第26話 地下の扉、その先に…
厳重な警備の割には、倉庫はただの物資置き場に見えた。
樽や木箱、袋が乱雑に積まれているだけ。シェアラも「同族の匂いはしない」と言い切った。
俺はウィスキーとハイポールに荷下ろしを任せ、リュカとシアを連れて地下へ向かう。
扉の奥はひどく冷たく、どこかで感じたことのある空気だった。
そうだ――二人が捕まっていた場所と同じ匂いだ。
「「……」」
リュカとシアの顔が同時に曇る。嫌な記憶を呼び覚ましているのだろう。
木の床は油で暗く濡れ、薄明かりが通路を照らしていた。
積まれた樽や木箱のいくつかは蓋が半ば開き、粉末めいた異臭が漂う。
通路の脇には檻。中には人影。
虚ろな目で俯く者、息絶え絶えの者。いくつかは体の一部が異様に干からびていた。
(……やはり、ただの倉庫じゃねぇな)
そんな中、ひとつの檻だけが異様に騒いでいた。
「たすけて!たすけて! おねがい!おねがい! だれか!だれかぁああああああ!!」
声は尖り、我を失ったように同じ言葉を反復している。
泡を吐き、目は泳ぎ、半狂乱で手を伸ばしてくる。下半身は干からびたように痩せ、もはや人の形を保っていない。
「……黙れ」
俺は短く吐き捨てたが、男は黙らなかった。
次の瞬間、檻の鉄格子越しに手を伸ばし、男の顎を掴み上げる。
首を押し上げるように力を込め、気道を塞いだ。完全に殺すつもりじゃない。だが、このままじゃ奴の喚き声で全てが終わる。
男は白目を剥き、痙攣し、やがて声を絶った。俺は力を抜き、床に沈める。
気絶させただけだ。脈はある。生きている。
「コール様!?」
「おい、コール! やめろ! 何してんだお前!!」
シアは驚愕で固まり、リュカが俺の腕に飛びついてくる。
「……死なせてねぇ」
短く言って手を離し、意識をなくした男はそのまま後ろに倒れた。
だが…リュカの指先が俺の袖を掴んだまま離れない。怒りと混乱が入り混じった目で俺を見上げる。
「なんでだよコール! お前、あたしたちを助けてくれたじゃんか! あの時だって、自分を囮にしてまで! なのに、今は……こんな!」
その声は震えていた。信じていた“助けてくれる人間”と、目の前の俺との落差に戸惑っているのだろう。
俺はリュカを見据え、声を低く落とした。
「お前らが助けたいのは……獣族か? それとも人間か?」
沈黙が落ちた。シアは目を伏せている――彼女は分かっているようだ。
だがリュカは掴んだ袖を離さず、ただ震えながら……何か言いたげに俺の目を見る。
「俺は選んだ。だから助けるし、守りたい奴は守る。ほかは知らん」
リュカの手が、ようやく俺の袖から離れる。
それでもまだ目は逸らさず、息だけが震えていた。
「……ったく」
俺はリュカの頭に手を置き、以前と同じようにわしゃわしゃとかき混ぜてやった。
「リュカちゃんは優しいね……人間もみんなそれなら、戦争なんてなかったのにね」
リュカの背後から低く、淡々とした声――だがその奥には確かな優しさがあった。
シェアラはいつの間にかシアの隣に立ち、肩に手を置き、彼女の頭を撫でていた。
「私たちはまだ、何も見つけちゃいない。だったら進むしかないんだよ。……ね、コール」
俺は頷く。
「こんだけ警備がかてぇなら、獣族じゃないにしろ何かあるはずだ」
重い空気が流れる。
だがリュカは深く息を吸い、小さく深呼吸して顔を上げた。
「……うん、行こう」
再び足音が響きはじめる。
油に濡れた木の床を踏み、重く冷えた空気をかき分け、俺たちは通路の奥へ進んだ。
その時だった。
「……え……?」
シェアラが小さく声を漏らす。
