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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第23話 名乗りと望み


突如として爆発した笑い声が、広間に響き渡った。

焚き火が揺れ、赤い火花がぱちぱちと散る中、その音は場の重苦しさを一瞬にしてかき乱した。


皆が驚いて振り返ると、柱の影に控えていた赤毛の若い猫族の戦士が腹を抱えて笑っていた。

その耳がぴくぴくと揺れ、息が詰まるほど声を響かせる。


「この場で叔母上を口説く度胸があるくせに、背後の少女ひとりに頭が上がらない。影の化け物になって兵を蹴散らした男が、

今は必死に弁解してる……ぷはっははは! もうダメ、おかしすぎ!」


涙を浮かべるほど笑いながらも、その眼差しはただの茶化しではなかった。

むしろ友好的だ。「この男は面白い」と言わんばかりの肯定がそこに宿っていた。


「シェアラ……」

猫族の長が険しく名を呼ぶ。広間の空気が再び張り詰める。


笑いを噴き出してしまった猫族の戦士は、腹を押さえながらも肩をすくめ、

片手をひらひらと振って「叱られるのは分かってます」とでも言うような仕草を見せた。


だが、笑みを収めると、その瞳は真剣な色に変わっていた。


「はぁ〜あ、……でも、言わせてもらいます」


シェアラは一歩前に出て、広間を見渡す。

若さゆえの直情に満ちた声だったが、決して軽いものではなかった。


「人間の軍勢を薙ぎ払い、命をかけて我らの同胞を救った――

その事実を前に、なお信用ならぬと眉をひそめ続ける……

そんな態度こそ、愚かに見えました」


先ほどまでの笑い声とは正反対に、鋭く、硬質な響きが広間を貫いた。


「私たちは戦士です。故にその力の行いを見て評価するべきかと。

それに我が一族が……血や種に縛られて盲目になるのは、先代の猫族が望むことでしょうか?」


言い終えたシェアラは、静かに背筋を伸ばす。

広間に残る笑いの余韻はすっかり消え、代わりに彼女の真剣な声音だけが重く残った。


焚き火がぱちりと弾け、沈黙が場を支配する。


「……まったく。お前は昔から思ったことをそのまま口にする」

猫族の長はこめかみを押さえ、深いため息を漏らした。


「後で覚えておきなさい」


猫族の戦士は片手をひらひらと振り、悪びれもなく微笑む。

「覚悟してますよ、叔母上」


そのやり取りに、熊族の長が鼻を鳴らした。

「……だが、言葉にした勇気は認めよう。場が重すぎた」


横で黙していたシルヴァクも、口元にわずかな笑みを浮かべる。

「……血は争えぬな。あの図々しさは、確かに猫族の証よのう。ふぉっほっほ」


重苦しさの中に、ほんのわずかだが温かみが差した。

空気の変化を感じ、皆の肩がすこし緩む。


やがて仕切り直すように、猫族の長が姿勢を正し、ゆるやかに口を開いた。


「……我が名は〈レアナ〉。猫族を束ねる者だ。人間に名乗るつもりはなかったが……礼儀をわきまえぬお前の“図々しさ”に負けた」


「おぉ、レアナ! やっぱ名前も美人っぽいなぁ~!」


「コール様ッ!!」


背後からシアの声が爆発した。

広間の視線が一斉に俺へ突き刺さり、背中が焼けるように熱い。

でも、もうほどけた紐は戻らない。


「で、熊の兄貴は?」


熊族の長はしばし俺を凝視し、重々しく答えた。

「……我は剛熊族の〈グルド〉。……お前は、やはり妙な奴だな」


焚き火がぱちんと爆ぜる。

重苦しいはずの広間は――妙な軽さと、戸惑いと、少しの笑みが混ざった空気に包まれていた。


シラヴァは火の灯りを映した瞳で俺を見据え、静かに口を開いた。


「……コール。我らは既に幾度もお前に救われた。

 弟も、子らも、そして群れそのものも」


広間がざわめく。熊族も猫族も、その言葉に反論する者はいない。


「我らは襲いすらしたというのに、だ」


