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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第22話 陽下の少女


まぶたを押し上げると、木の天井が揺れて見えた。

全身は鉛のように重く、まだ疲労が残っている。


「……目が覚めたか」

「……なんだその格好?」


声の方へ顔を向けると、シラヴァが立っていた。

包帯の下から血が滲んでいるが、その瞳は揺らぎなく澄んでいる。


「助けられた。……礼を言う」

「助け?」


短く、だが重い響き。

そして彼はわずかに笑った。


「あの足技、借りさせてもらった。おかげで勝てた」

「よくわからんが、そりゃどうも……ここ、お前の家か?」

「村の治療所だ。倒れたまま捨て置くわけにもいかないからな」


シラヴァの静かな声を聞いたその時、戸口が軋んだ。

足音は重く、ためらいなく部屋へ入ってくる。


シガだった。

目が合ったところで、俺は意地悪に笑いかけてやった。


「これで満足かぁ?」

「っふ……俺は何も言っていないが。感謝する」


シガはそう言いながら頭を深く下げて、戻さず続けた。


「お前には本当に世話になっている……すまない」

「やめろやめろ、俺はそんな柄じゃねぇの。てか謝んな、せめて普通に礼を言っときゃいいんだよ。ダチだろ?」


言葉が途切れ、部屋に静けさが落ちる。

重苦しさは消え、奇妙な安堵だけが残った。


そのとき、シラヴァがふっと目を細めた。

弟の横顔を見やり、やや口元を緩める。


「まさか……お前に人間の友ができるとはな」

「っ……兄者、からかうな」


シガが眉をひそめ、そっぽを向いたように見えた。


「からかいではない」


シラヴァの声は穏やかだが、確かに温かさを帯びていた。

「お前は昔から群れでは浮きがちだった。だが……誇りを共に背負える相手を見つけたのなら、それは何よりのことだ」


シガは言葉を返さず、ただ視線を逸らした。

耳の先がわずかに赤く染まっているのを見て、思わず小さく笑ってしまった。


「ぷっはっはっはっは! なんだシガ、オメェその顔! あはっはっは!!」


嘘ついた、俺は大爆笑した。

あまりに大きな声で笑ったものだから、シガは眉をしかめて立ち上がり、ふいっと背を向けた。


「……好きに言え」


すねたように呟きながら戸口へ歩き、出る間際にだけ振り返った。


「それと——」


その後、俺はシガから聞いた言葉を確かめるために外に向かう。

まだ疲れがとれきっていないせいか、陽の光に目がいつも以上に眩む。


「まぶ……っ、ん?」


眩しさに目を細める。

世界が白くかすみ、光の幕に覆われたようだった。

だが、ゆっくりとまぶたが慣れていくにつれ、その光の奥に人影が浮かび上がってきた。


最初は淡い輪郭だけ。

やがて光のカーテンがほどけるように薄れ、白銀の髪が風に揺れるのが見えた。

陽の光を纏うように立っている。

一瞬、どっかの女神かと思うくらいだった。


思わず息を呑んだが、その隣にはリュカがいた。

いつもの険しかった表情は影を潜め、口元には珍しく柔らかな笑み。

二人は小さく笑い合っていると、こちらに気がついた。


軽く手を振ると、純白の少女はこちらに向かって走り、その後をリュカが追う。そして——。


「コール様!!!」

「ぐぇ!? な!? ……コール? ……様?」


いきなりの包容、というかミサイルみたいな突撃に、俺はそのまま尻餅をついた。

頭の中では疑問が渦巻く。


(なんでこの子は抱きついた? てか……“様”? “様”ってなんだ!?)


俺にしがみついている少女を見下ろして、思わず声が裏返る。

正体は病で寝たきりだったシアだ。


「ちょ、ちょっと待て……元気になったのはいいが……」


生死の境をさまよっていたはずの少女が、今は目に涙を浮かべて笑っている。

飛びついてきたシアを前に、俺は完全に困惑するしかない。


しかもその光景を見ていたリュカもまた、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔で、口を開けたまま突っ立っているだけだった。


「コール様! お体は? 気分は大丈夫ですか!?」

「ま、まてまて、俺は平気だ。……てかなんで俺のことを? お前、寝たきりだったろ?」


問い返すと、シアはぎゅっと目を細め、涙を零しながら首を振った。


「全部ではありませんが……意識は少しだけありました。あの夜、声や気配を感じていたんです。そして目が覚めてから……リュカに聞きました。

 私たちを奴隷から買い取って、病の私を見捨てず……命を懸けて、みんなを助けてくださったって」


言葉が震えていた。だが、その瞳は迷いなく俺を見つめている。


「だから……この御恩は、命をかけても報います。コール様の願いとあらば何なりと!!」


一瞬、あまりに大げさな言葉と食い気味の気迫に頭が真っ白になる。

しかし、シアの言葉は真剣そのもの。だが近すぎる距離に、俺は思わず目を泳がせ、そっとリュカの方を見た。


(ッ助けてくれ!!)


