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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第17話:拳と約束


土の広場。獣人たちの輪の中心で、俺はシガと向かい合っていた。


視線がぶつかる……。


(……やっちまったな)


今さらながら後悔が胸を叩く…。

売り言葉に買い言葉で受けた手合わせ。


あんな煽りに乗るとは……。

長老たちとのやり取りでストレスが溜まってたせいもあるが、それにしても……。


(冷静に考えりゃ、シガは相手として最悪だ)


シガは情に厚く無口で無愛想だが、戦い方は感情に任せて動くタイプじゃない。

やり合うときには冷静に間合いを見極めて攻め崩してくる、本物の戦士。


(やりづれぇ……)


だが、一度受けた以上は引けない。逃げれば船長の沽券に関わるし、何より……。


(シャドーズが後ろでめっちゃワクワクしてんだよなぁ……)


互いに構えた瞬間、周囲のざわめきが静まり返った。


……始まる。


最初に動いたのはシガだった。


(ッ――速ッ!)


予備動作もなく踏み込んできたその拳を、肩をわずかにずらしてギリギリで避ける。無駄がねぇ!?


(……やられっぱなしは嫌ぇだが、こっちの攻撃が通じる気もしねぇ)


こちらは攻めず、回避と牽制に徹する。

木刀を片手に、のらりくらりと間合いを保ち、たまに小石を蹴って土を舞わせたり、意味ありげにフェイントをかけたり……。


「……今のは卑怯だな」

「生憎俺は戦士じゃないもんでね。まぁ、お前にとってはいい経験になるだろ?」

「……ぬかせ」


シガは怒りに流されない。むしろ徐々に攻撃の頻度を上げてくる。攻撃の鋭さと読みの深さが増していく。


(……逆に焦ってんのはこっちか)


そして……ついに。


「……なぜ、打たない?」


広場に、風の音だけが流れる。シガが動きを止め、俺を見据えた。


(……詰んでるからな!!)


攻撃すれば潰される。

カウンターも読まれてる。こっちは“知識”と感覚だけ、身体はただの人間……。


(どうすんだ……これ)


その時、ふと脳裏をよぎる。


(あれ……そういや……)


……そうだ。あいつ、一度も蹴りが――。


爪と拳を磨いた獣人族には、そもそも“蹴り”の概念がないのかもしれない。


(……イチかバチか、賭けるか)


俺は木刀を手放した。


「ほう?」


シガの目がわずかに細くなる。


俺は地面を蹴って突進。その勢いのまま背を向けてしゃがみ込む!


(見るな、見抜くな……今だけ鈍れ!!!)


「ッ!?」


見たことのない敵の動きに、シガの視線が僅かに迷った。俺は地面に手をつきながら、思い切り腰をひねって……回転!


「ッツゥェエリャアア!!!」


右足が風を切る。視界が流れ、空気が弾けた。


ドガァッ!!


ブーツのかかとがシガの顎に直撃。…顔が上を向き、足が浮いた。

重い衝撃が骨伝いに逆流し、俺の足も痺れる。


……止まった。


広場全体が、音をなくす。

観客も息を呑んだまま凍りついている。


「……ッ!」

「シガが……膝を?」


シガは一歩、後退。膝をつき、土を抉るように拳を地面に突いた。口元から、赤い線が一筋。


「……やっぱ足技、知らねぇんだな?」


息を整えながら、立ち上がる。


静寂の中で、誰かが小さく「すげぇ……」と呟いた。


シガは口元を拭い、目を細める。そして、小さく、だが確かに笑った。


「……なるほど。お前は厄介だ」

「だろぉ?……あ、ちなみに今の名前、知らねぇ技だから聞くなよ?」


シガはひとつ、呆れ笑いのように小さく息を吐き。


「……ふ、なるほど」


とだけ言い残し、立ち上がった。


その瞬間、広場全体がようやく息を吹き返したかのようにざわめき始める。歓声。驚嘆。困惑。


観衆の後方、腕を組んでいたシラヴァがわずかに目を細めた。


「……やるとはな」

隣にいた老戦士が驚いたように問う。

「シラヴァよ、やつが場に入った時『素人』と言っていたが……」

「そうだ。動き、間合い、反応……全部、付け焼き刃だ」

「だが、今の技は」

「“勝負に勝つ知恵”はある。だからこそ厄介だ……自分の弱さを理解していて、それでも手を出せる」

シラヴァはわずかに口元を吊り上げた。

「まるで、風のように、読めん奴だ」


ーーーーー


夜の村。今日のシガとの話で騒ぎながら酒を振る舞われ、気分も良くなり。焚き火の明かりがちらつく中、俺は眠気に負けて目を閉じた。


……いや、違う。ただの眠気じゃなかった。妙な、沈むような重さ。


(……これ、やられたな)


