第16話:牙の森、帰還と宴
森の前まで行くと一人の男が、シャドーズと同じ数だけ仲間を連れて出てきた。その目に恐れはなく、誰かによく似ている。
「……貴様が、あの船の主か?」
「まぁな」
「お前は我らの敵か?」
後方に控えていたシャドーズたちが微かに動く気配を見せたが、手を軽く挙げて制した。
「……人間どもを屠ったのは、お前の意志か?」
「おいおい、いきなりそんな怖い顔すんなよ。俺もぶっきらぼうな方だが……やっぱ兄弟だからか? それとも獣人は皆こんな感じか?」
その言葉に、男の耳がぴくりと動く。
「……なに? 今、なんと言った?」
「言葉通りだよ。あんたより口数は少ないが、せっかちなのがシガとそっくりだな」
その名を聞いた瞬間、周囲の獣人たちがざわついた。男の目が細くなる。
「……生きているのか、あいつは」
「縁あって助けた。子供たちもな。旅の道連れにここまで送ってきたってわけさ
……まぁ、戦争が始まってたのは誤算だったが」
しばしの沈黙。やがてシラヴァは、静かに頷いた。
「……その件、真実なら礼を言わねばならんな。……名は?」
「コールだ」
「俺はシラヴァ。白牙の森の戦士長……そして、シガの兄だ」
その一言に、双方の緊張がようやく解けたようだった。空気が、わずかに緩む。
「俺たちも、お前たちも、疲れているだろう。……まずは歓迎の席を用意しよう。話はそれからだ」
シラヴァがそう言うと、獣人たちは森の奥へと道を開いた。
ちらっと後ろのシャドーズたちに目をやる。まぁ俺もまんざらではないのだが……後ろの奴らは喜びすぎだ。
コンパスを開き、船に残らせていたゲールたちに船を降ろさせ、獣人の国へと入ることになった。
ーーーーー
森を抜けた先に広がっていたのは、獣族たちの集落だった。
巨大な樹々に囲まれ、石と木で組まれた住居が段々に並ぶ。中心には大きな焚き火があり、煙がまっすぐ空へと昇っている。
船が地面につくや、子供たちは我慢できずに一斉に駆け出した。
その声を聞きつけ、家々から獣族の大人たちが飛び出してくる。
「──っ!」
名を呼ぶ声。抱きしめ合い、涙と笑いが混じり合う。
母が子を抱きしめ、父が頭をぐしゃぐしゃに撫で、兄弟姉妹が次々と腕を絡める。
すぐに迎えに来られなかった子たちも、近くの大人にそっと抱き寄せられていた。
誰もひとりでは立たされない。村全体が、家族のように彼らを包み込む。
ざっと見回すと、この集落はどうやら大きく三つの種族で成り立っているらしい。
犬族は声が大きく、笑いながら子どもを頭から抱きしめる。
猫族は涙をこぼしつつも、そっと頬を寄せるように子を迎えていた。
熊族は無骨な大きな腕で、子を丸ごと包み込むように抱き上げる。
やり方は違えど、どれも温かい。互いの種が違っても、迷子になった子を隣の家族が抱きとめてやるのは当たり前のようで、そこに境はなかった。
――この村は、そういう「支え合い」で成り立っているらしい。
「いい村だな」
喜びの声が次々と重なり、集落はたちまち歓喜の渦に満ちていく。
俺は甲板から降り立ち、その光景を黙って見守っていると、隣にいたシガが前に進んでいく。
「「……」」
沈黙。
子どもたちの感動の再会とは違い、こちらはやけに重苦しい……目尻の涙も吹き飛んでいった。
銀灰色の毛並みに、厳しい目。戦士のような風格を保ったまま。
「……シガ」
その一言だけを呟いたのは兄……シラヴァだった。
シガもまた、一言も発せずにその場に立つ。どちらからともなく、距離を詰めた。
そして、拳を一度、ぶつけ合う。
無言のまま、確かめるように一撃に込めた。
「生きていたか」
「……悪運が残っていた」
二人のやり取りに、誰も言葉を挟まなかった。
兄弟の間に流れるものは、言葉では測れない。わかりにくいが……だが、確かにそこに「帰還」と「再会」の温度があった。
シガは振り返り、今までとはまた違う目つきで俺の方を見た。
「……感謝する。恩は忘れん」
「言葉はいらねぇよ。船長は見送りまでが仕事だ」
差し出された拳に俺も答えた。
