第151話:守る場所
ハッリが結晶を見つめて固まっている横で、
俺はそっと手袋を外した。
(……念のためだ)
台座に近づき、ゆっくりと掌を当てる。
ひやりとした感触のあと、
結晶の奥から、低い脈動が指先に伝わってきた。
(……いけるな)
魔力じゃねぇ。
この船と俺の絆を確かめる。
何かあった時、
グラナシルとやり合う事になった時――
こいつがちゃんと応えてくれるかどうか。
脈動は、ゆっくりだが確かに“返事”をしていた。
「……よし」
手を離し、手袋を戻す。
「戻るぞ、ハッリ」
「あ、ああ……」
動力室を出て扉を閉める。
静寂の中の光は、再び船の奥に沈んでいった。
船を降り、草原へ戻る道。
風がさっきより冷たく、どこか乾いている。
沈黙がしばらく続いたあと――
ハッリが横目で俺の手を見る。
「……なぁ旦那」
「ん? なんだ?」
「今さ……指輪してたよな?」
「あぁ?」
俺は一瞬何のことか分からず、
手袋の上から無意識に左手の薬指を押さえた。
ハッリは妙に遠慮がちに続ける。
「ってことは……近々、式を挙げるのか?」
「……式?」
「ああ。皆そうだろ? そっちは違うのか?
“結婚を決めたら、指に指輪をはめる”」
俺は思わず足を止めた。
(……ここ、指輪の文化あるのか)
「知らねぇのか?」
ハッリは逆に驚いたように眉を上げた。
「空じゃ、指輪は“これから共に生きる”って合図だ。
挙式の前にまず、互いに指輪を見せ合って周囲に知らせるんだよ」
「……なるほどな」
理屈は分かる。
地上の風習と似てるところもあるし、違うところもある。
だが――ハッリはそこで視線を逸らし、
さらに言いにくそうに続けた。
「で、さ。気になったのは……その……」
「なんだよ」
「その……リネアって子も……同じ指輪、してたろ?」
(……あー)
完全に見られてたか。
リネアの指輪は“俺と同じもの”だ。
式をあげたわけじゃないが……重みは似たようなものがあった。
ハッリは困ったような顔で続けた。
「いや、別に悪ぃことじゃねぇんだが……
……リネアって子も指輪してただろ?
ってことは……旦那とそいつが、そういう仲なんだと思ってたんだが」
「……」
「なのに、だ」
ハッリはちらっと工房の方を振り返る。
子どもに混じって笑ってる声が聞こえる。
「リュカもシアも……
どう見ても“距離が近ぇ”だろ。
あれじゃ、誰が旦那の相手なのか……分かんねぇ」
「はぁ……だろうな」
そこまで言うと、もう誤魔化しても無駄な気がして、
俺は近くにあった平たい岩に腰を下ろした。
「ハッリ。ちょっと座れ」
「え? あ、ああ……」
ハッリも隣に腰を下ろす。
風だけが流れて、しばらく無言が続いた。
俺は頭をかきながら、情けない声で口を開いた。
「……なぁ、男として聞くが」
「ん?」
「好きな奴が一人いて……
“自分を好きな奴”が三人もいたらどうする?」
「……は?」
ハッリは本気で理解が追いついてない顔をした。
だが俺は止まらず続ける。
「しかもだ。
二股かけてたわけでもねぇんだぞ?」
「……いや、待て。三人?」
「あぁ、三人」
指を折って数えるように、ゆっくりと言う。
「一人は……
“夫婦みたいに暮らした”ことがある女だ」
ハッリの眉が跳ねた。
「おま……」
「残りの二人は、嫌がおうにも絶対離れられねぇ。
俺を好きだってのは……見りゃ分かる」
風が草を揺らし、空を渡った。
ハッリはしばらく口を閉じたまま俺を見ていたが、
ついに言葉を絞り出した。
「……お前どんな人生送ってきたんだよ」
「俺も聞きたい」
自嘲がこぼれる。
「でもな……」
俺は空を見上げた。
雲の切れ間から光が落ちていた。
「……俺が“好きなのは”別の女なんだ」
「……は?」
「だからめんどくせぇんだよ…言い方は少し悪いけどな…。
複雑すぎんだよ…」
胸の奥に刺さってる“名前”がある。
けど、ここにはいない。
もう二度と会えねぇかもしれない女。
「俺の心はそっちなんだよ。
それが分かってても、三人とも離れられねぇ」
ハッリは頭を抱えた。
「すげぇな……
島が墜ちるよりそっちの方が問題じゃねぇか?」
「俺もそう思う」
「で、その“好きな女”ってのは……」
「……」
名前は言えなかった。
けど――胸に浮かんだ顔は一つだけだった。
あの赤い髪、
真っ直ぐな瞳、
不器用なくせに真っ直ぐなやつ……。
「……遠くにいる、会えねぇわけじゃねぇが」
ハッリは横目で俺を見る。
「コール……お前、めちゃくちゃだな」
