第31話 拒魔の陣
風が顔を打った。
縄が腕に食い込み、視界が一気に開ける。
下では戦場の炎が、赤い線のように走っていた。
イルクアスターの腹から吊り上げられた俺と影たちは、甲板の上へ引き上げられていく。
「コール様、おかえりなさいませ」
シアは笑顔をみせて旅館の女将のように俺を出迎えた。
隣にはリュカがいて、その後方にハイポールが手を振っていた。
俺は縄を外し、階段を上がり舵を握りに向かう。
「いいタイミングだ」
「下は地獄ですね、ご無事で何よりです」
シアが軽く笑って、当たり前のように付き従う。
「戦況はだいぶいい。人間の陣を潰してるが、王都の中枢まではまだ遠い……こっちで抜け道をブチ開けてやる」
ウィンスキーと代わり、俺は操舵輪に手をかけた。
空気が震え、甲板の端にたまっていた砂が風に流される。
イルクアスターが唸りを上げる、まるで喜んでるかのように。
船体がゆっくりと旋回し、城壁に並行に並ぶ。
「行くぜ…、野郎ども!! 撃ちまくれぇえええ!!!」
号令で甲板の影たちが一斉に動いた。
側面の大砲が城壁に狙いを定め、影の腕が一斉に弦を引き、風を裂く音が夜明けの空を貫いた。
――轟音。
石壁が爆ぜた。
崩れた瓦礫が雨のように舞い上がり、塔の一部が傾く。
続く二射、三射。
防壁の上の弓兵が吹き飛び、城門の鉄扉がひしゃげて落ちた。
「抜けた! 道が開いた!」
リュカの声と同時に、地上から獣族の咆哮が轟いた。
熊族の突撃隊が瓦礫を踏み越え、狼族がその影を縫うように駆ける。
猫族とエルフの矢が上空をかすめ、人間の兵を正確に射抜いた。
「おっし! このまま全部ぶっ壊す!」
俺は操舵輪を切り、イルクアスターを城壁沿いに滑らせた。
「街の外縁を叩け! 塔と防衛兵だけ狙え!」
船体が低空で旋回するたび、大砲が火を噴く。
石壁が崩れ、弓台が次々と沈黙していく。
地上では獣族がその隙に雪崩れ込み、城下の路地を駆け抜けていくのが見える。
獣族は人間から数え切れぬ屈辱を受けてきた。握った刃の先を町人に向けることだってできるはずだった。
だがそれでも……いや、だからこそ――彼らは目を逸らす。道行く民には目もくれず、剣を構える者だけを見据えている。
あの夜、丘の焚き火の下で交わした言葉が俺の中で燃えている。
誇りが折れない限り、俺は敵にはならない。
だからこそ、俺も彼らにこの命を託してもいいと思える。
「獣族の誇り……見せてもらったぜ」
俺は短く吐き出した。感嘆と安堵が混じった、ちょっと照れくさい声だった。
風を受けて舵を思い切り切る。
「行くぞ、野郎ども! あそこでふんぞり返ってる、腐った連中をぶっ飛ばす!」
イルクアスターの船首が、王城の中央塔へと向きを変えた。
瓦礫を下に、炎の上を滑るように、一直線に。
風が帆を裂き、甲板に積もった灰を巻き上げた。
「おい! このまま行く気か!?」
舵の横でリュカが叫ぶ。
「行け! 城の心臓まで一直線だ!」
「ったくもう! 相変わらず乱暴なッ」
船首が王都の中央塔を捉える。
金の装飾と白い石壁、その下で兵たちが必死に再集結していた。
だが――遅い。
「砲撃用意、放てぇええッ!」
轟音。
塔の外壁が粉砕され、火と煙が噴き出す。
イルクアスターはそのまま本丸に体当りするように乱暴にぶつかる。
――衝撃。
石片が雨のように降り、帆柱が軋む。
だが船体は止まらない。
俺は舵を離れ、甲板の手すりに飛び乗った。
「野郎ども! 突入準備! 何体かは残って船を見てろ!」
黒い影たちがうねり、甲板の端に集まる。
縄が解かれ、フックが鳴る。
イルクアスターの腹が王城のどこかにぶつかる瞬間に跳んだ。
風を裂き、瓦礫を踏み越える。
足元には倒れた兵と、焦げた破片。
空を見上げれば、まだイルクアスターが旋回している。
「……着いたな」
「もう! 置いてかないでよね!」
シェアラが俺の後に着地し、背後で影たちが地面に落ちる音がなる。
黒い霧が人の形を成し、武器を構える。
「親玉は目の前だ! 行くぞ!」
通路を駆け抜け、一気に王手をかける。
壁に掛けられた旗が燃え、甲冑が崩れ落ちていく。
眼の前にはあからさまに重厚な扉があり、俺はそれを蹴り破った。
ーーーーーー王座の間。
高い天井。
赤い絨毯の先、白髪の男が静かに立っていた。
深紅の衣をまとい、手には杖。
その瞳には恐れも怒りもない。
ただ、観察するような冷たさがあった。
「お前が、王か?」
俺は剣を抜き、先端をその男に向けた。
「ほう。これが噂の者か。人の姿とは滑稽なものだな」
売り言葉を相手にせず、俺は逆に相手を笑うように言い放つ。
「ほう? 人気者は辛いね、こんな腐ったジジイまで俺のことをご存知とは」