そうしていると奥の道から、年嵩の獣人たちがぞろぞろと現れた。
毛並みも色も違うが、皆どこかしら威厳と落ち着きを備えている。各部族の長老たちだろう。
その中心にいたのは、白く長い髭を持つ老獣人。刻まれた無数の傷、数多の戦と時を越えてきた証。
ぱっと見は年相応の老体に見えるが、うまく言い表せられない迫力がある。
「貴様が……“人間の船長”か」
俺は完全に気迫に囚われていたが、その言葉でハッとして戻ってきた。
帽子をくいっとあげ、相手を見据える。
「ま、そういうことになるな」
老獣人は一歩進み出て、まっすぐに俺を見据えた。
「我は灰狼を束ねる長、森牙――シルヴァク。シガとシラヴァの父である。まずは感謝する、長としてそして息子を救われた者として」
老いた長は深く頭を下げ、他の長ふうのものと戦士たちは皆一様に驚いている。
「こたびは……我らの戦士たちを、命を懸けて救ってくれたと聞いた。重ねて礼を言わせてもらう」
こういうのは、慣れていない。だが、言葉が要る場面でもある。
「……戦争に巻き込まれただけさ。それに助けたのも単なる気まぐれ。街でナムに会ってなけりゃ今頃は別の空の上さ」
「……そうか、だが」
一拍の静寂。
「それでも、助けは助けだ」
そう言って、長老は僅かな笑みを見せた。
そのあと、周囲からは立て続けに質問が飛んできた。
「どこから来た?」「その船……まるで空を飛ぶ鳥のようだったが?」「人間の都市では今、何が起きている?」
「軍はどう動いている?」「なぜこのタイミングで……?」
矢継ぎ早の問いかけ。だが、いちいち真面目に答えてたらきりがないので、俺はそのどれにも正面から答えない。
「渡り鳥に混じって空をな」「都市の話は……あんまり思い出したくないな」
「軍? さあ、俺は兵隊じゃないからな」
のらりくらりとかわし続ける。シャドーズたちは後ろで肩をすくめている。
話題が分散したころ合いを見て、俺は口を挟んだ。
「それよりひとつ、頼みがある」
「……なんだ?」
「俺の船に、ひとり。弱った子がいる。あんたらのところの子だ。名はシア。病でな……治療が必要だ」
その名に、族長の一人と兄シラヴァが同時に反応した。
「……あの子達も無事だったのか」
「生きてはいるが、このままじゃ長くはもたねぇ。だが、そっちの医者なら……何か手があるかと思ってな」
「よいだろう」
長老が頷くと、周囲に控えていた医師らしき若い獣人が前に出る。
「私が見よう」
船まで同行するよう手配され、ゲールのもとに向かう手はずが整った。
「では、今宵は火を囲んで、歓迎の宴を開こう。客人よ、好きなだけ飲み、語らうといい」
そうして火が灯され、森の夜が賑やかに彩られていく。
熊族は丸太のような腕で巨大な肉を串ごと火にかけ、焼けるたびに丸ごと頬張っては豪快に笑う。
犬族は酒樽を抱えて回し飲みし、声を張り上げて歌を叫び、子どもたちを肩に乗せて踊っていた。
猫族は少し離れた焚き火のそばで、琴のような弦を奏で、静かな調べを響かせる。
やり方はそれぞれだが、どの種族も心から子らの帰還を祝っていた。焚き火の炎が揺れるたびに、彼らの歓声と歌声が森全体を包み込んでいく。
影たちはすぐに混じってはしゃぎ始めたが、俺は甲板から星空と火を眺めていた。
「……悪くねぇな」
ーーーーー
翌朝、焚き火の残り香がまだ漂う中、俺はシアの様子を確認するため医者と共に船に入る。
船内で診察を終えた獣族の医者が、眉をひそめながら呟く。
「……信じがたいな。この病は、我らの里にある《陽樹の滴》がなければ治ることはない。だが――」
医者は、そっとシアの額を撫でながら続けた。
「山は、すでに越えている。熱も下がり、呼吸も安定している……薬も使わず、ここまで回復するとは。誰が、何を?」
「ああ。あの薬師のゲールが、ずっと看病してた。瓶の中に入った黄色い薬草の液体を使ってた。確か港でもらった薬草も」
「……それか。成分が何かは分からぬが、よほど優れた治療者だ。彼の薬がなければ、この子は命を落としていた」
