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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第18話 人の街へ


空を行く…月は高く、風は静か。

村の灯りが、森の奥に遠ざかっていく。


船の縁にもたれながら、その光を黙って見つめた。


「……ったく、面倒なことに首突っ込んじまった」


ぼそりと呟き、視線を空に向ける。

近くのウィンスキーとハイポールは肩を竦めるだけ。


「……その時は、ちゃんと守れるようになってりゃいいがな」


月を見上げながら、あの森に残したシガたちの顔が脳裏をよぎる。

夜風が髪を撫で、冷たい空気が頬に触れる。

ため息をひとつ吐き、船の中へ足を向けた。


医務室の扉を開けると、薄い灯りの中、ベッドにシアが横たわっていた。

体力が戻るにはまだ掛かりそうだ……毛布の中で浅く息をしている。

その横には、椅子に腰掛けたリュカがいた。


「具合は?」

「……ちょっとはマシになった」

「そうか……」


会話をしてくれるだけでも、以前よりは距離が縮まった…そう思う。

俺はため息混じりに、壁にもたれた。


「……お前ら、これからどうするか考えとけ。俺と一緒に来るか、このまま別れるかは自由だ。なんならまた村におろしてやる」


リュカは眉をひそめ、少し視線をそらした。

部屋の外では、船の軋む音と、どこかで揺れる鎖の小さな音が混ざって聞こえる。


「そんなこと、いきなり言われてもな…」

「選べるうちに考えろ。今回は時間がある」


しばらく沈黙が落ちた。

丁度いいから気になっていたことを尋ねる。


「そういや、お前ら姉妹なんだよな?」


俺の言葉に、リュカの耳がぴくりと動く。


「だったらなんだよ…」

「シガから少し話は聞いた…だがお前の口から聞きたい」


リュカは視線を動かさず、一瞬鼻を鳴らし、それから口を開いた。


「見りゃわかんだろ……あたしの両親は猫族だった。小さい頃、人間に殺されて……それに…シアの両親も」

「知ってたのか…」

「眼の前でやられた…シアはそれから弱ったんだ…、あの時アタシがもっとッ」


短く切られる言葉の端に、わずかな怒りと悔しさが混じる。


「家族、か…」

「血はつながってねぇ。でも、あたしにとっちゃシアは……大事な家族だ」


リュカはそう言いながら、シアの髪を軽く撫でた。

その横顔は、普段の勝ち気な表情とは違い、どこか遠くを見つめるように寂しげだった。


「そうか…、まぁ好きにすればいいさ、どうしようが俺は止めねえよ」

「……あんたは」


リュカは何かを言おうとしたが言葉が見つからないようだ…。


「とりあえず俺は明日人間の街に行く…来るか?」

「人間の!?…なにしにいくんだ?」

「正直、俺を道具にしようとした獣族の連中には頭に来てる。

 けどよ…そのまま捨ておける性格じゃねえのさ、良かったな俺がこんなに優しくて」


そう言って大雑把にリュカの頭をポンポンと手をおいた。


「……優しい、ねぇ」

リュカはむすっとした顔をして頭を振ったが、軽く笑みを浮かべた。


「まぁ……行ってやってもいいけどな」

「勝手に決めろ」


俺は肩をすくめ、部屋を出る。

廊下に出ると、船体を叩く風の音がやけに心地よく響いていた。

人間の街か……面倒事の匂いしかしねぇが、行く価値はある。


俺の後ろでは、リュカが小さく何かを呟いた。

だが、その声は船の軋む音に紛れて聞こえなかった。


朝日が昇り始めた頃、平原に出てきた。

遠くに人間の街の城壁が霞んで見える。

今回は獣族の森に船を隠すことはできず、少し離れた丘の陰に停泊させている。


「ここからは徒歩だ」

背後でウィンスキーが荷物を背負い直し、ハイポールが呑気に伸びをする。


リュカは歩き出しながらも、何度か船の方を振り返っていた。


シアのことを案じているのは見て取れるが、その顔に焦りはない。

あいつももう目を覚ましていたし、俺の船に置いておけば安全だと踏んでいるのだろう。

以前のような迷いは感じられなかった。


街道は意外なほど静かで、通りすがる荷馬車の御者がこちらを少し警戒する程度。

陽が高くなる頃には、城壁の影がはっきりと形を帯びてきた。

だが、その前に城門前で異様な人だかりができているのが目に入った。


近づくにつれ、ざわつきの正体が分かった。粗末な服を着せられ、鎖で繋がれた人々。

奴隷商人たちは彼らを引き立てて値踏みし、別の業者が唇の端を吊り上げながら値を叫ぶ。

門が開く前から、互いの業者同士で売買が始まっていた。


「……っ」

横を歩くリュカが足を止め、目を細める。

その視線には明らかな怒気があり、握られた拳は白くなるほど力がこもっていた。


今にも飛びかかりそうな気配を感じ取り、俺は無言でその肩を掴み、小さく首を振る。


「今はやめとけ。まずは情報だ…無理なら船に帰れ」


低く抑えた声に、リュカは唇を噛み、渋々視線を逸らした。


人だかりを抜ける瞬間、俺は心の中で吐き捨てた。


(奴隷の街とは聞いてたが……こいつはさらに最悪だな)


