にまみれ、
ほんの数歩の距離で――見つめ合う。
俺の右手には、エレナの剣。
左手には、まだ血の滲む包帯。
兜から引き抜いた剣をエレナに向ける。
「……へへ、俺の……勝ち、だ」
そのまま――力尽きた。
砂の上に崩れ落ちる。
視界が回り、音が消えた。
最後に見えたのは、エレナが驚いた顔をして――何かを叫ぶ姿だ。
――暗転。
目を開けた時、天井があった。
木の柱。
鼻に届く薬草と湿った布の匂い。
外からは、夕暮れの街のざわめきがかすかに届く。
「……宿か?」
身体を起こそうとした瞬間、脇腹に激痛。
包帯が新しく巻き直されている。
横にはテーブル。
そこに、金貨の袋がひとつ。
(……賞金?)
木戸の向こうから人の気配。
次の瞬間、勢いよくドアが開いた。
「お、起きたか!」
リュカが入ってきた。
後ろにはシア。
二人とも、どこかほっとした顔をしている。
シアはリュカを押しのけるようにして駆け寄り、
「コール様ご無事で!?」
焦りと安堵が入り混じった声で言った。
「なんとかな…」
まだ喉が乾いていて、声がかすれていた。
リュカが苦笑しながら肩を竦める。
「……生きてたか、アーク。いや、コールでいいか?」
「……まだアークで頼む。死にかけたけどな」
「そりゃそうだ。あの剣、見てるこっちがヒヤヒヤしたぞ」
軽口を叩きながらも、リュカの目には本気の安堵が浮かんでいる。
彼はテーブルの上の金貨袋を指でつまみ、からん、と音を鳴らした。
「準優勝の賞金だ。……一応な」
「一応?」
リュカが椅子を引いて腰を下ろし、腕を組む。
窓から差す夕陽が、その頬を赤く照らしていた。
「勝敗の判定が“微妙”らしい。お前が倒れたあと、審判も混乱してた。
勝負がついたっと思ったらお前はぶっ倒れるし、一応エレナが最期に剣を持ってたからな……」
「……どっちが勝ったか分からねぇ、ってわけか」
「まぁな。今も“審議中”だとよ。
審判が“どっちも勝ってるようなもんだ”とか言ってたぞ」
「紛れもなくコー…アークの勝利です!」
シアがむっとして腕を組み、
子どものように唇を尖らせながら俺の肩を庇うように立つ。
確かに――
試合に負けて、勝負に勝った。
俺にしちゃ上出来すぎる。
「わたくし、正直……アーク様があそこまで“真っ向勝負”をなさるとは思っていませんでした」
「俺もな……あんな戦い方、もう二度とごめんだ」
「あの人…だからですか?」
シアは不安げな表情でまっすぐこちらを見ていた。
目が合い少しすると俺が言葉を放つ前に納得したように目を閉じた。
「…試しただけさ、俺がどこまでやれるかをな‥…いてて」
笑うと脇腹が痛んだ。
思わず顔をしかめると、リュカが苦笑して肩をすくめる。
「ま、どっちにしろ、お前が立ってる時点で勝ちみたいなもんだ。酒でも飲もうぜ。今日ぐらいは」
「不良娘が、お前に関しちゃ今日、も、だろ?」
「そうだっけか〜?」
リュカが悪びれもせず頭を掻く。
シアは呆れたようにため息をつき、
手を腰に当ててじろりと睨む。
「それに今回金の使い方は決まってんの」
「えぇ〜」
「今度こそ留守番連中に酒とかかってやるんだよ」
「いいじゃんか少しくらい〜」
「リュカ?いい加減にしなさい?…聞き分けが悪いですよ?」
「ヒィ、ご…ごめんなさい…」
小さな笑い声が宿の部屋に広がる。
窓の外では、夕陽が沈みかけて街を橙に染めていた。
遠くの広場から、まだ太鼓の音がかすかに響いてくる。
その中には、聞き覚えのあるリズムが混じっていた。
「……チャッチャッチャ、か」
ふっと笑って、目を閉じる。
外の喧騒が遠ざかっていく。
戦いの音も、歓声も、全部どこか夢の向こうに溶けていくようだった。
ベッドの軋む音だけが、静かな部屋に残る。
胸の奥に、あのとき感じた熱だけがまだくすぶっていた。
そう呟いて、俺は再びベッドに体を沈めた。
脇腹の痛みが、少しだけ軽くなった気がした。