しばしの沈黙の後、医者は静かに頷き、引き下がった。
俺は静かに近寄り、シアの顔を覗き込む。……その瞬間、まぶたがゆっくりと開き、かすれた声が漏れた。
「……ここ、は……」
「よぉ、起きたか? 無理すんなよ。お前、しぶといな」
ベッド脇でうずくまっていたリュカが、その声に弾かれるように顔を上げる。
「……シア!? ほんとに……!?」
彼女は手を取り、涙をぼろぼろとこぼした。よかったな、と一言だけかけて頭をつける。
俺はリュカの方に視線を移す。
その頬はこけて、目の下には隈。まともに眠れていないのは一目で分かる。
「おい、リュカ。……何か食ってるか?」
「え……あ、別に……っ、な、なんだよ!?」
「食え。船長命令だ。ここまできて飢え死にで倒れられたら困る」
パンでリュカの頭を軽く叩き入れる。仕方なくという体で、リュカは渡されたパンをかじった。
「……ありがとう」
「っふ……(礼を言えるとは、成長したか?)」
笑って答え、頭をわしゃわしゃ撫でる。リュカは戸惑う顔をしながら……少しだが、ようやく初めて笑った。
ーーーーー
その後、俺は再び森の集落に呼び戻された。
広場を抜け、木と石で組まれた大きな集会小屋に入る。壁際にはずらりと戦士たちが立ち並び、その奥に三人の長老が鎮座していた。
明かりが差し込み、火の匂いと共に、張り詰めた空気が満ちている。
最初に口を開いたのは、灰狼の長老だった。白髪交じりの毛並み、鋭い眼差しに深い皺。声は落ち着いていたが、場を支配する重みがある。
「……人の子よ。まずは、改めて我らの子らを救ってくれたこと、礼を言う」
深々と頭を下げる仕草に、場がざわついた。戦士たちが驚きに耳を立てる。獣人の長が人間に頭を垂れるなど、滅多にないことなのだろう。
だが、すぐに猫族の長老が鋭く声を上げた。赤毛の毛並みを逆立て、尾を揺らしながら俺を睨みつける。
「忘れるな、人間。我らの爪を折り、牙を抜き、子を奪ったのも人間だ。なぜ今さら救いの手を差し伸べる? その裏にどんな企みがある?」
爪が光を反射し、ぴたりと静まり返る空気。猫族の憤りは、他の戦士たちの胸にも火を灯しているのがわかった。
それに続いて熊族の長老が低く唸り、言葉を紡ぐ。巨体を揺らし、太い声が小屋を震わせる。
「我らはこれ以上、侮られぬ。誇りを踏みにじった者どもに牙を示す! そのためには力がいる……お前の船と兵、貸してもらおう」
直球すぎる要求に、場がさらに緊迫する。
俺は一度息を吐き、肩を竦めた。
「悪いが俺は軍人でも傭兵でもない。人を殺すために動く気はねぇ」
戦士たちがざわめき、耳や尾が一斉に動く。
猫族の長老は目を細め、低く言い放った。
「ほう……やはり人間に情けをかけるか? あのような異形どもを従えておきながら」
「情けじゃねぇ。ただ俺は、俺のやり方でしか動けねぇってだけさ」
熊族の長老が唸りを深くした瞬間、灰狼の長老が片手を上げた。
「やめよ。人は人の道を選ぶ……それを無理に縛れば、恩も縁もすべて腐る」
明かり火が長老たちの顔を揺らす。静寂のあと、灰狼の長老は低く続けた。
「客人よ。これ以上は強いはせぬ。だが忘れるな……人と獣の間に横たわる溝は浅くない。努々忘れるな」
「肝に銘じとくよ」
軽く笑って返し、俺は外に出ていく。
ーーーーー
集会から解放され、背を伸ばしていると、集落の一角で土煙が上がっているのが目に入った。
近寄ると、そこには獣化したシガが同じ獣族の戦士と向かい合い、組み合っていた。
鍛えられた肉体と肉体がぶつかり合う音が、獣たちの歓声と共に響く。
それを見ていた者の一人が、俺の肩を叩いた。
「おい、人間。お前も混ざれ。久々の客人だ、お前なら歓迎するぞ」
すると、組み合っていたシガがこちらをちらりと見て、口の端を上げた。
「……逃げるか?」
心の奥で、何かがチリっと燃えた。ここまであからさまに煽ってくるとは。
こっちは朝から気を遣って胃が痛いってのによ……。
「いいぜ、付き合ってやるよ。加減はしねぇぞ」
輪の中に足を踏み入れながら、俺もニヤリと笑ってやった。