「自分が一番よく知ってる」
「三人の想いを受け取って……
でも別の女が好きで……
しかもその女はここにいない……?」
「あぁ」
「……もう笑うしかねぇな」
「俺も笑いたい」
二人で同時にため息をついた。
ハッリはしばらく黙ったまま、ぽつりと呟いた。
「……じゃあさ。
旦那が守らなきゃいけねぇ“本当の場所”ってのは、
やっぱその好きな女のとこなんだな」
「まぁ……そうなるかもしれねぇな」
俺がそう言うと、ハッリは納得したように頷いた。
だがそれでは終わらなかった。
「ただ……」
風が一瞬止まったように感じた。
「……それも違ぇんだよ」
「ん?」
「三人がいる場所も……俺は守らなきゃいけない」
ハッリが目を丸くする。
「いや、だって旦那はその“好きな女”のとこを――」
「どっちか片方だけって話じゃねぇ」
自分でも笑えるくらい矛盾していて、
でも――嘘偽りなく本音だった。
「他から見りゃ滑稽かもしれねぇが……
あいつら三人も、大事なんだよ」
「……三人とも?」
「あぁ」
リネアも。
リュカも。
シアも。
それぞれ違う意味で、
それぞれ別の形で、
それぞれ俺の人生に踏み込んできた。
「好きって意味じゃねぇ。
でも“どうでもいい”なんて言えねぇ。
そんな薄情な真似もできねぇ」
ハッリは腕を組み、うなり声を漏らした。
「……じゃあ旦那の言う“本当の場所”ってのは」
俺はゆっくり立ち上がった。
草原の風がコートを揺らす。
「――全部だ」
「全部……?」
「好きな女の場所も、
三人が待ってる場所も、
俺の仲間が、家族がいる場所も」
そして空を見上げる。
「……全部、俺が守らなきゃいけねぇ場所だ」
ハッリはぽかんとしたあと、
ふっと笑って頭を掻いた。
「……本当にめちゃくちゃだな」
「だから言ったろ。自分が一番よく知ってるって」
「そんな全部抱え込むやつ、初めて見たぜ……」
「けどな」
俺は肩をすくめた。
「一度でも、手を伸ばしたもんを…、
簡単に切り捨てられるほど器用じゃねぇんだよ」
しばらくの沈黙。
そして――ハッリは少しだけ真面目な声で言った。
「……なら、島のことも助けてくれんのか?」
「そのつもりだ」
「ノッタも?」
「当然だ」
ハッリは大きく息を吐いて、空を見上げた。
「……すげぇな。
たぶん旦那、女神より人救ってるぞ」
「そんなつもりねぇんだけどな……」
ため息まじりにそう返すと、
ハッリはしばらく黙ったまま俺を見ていた。
風に揺れる草の音だけが聞こえる。
そして――。
「……なぁ、旦那」
声の調子が少しだけ変わっていた。
「ん?」
「……あんた、強いんだろ?」
俺は眉を上げる。
「急にどうした?」
「いや……その……」
ハッリは後頭部を掻き、言葉を探すように続ける。
「それだけ女を連れて歩けるってこたぁ、
守れるだけの強さがあるってことだろ?」
「……まぁ、必要な時はな」
「だよな」
ハッリはうつむき、少しだけ笑った。
「俺は“運び手”として島じゃ頼りにされてるが……
剣も殴り合いも得意じゃねぇ。
弟やノッタみてぇな子を守る力も……本当は全然足りてねぇ」
その声音は、さっきまでの軽さとは違った。
自分の無力さを真正面から認める男の声だった。
「……だからよ」
ハッリは顔を上げる。
その目には、男のプライドと必死さが混ざっていた。
「旦那。
戦い方、教えてくれねぇか?」
胸に刺さるほど真っ直ぐな頼みだった。
「……俺にか?」
「ああ」
ハッリは拳をぎゅっと握りしめる。
「グラナシルとやり合うとか、そんな大それた話じゃねぇ。
ただ――」
息を吸い込み、噛みしめるように続けた。
「弟やノッタを守れるだけの力が欲しいんだ」
その言葉に、俺の胸が静かに熱くなる。
誰かのために強くなりたいって願いは、
どこの空でも、人でも同じだ。
「……いいだろ」
俺はゆっくりと立ち上がった。
ハッリの目が見開かれる。
「教えてやるよ、ハッリ」
「……本当か!?」
「ただし」
俺は指を一本立てる。
「俺の戦い方は、“普通”とは違う。
お前に合うかどうかは分からねぇ」
「構わねぇ!」
ハッリは即答して拳を握った。
「どんなもんでもいい。
俺は……ノッタを守りてぇんだ」
その叫びは、風に乗って草原に響いた。
「その意志があるなら平気だな」
俺は肩をすくめ、少し笑う。
「――じゃあまず、“倒される覚悟”から教えてやるよ」
驚いて目を丸くするハッリを前に、
俺は一歩、半歩、距離を詰めた。
空島の風が、ふたりの間を抜けていった。