城門の向こうには、商人たちが並ぶ広場と、その奥に延びる石畳の通りが見える。

そこから漂ってくる匂いは、香辛料と獣の皮の匂い、そして鉄の匂い…鎖と血の気配。


門を抜け無事中に入り込めた。

奴隷商人のフリをするためとはいえ、リュカは言葉にはしていないが商品扱いされたのをかなり怒っているようだ。

以前なら俺に殴りかかってきそうだが、だいぶわかってきてはいるようで何より…後でうまいものでも食わせてやろう。


そのまま街を偵察しているがどれも奴隷に関するものばかり、露天や奴隷を見ている者は明らかにこの国の外から来たもの達…しかもどいつも嫌な成り金の感じが見て取れる…。


いっそ大砲落としても良かったか?と思えるほどだ…、とはいえ街には普通の住人もいるようだが…。



視線をあちこちに巡らせ、露天や建物の様子を観察していた、その時…、

腰のあたりに軽い衝撃が走った。

振り向いた瞬間、小さな影が俺の腰から財布を抜き取り、駆け出すのが見えた。


「……あ、てめぇガキ!」


反射的に腕を伸ばすが、すり抜けられる。

俺が一歩踏み出すより早く、横からリュカが飛び出した。


「コールのもん返せ!ガキ!」


猫族の脚力で人混みを裂くように追うリュカ。

路地に飛び込むと、その奥で「ぎゃっ!」という短い声が響いた。


追いつくと、リュカは片手でガキの襟首を掴み、もう片方の手で俺の財布を高く掲げていた。

「ほらよ」そう言って投げて寄越す。俺は無言で受け取った。


盗人はまだ十にも満たないくらい。

頬はこけ、骨が浮き出た腕、薄汚れた服。

耳は裂けた跡がある。

生き延びるために盗むしかない…そんな暮らしが体に刻まれていた。


「離せっ!放せよ!」

必死にもがくガキを見下ろし、リュカは眉をひそめる。


「こんなチビ相手に何してんだ、離してやれ」


俺が言うと、彼女は一瞬だけ反論しそうな顔をしたが、結局は黙って手を放した。

小さな盗人は一歩下がって俺たちを睨み、何も言わずに路地の奥へと消えた。


「……なんで逃がすんだよ」

「捕まえて渡したところで、待ってんのは飢えか鎖だ。そうさせたいか?」


リュカは黙ったまま、路地の奥をしばらく見つめていた。



俺は歩き出し、子供を追って路地の奥へ足を踏み入れる。

湿った石壁と澱んだ空気、溜まった雨水の匂いが立ち込めている。


奴隷商の声はもう届かず、耳に残るのは小さな足音と、かすかな咳き込みの音だけだ。


曲がりくねった通路を抜けると、そこは広い通りとはまるで別の世界だ。

壁は崩れ、屋根には穴が空き、道端には痩せた人間や獣族が膝を抱えて座り込んでいる。

物乞いの手は震え、子供たちは裸足のまま泥水を避けながら走り回っている。

さっきのガキも、その中に紛れた。


(……なるほどな)


街の中心には高くそびえる城が見える。白い石造りで、陽光を反射して眩しいほどだ。

だが、その輝きはこの一角まで届かない。

栄えているのは城の周囲と、そこに巣食う貴族や商人どもだけらしい。

下の人間は、かろうじて兵士や労働者として生かされているか、ただ使い潰される…奴隷じゃないだけマシ……そんな感じだ。


道端の老人が、通りかかった兵士に蹴られて転がる。

兵士は笑いながら行き過ぎ、誰も助けようとはしない。

それが、この国の当たり前らしい。


背後から足音。振り向くと、リュカが渋い顔でこちらを見ていた。


「……見りゃわかるな。ここの連中がどう扱われてるか」

「ああ」


リュカは短く返事をしたが、その瞳の奥では感情が渦を巻いていた。

憎しみ、哀れみ、悔しさ、そしてどうにもできない無力感。

この光景を前にして胸の奥を締め付けるどうしようもない痛みのせいだろう…。


「……」

何も言えず立ち尽くす彼女の頭に、俺はぽんと手を置いた。

言葉はいらない。わかっている…俺も似たような感覚を抱えているさ。

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