意識が沈みきる寸前で、誰かの会話が耳に入った。


「手段は問うな。あれは脅威だ。今のうちに始末を」

「待て、まだ使える。殺すのは最後の手だ」

「“使える”だと?……、まるで道具扱いだな」

「ならばどうする、人間を信じる気か」


……闇の底へ。


どれぐらい経ったかはわからないが、体の自由はきかないな……。


「……チッ」


重たい頭を無理やり起こし、目を開ける。見慣れた天井じゃない。どこかの蔵か何かか? 縄で手足を縛られかけている。


視線を巡らせた先に、見知った顔があった。獣族の長老たち。そして、灰狼の族長・シルヴァクとシラヴァ。


「このような形になってすまんな、人間よ」

「っは、毛程も思ってねぇ口がよく言うぜ」


縄がギシ、と軋んだ。


「そもそも、話は終わってたはずだが? 今度は、眠らせて拘束ときやがった……」


ゆっくりと体を起こす。全身が重いが、意識ははっきりしている。


「随分と人間じみた真似するじゃねぇか」


長老たちが目を細め俺を睨む。その中で、シルヴァクだけは真っ直ぐな眼差しで視線をそらさず、真正面から俺を見据えていた。


「……非礼は承知している。だが、今はそれを許してほしい。改めて頼みたい。我らを、我らの民を、救ってくれ」

「……本気で言ってるのか?」


怒りは、不思議と冷たい。


「“使えるうちは利用して、使えなくなったら処分”。存外、人間と同じだな」

「そなたの怒り当然だ。だがそれでも我らには他に方法がないのだ」

「だったら最初から俺を殺しとくこったなぁ!!」


声が、蔵の壁に反響した。長老の一人が肩をびくりと震わせる。

それと同時に、窓の隙間からザロ達が俺を助けに来た。


縄をすぐに切り、俺の前に塞ぐように立ち剣を構える。


「……お前らが“民のため”って言うたびに、俺は“ただの異物”になる。

 そこには信頼も、敬意もねぇ。…だろ?、言ってみりゃ俺はあんたらにとっては、そこら辺に落ちてたちょうどいい棒切れだ。

 終わったら捨てられる。それが、てめぇらの判断ってわけだ」


シルヴァクは黙ったまま、静かに頭を下げる。


「……謝罪はしよう。だが、我々には時間がない」

「知らねぇな」


俺は立ち上がる。足元がふらつくが、しっかりと地を踏んだ。


「お前らにとっての“希望”だか“戦力”だか知らねぇが、俺にとっちゃ関係ねぇ。

 信じられない奴のために命張るのは、ただのバカだ」

「待て! コール!」


シラヴァが口を開きかけるが、それを遮り続けた。


「言いたいことはおおかた“戦士として”とか“誇り”とかか?。 

 言っとくが俺は戦士でもなけりゃお前らとはダチでもねぇ。

 お前らの都合で動くつもりもない。“最初に信じてくれなかった”…それでもう十分だ」


蔵の扉に手をかける。


「……ああ、それと一つ忠告な」


振り返りざま、にやりと笑った。うまく隠れてるつもりだろうが……。


「今度また俺に何か仕掛けたら、そのときは“容赦しない”。

 こっちを怒らせたら厄介だって、少しはわかってんだろ?」


この一言で、姿を隠していた戦意は闇に紛れていった。


沈黙が落ちたまま、俺は扉を開けて外へ出た。夜の空気が、肌に冷たく触れる。苛つくぜ……。


(……さて。どうすっかな)


夜の村を歩く。蔵を出た俺は、獣人たちの視線を避けるでもなく、そのまま広場を横切って船へと向かった。


……船は、広場から少し離れた土の丘の上に、静かに止まっていた。月明かりを背に、見慣れた帆が静かに揺れている。


(とっとと出るか……)