ピタリと歩みを止め、眉がわずかに動く。
何かを感じ取ったように、通路の先へと目を細める。
「どうした?」
問いかけるより早く、シェアラは歩き出していた。
先程までの落ち着きが嘘のように、その足取りには焦りが滲んでいる。
何かを確かめるように、鼻を利かせる仕草。
「……そんなはず、ない……」
ぽつりと呟くが、それ以上は言わなかった。
鋭い視線のまま、通路の突き当たりにある鉄扉へ近づいていく。
俺とリュカも慌てて後を追う。
「なあ、何かいたのか?」
「……いや、わからない。でも……ここにいる」
低く抑えた声には、緊張というより――困惑が混じっていた。
まるで………“いるはずのないもの”を前にしたときの反応だ。
そして、シェアラは躊躇なく扉に手をかける。
ごくわずかに震える指先。
軋む音とともに、鉄扉が開いた。
その向こうに広がった光景に、言葉を失った。
部屋の中央。
首輪と鎖で完全に拘束された女が、ひとり膝をついていた。
両腕は背後で縛られ、足も鎖で床に固定されている。動くことすら許されていない囚人のようだった。
長い髪は乱れ、服はほとんど布切れのようになっている。
体には無数の傷が走り、いくつかはまだ血が滲んでいた。
その傍らには、同じ特徴を持つ亡骸が二体、冷たく横たわっている。
部屋の奥には、無機質な台座と見慣れない金属器具が整然と並ぶ。
用途はわからない。ただ、その場に満ちた空気は――
……ここで“何かが壊された”という事実だけを静かに訴えていた。
女が顔を上げた。
そして、俺を見た瞬間――はっきりと、恐怖に目を見開いた。
「やめろ……来るな……!」
掠れた声だった。
怯え、震え、涙を浮かべながら鎖を引いて体を逃がそうとする。
だが動けない。逃げ場はどこにもなかった。
「……おい、待て。俺は――」
「いや、やめて! こないでぇっ!!」
声が跳ね返るように響く。
俺の言葉を遮るように叫び、女は目を固く閉じて体をすくめた。
……まるで、俺がこの部屋で何かをしてきた存在だと示すように。
「……そんな……」
その時、背後から震える声がした。
シェアラだった。目を見開いたまま、立ち尽くしている。
「この子たち……この場所で、いったい……なにをされたの……」
吐息のような声。
普段は見せない、心の奥から絞り出された言葉だった。
「あのエルフが……こんな……怯えて……」
シェアラは、そっと亡骸のそばに膝をつく。
そして、うずくまるように震える女を見つめながら、低く呟いた。
「ひどい。これは……ひどすぎる……」
(……一体何をしてたんだ)
そんなふうに思いながら視線を巡らせていた時――ふと、視界の端に何かが映った。
扉の向こう。
そこに、一人の兵士が立っていた。俺と目が合う。
一瞬の間。無意識に俺の手が動いた。
パーンッ
魔導銃を抜きざま、引き金を引く。
炸裂音。兵士が吹き飛ぶ。
「あ……撃っちまった!?」
撃ったことに後悔はない。
ただ、確信はあった。今ので奴らにバレた。俺たちは“影”の関係者だと。
「ッ! しまった!」
ヒュンッ!
兵士は他にもいた。
シェアラが素早く振り向き、ナイフを投げ放つ。
鋭い銀の軌跡が、もう一人の兵士の喉元を正確に貫いた。
ドサッと音を立てて倒れた兵士の向こう、足音が響き始める。
「ッくそ! 逃げられたな!」
俺は魔導銃を握り直し、すぐに銃口を横に向ける。
拘束の鎖を撃ち砕いた。
ガシャンッ!!
鉄鎖が砕け、エルフの体が崩れるように落ちる。
同時に、奥の扉の方から足音――追手が迫ってくる!
「逃げるぞ!」