目だけで訴えると、ようやく我に返ったリュカが声を張り上げた。


「ちょ、シア!? 起きたばっかりで、しかも何言ってんだぁっ!!」


慌ててシアを引きはがそうとするが、シアはセミかコアラのようにぎゅっとしがみついたまま動かない。


「いや〜離して! 当たり前でしょう、命の恩人なの! 抱きしめて当然じゃない!」

「なっ……!? お、お前なぁ……!」


リュカが顔を真っ赤にして言葉を詰まらせると、シアはさらに畳みかける。


「それに第一、リュカ! あなた最初はこの人を殺そうとしたじゃない! 忘れたとは言わせませんよ!」


痛烈な一撃に、リュカはぐっと黙り込み、耳まで赤くして視線を逸らした。


「でも……それは」

「それは、じゃない!」


シアの小さな体からは想像できない迫力で叱責が飛ぶ。

その真剣さに、思わず俺も背筋を伸ばしてしまった。


やがて、シアはようやく俺から身を離し、同時にリュカの腕を振り払った。

だが次の瞬間、彼女の声色は一転して、深い影を帯びる。


「……それに」


言葉を切り、少し俯いた顔が陽の光に照らされる。


「私たちには……もう帰る場所なんてない。両親も、家も、何もかも失った」

震えそうになる声を押し殺し、真っ直ぐに俺を見つめる。


「だからお願いです、コール様。最悪、召使いでもいいので働かせてください。

ここにいさせてください。どうか……どうか、私たちを捨てないで……」


その言葉に、俺は言葉を失った。

一見少女に見えるシアだが、彼女はきっとかなり賢いのだろう。

この子は自分と、そしてリュカの…いまの自分たちの状況を悟っている…。


背後でリュカも、さっきまでの勢いをなくし、苦い顔で黙り込んでいた。


俺は突然の責任に頭をかきむしりながら、深くため息を吐いて、後ろに倒れ込む……。


「……好きにしろ〜」


最初リュカにも「好きにしろ」って言ったし、元々ある程度は面倒を見る気ではいたが……まさか、こんな展開になるとはな。


「コール様ぁ!」

「ぐぇ!? おいリュカなんとかしろぉお!」

「だから抱きつくなぁ〜!」



その後すったもんだを終えた俺は、族長たちに呼ばれた。


この間とは違う建物だ。

長屋の扉をくぐると、焚き火の匂いと油の煙が鼻を刺した。

円卓の奥、族長席に座っているのはシラヴァだ。肩に新たな外套、額にシルヴァグと同じ模様が描かれている。

傍らには辞したばかりのシルヴァグが静かに腕を組み、左右には猫族と剛熊族の長が控える。後列には古参の長老たち、壁際には戦士達。

俺の両脇には、やたら近い距離で張り付くシアと、視線だけで牽制してくるリュカ。


「灰狼・新族長、シラヴァだ」


低い声が広間に落ちる。


「まずは——コール、礼を言う。我らはまたお前に助けられた。命も、群れも…そして我ら一族の誇りも」


続いて熊族の長も、唸るように言葉を継いだ。


「我は剛熊の長は、誤りを認める。掟に従い、科を負う用意がある」


続いて、猫族の長が立つ。


「人間よ、我らはお前の船を奪おうとした。愚行を認める、その罰を受け入れる」


円卓に焚き火の影が揺れる。

重苦しい空気を切るように、俺は大げさに肩をすくめてみせた。


「変な奴らだな。謝りたいなら普通に『ごめん』って言えばいいんだよ。……それでチャラさ」


ざわ、と広間が揺れた。

敵意も、安堵も、戸惑いも混じった気配が走る。


「なんだよ? 変なこと言ったか? 俺はこうして生きてるぜ? なにか問題あるのか?」


猫族の長がかすかに目を細める。

熊族の長は鼻を鳴らし、拳を握りしめたまま何かを噛み殺したように沈黙する。


(本来なら決して許されぬことだぞ……!)

(こいつはそれを軽々と受け流すと言うのか!?)


俺は頭をかきながら、あえて軽い声を続けた。


「なぁ、そういえば名前聞いてなかったな」


思わぬ言葉に、広間の空気が止まった。

熊族の長は目を見開き、猫族の長は苦虫を噛み潰したように息を詰める。

誇り高き族長としては受け入れがたい“軽さ”——だが同時に、心の奥で「敵として見られていない」という事実に戸惑いを隠せなかった。


「そっちの熊の兄貴と……めっちゃ美人の赤毛のお姉さん! 前からずっと気になってたんだよな〜。

いやマジで毛並みサラッサラ、目もキリッとして、ちょっと近寄りがたいけど……それがまた魅力的!」


わざとらしく両手を広げて褒めちぎると、広間の空気がざわついた。

熊族の長はぽかんと口を開け、思わずこっちを二度見する。

赤毛の猫族の長は……頬の毛を逆立てるようにして、細い目をさらに細めた。


「……人間。お前、我を弄んでいるのか」


声は冷ややかで、広間全体が一瞬ぴりつく。

だが俺の目は誤魔化せない。

その耳の先が、わずかに赤く染まってんのを俺はしっかり見た。


「いやいやからかってねぇって! むしろ真剣! 俺が言わなきゃ誰が言うんだよ!?

 美人は美人って、言葉にしなきゃ損だろ?」


あえて胸を張って言い切ってやると、後ろから ぐぐぐ……と鬼気迫る視線。

背中がチリチリ焼ける。


「……コール様? いささか軽すぎますよ?」


小声なのにナイフみたいに刺さる。

ちらっと横目で見ると、シアは笑顔だが目が笑っていない。

「美人美人って……調子に乗って……」と小声でぶつぶつ。


「あ、あはは、ほら、褒めただけ! 別に変な意味は——」


俺が必死に手を振って弁解していると、その声をかき消すように——


「ぷ! ぷはっ! ……っははははははは!」

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