船まであと数十歩というところで、前方の茂みから複数の気配が跳ね出た。


「止まれ、人間!」


数名の獣族戦士たちが、俺の前に立ちふさがる。何人かは見覚えがあるが、鋭い眼光でこちらを睨む。全員、武装済み……本気なようだ。


「それで?……」


俺は足を止め、毅然としたまま、彼らを睨み返す。


「通すわけにはいかない。命令だ」

「誰のだ?」

「……長老会の決定だ」

「はっ。……人さらいの次は監禁か? どこぞの人間どもと一緒じゃねぇか?」


一人が顔をしかめ、一歩前に出る。


「っ我々だって!」

「やめろ!!!」


低く、よく通る声が割って入る。


木々の間から現れたのは……シガだった。足早にこちらへ近づきながら、険しい目で戦士たちを一瞥する。


「…何の騒ぎだ」

「し、シガ様……この男が勝手に船で村を出ようとして――」

「勝手に、……だと?」


シガの視線が鋭くなり、兵の言葉が途切れる。


「こいつは囚人か? 捕虜か?……獣族はいつからそんなやり方をするようになったのか!!」


戦士たちが言葉に詰まり、口を噤む。


シガは俺に目を向けた。俺は無言で肩をすくめる。


「……事情は聞いた。だが、今さら“力ずく”で縛ろうとするのは筋が違う。恥を知れ!!」


戦士たちは一瞬顔を見合わせ、そしてひとり、ふたりと道を開ける。


「おい、お前ら何してる! そいつを止めろ! っ!?……シガ、様……」


叫びかけた若い戦士を、シガが一瞥で黙らせた。


「通れ。……これは俺の顔だ」


静かながら、誰も逆らえない圧があった。俺は軽く頭を掻いて歩き出す。


「助かる……なぁ、ついでに乗ってくか?」

「……」


シガは一瞬、何かを言いかけて、やめた。そしてぽつりと、独り言のように呟く。


「……すまない」


ぽつりと漏らしたその言葉に、俺は歩を止めた。振り返ると、シガはまっすぐ俺を見ていた。


「……一つ、話しておきたいことがある」


低く、だがどこか迷いのある声だった。


「船に乗っている、リュカとシアだ……二人の家族は、あの日の襲撃で……」


言いかけて、わずかに唇を噛む。


「……この村でも、二人に“帰る場所”はもうない」


その言葉に、何か胸の奥がざわめいた。


「不躾すまない……だが、お前なら」


シガは拳を握ったまま、前を見据える。


「……本来なら俺たちが守るべきだった。だが、それができなかった」


言葉を飲み込み、そして最後に。


「……頼む、あの子たちを……お前が守ってやってくれ」


真剣だった。怒鳴り合いでも、剣を交えた時でも見せなかったような、どこか人間味のある顔だった。俺は短く息を吐いて、頭をかいた。


「はぁ〜……シガ、お前意外と人使い荒いやつだよなぁ」


肩をすくめて、少しだけ笑う。


「……ま、ダチの頼みなら仕方ねぇ」


シガの瞳が、微かに揺れた。だが次の瞬間には、いつもの無表情に戻っていた。


「……感謝する」

「言うなって、柄じゃねぇ……だがいいのか? 兄貴や他の連中、それに人間どものことは?」

シガは少しだけ目を伏せ、静かに言う。

「……俺たちの戦は、俺たちの誇りで終わらせる。だが、

 子たちだけは……先を背負わせるには、まだ早すぎる」


言い切って、前を向く。


「……他種族の力に頼るなど、我等も誇りが許さない。

 だが……今は、それを言える立場にもない。そしてお前は“力”ではなく“心”で動いた。

 だから託せる。俺はそう信じている」


俺は目を細め、肩をすくめる。


「……やっぱ、お前真面目すぎんだよな。つまんねぇ堅物戦士だと思ってたけど、見直したわ」

シガは少しだけ口元を緩め――そして背を向ける。

「……それに、お前は子供を見捨てるようなやつではあるまい」

「ったく、やっぱお前人使い荒いわぁ……」

「っフ……かもしれんな」


俺が船に乗り込むと、合図を送る前に船は浮かび上がる。

船は、村の灯を遠ざけながら、静かに闇へと溶けていった。

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