熊族の長グルドが腕を組み直し、重々しく頷く。

「確かに…。これ以上恩義を軽んずることはできぬ」


猫族の長レアナも目を伏せ、短く息を吐いた。

「人間に礼を言う日が来ようとは……もはや否定はできぬ。我らはこの者に救われた」


シラヴァは頷き、問いを投げかける。

「ゆえに、我らは報いるべきだ。……コール、望むものはあるか?」


「望むもの、ねぇ……」


俺は頭をかきながら影たちを振り返る。輪郭が薄れかけている。


「そうだな……まずは“飯”だ。俺の仲間はなんでも食う。骨でも薪でもいい、出せるぶんで構わねぇ」


戦士たちがざわつく。異様だが、納得もできる要求。


「それと……船を置ける場所だ。しばらくは飛べねぇからな」


シラヴァは短く考え、熊族の長と視線を交わす。

やがて二人は揃って頷いた。


「影が喰らえるもの、ならば狩りの獲物を分けよう……そして船の場所だが」


グルドは低く息を吐くように笑ったが、その瞳は揺るがない。

「村を出る必要はない。村のすぐ側に、かつて我らが物資を仕舞っていた場所がある。

人の目は届きにくく、護りも整えやすい。そこを根城に使えばよい」


レアナもゆっくり頷いた。

「村と近接していれば、我らも船を守れる。外に追いやられることなく、我らの下で船を休めるといい」


「そんでまた夜中に刺されるとかはナシだぞ? あ、レアナさんなら歓迎だぜ?」

「コォ〜〜〜ル様ぁ〜〜!?」


背後からシアの怒声が爆発し、広間の視線が再び俺へ突き刺さる。


重くなりかけた空気を押しとどめるように、シラヴァが口を開く。


「……っふ、性根の悪い奴め。命を賭して我らを救った者を、種族の枠で拒む理由はない」


広間の炎に照らされるその眼差しは鋭く、それでいて揺るぎなく温かい。


「お前はもはや“敵”ではなく“友”。

 お前が困るなら、我らが守る。……今度こそ誇りは通す」


その言葉に、熊族の長グルドは深々と頷き、重い声を響かせた。

「うむ……誇りに懸けて、だ」


続いて猫族の長レアナが、わずかに目を細めた。

「……我も認めよう。だが――」


一拍置き、シア越しに俺をじろりと睨む。

「軽口を叩くたびに、守る身が増えることを忘れるな」


「ひぃっ……!?」

俺は思わず背筋を凍らせた。シアの視線と合わせて二重の刃が突き刺さる。


それでも、ここまで言われりゃさすがに茶化す余地はねぇ。

俺は大げさでもなく、ただ素直に頭を垂れた。


「あ、ははは……ご忠告どうも」


一瞬の静寂、この場が終いになりそうな雰囲気が流れた時。

俺は思い出したように顔を上げ、声を低くした。


「悪いが……まだ終わっちゃいねぇ。街の奴隷はほとんど救い出したが、一箇所だけ、手をつけられていない倉庫がある」


広間がざわめく。レアナが目を細め、グルドが低く吐息を漏らす。


「奴ら、まだ隠しておるのか」

「放っておけば、再び兵糧とされるやもしれん」


俺は影たちの輪郭が揺れるのを横目に頷いた。


「だが今は船も飛ばせねぇ。影も消耗してる。大きな手はすぐには打てねぇし、俺一人じゃ無理だ」


シラヴァが静かに頷くと、柱の影からシェアラが身を乗り出した。


「ならば私が行きます。森で鍛えた目と足がある。潜入も乱戦も――必要ならば盾にもなりましょう」


俺が苦笑を漏らすと、レアナが軽く視線を送った。

叱るでもなく、褒めるでもなく、ただ静かな確信がそこにある。


「理に適っておる。獣族だけで動けば目立つ。人間を立てる方が自然だろう。

……シェアラの目は役に立つ」


グルドが低く唸り、シラヴァも頷いた。


「よし。ここを策の場とする。何が隠されているか確かめ、次に我らがどう動くかを決める」


焚き火が揺れ、影が壁に大きく踊る。

次の一手の気配が、そこに確かに生まれていた。


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