王の背後で、杖の音が静かに響いた。
影のように立つ一人の男が、ゆっくりと前へ出る。
「控えよ、無礼者!」
灰色の外套をまとい、髪はなく、眼光は鋭い。
その瞳はまるで氷のように冷たく、声には奇妙な抑揚があった。
「ここは――ザイガルド王国。この国を統べるは、ディップ・ザイガルド三世陛下。
その玉座に刃を向けること、すなわち神への叛逆と知れ」
杖の先端がわずかに光り、床に複雑な文様が浮かび上がる。
淡く青い光が王座の周囲を包み、空気が重く沈んだ。
俺は片眉を上げ、薄く笑った。
「へぇ、偉そうに喋るじゃねぇか。
で、そのピカピカ頭は誰の許可で喋ってんだ?」
「っぷっははははは! ピカピカ頭! 確かに、あははは!」
俺の後ろでシェアラが爆笑し、男の眉が動く。
「貴様……!」
「まあいいや。どいつが王で、どいつが手下かは見りゃ分かる。
どっちにしろ、腐ってんのは一緒だ」
その瞬間、杖が床を叩いた。
青白い光が一気に広がり、部屋の空気が変わる。
ーーーーー重い。
呼吸が詰まるほどの圧。
足元の床に光の文様が走り、影たちが唸り声のような音を上げて輪郭が歪む。
「なっ……!? これは……!」
影達は体の輪郭を失い、まるで押しつぶされた粘土のようになり、動きを止めていく。
「歓迎の印だ」
王の背後の男――あのツルピカ頭が薄く笑った。
「異形の者よ。ここは“魔力を拒絶する陣”。貴様のような存在は、この地に立つことすら許されん」
俺は舌打ちをした。
「……なるほどな。歓迎にしちゃ、やり方が陰気だな」
影は動かない。
魔導銃も引き金を引くがカチッと音が虚しく響くだけだ。
ただ――腕と刃だけが残った。
重い空気を裂くように、扉が一斉に開いた。
鎧のぶつかる音、怒号。
両側の通路から、武装した兵士たちが雪崩れ込む。
「チッ、早ぇな」
剣を構えながら、背後のシェアラを一瞬だけ見やる。
数は……ざっと三十。
影は潰され、援護はゼロ。
こりゃ、笑えねぇ。
「コール…、囲まれた」
「わかってる」
俺は息を整え、短く言った。
「……聞け、シェアラ。万が一の時は、迷わず逃げろ」
「は?」
「いいか、俺が動きを止められたら、お前だけでも外に出ろ」
「ふざけんな!」
シェアラの声がかぶさる。
「一人で英雄ごっこすんな!」
「英雄なんざ興味ねぇよ。ただ」
俺は歯を食いしばり、前へ一歩踏み出す。
「俺は…俺より早く女死なせて生きてるなんてのは、二度とごめんなだけだ」
兵士たちが突撃の構えをとる。
王の杖が静かに持ち上がり、冷たい声が響いた。
「その愚かな献身、哀れだな。せいぜい見苦しく足掻くがいい」
「上等」
俺は吐き捨てるように言い、シェアラの肩を軽く押した。
「行け。まだ喋れてるうちに」
「ッふん」
シェアラは唇を噛んだ。
けれどその瞳は、決して逃げる色をしていなかった。
「……ったく、バカが」
次の瞬間、兵士たちが一斉に雪崩れ込む。
構えを低くし、目の前の刃を弾いた。
火花が散る。
焦げた石の匂いが鼻を刺す。
兵士たちが雪崩れ込む。
甲冑の擦れる音と怒号が重なり、空気が一気に血の匂いに変わった。
俺は一歩下がり、剣を横に滑らせて一人の刃を弾く。
返す勢いで蹴り上げた足が別の兵の顎を捉えた。
鉄の兜が跳ね、鈍い音を立てて床に転がる。
「ほう、まだ抗う意志を見せるとは、獣と同類だな」
ツルピカ頭がつぶやいた。
「だが魔力なき身で、何をもって抗う?」
「見りゃわかんだろ、足と腕があんだよ!」
俺は肩を鳴らし、息を吐く。
「充分だ!」
三人目が突っ込んでくる。
刃をかわし、肩口に肘を叩き込む。
骨が鳴った。
続けざまに背後からの槍を避け、床を蹴って低く回転し、相手の足を払う。
型なんざ知らねぇ。
昔から、勝つためなら泥だって噛む。
「まだだ、かかれぇっ!」
兵の叫びが重なり、金属音が連鎖する。
シェアラが背後で叫ぶ。
「コール!」
「……あっぶね、サンキュー」
シェアラは逃げずに俺の隙を潰す立ち回りをしてくれている。
今もお陰で敵の刃が頬をかすめる程度で収まった。
目の前の兵を蹴り飛ばし、俺は咄嗟に剣を逆手に持ち替える。
直後、上段から振り下ろされた刃を受け流し、肩を狙って肘を叩きつけた。
火花。
汗。
肺の奥で焼けたような息。
それでもまだ動ける。
一瞬、兵の列が下がった。
王座の背後でツルピカ頭が杖を掲げる。
「いいだろう。生身の獣の力……見せてもらうとしよう」
床の光陣が再び脈動した。
嫌な音がした。
石の隙間から何かが滲み出すように、青黒い光が立ち上がる。
「……チッ、第二段階かよッ!?」
「ッなに!? これ!?」




