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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第149話:白い竜の鎖


 長老の家の中は静かで、外よりさらに風の音がよく響いた。

 壁には古布がかけられ、そこに――白く巨大な、羽のない龍が描かれていた。


 龍は長い身体を幾重にも巻き、

 その背には島の影が乗っている。


(……なんだこれ。刺繍……絵か?)


 長老がその布の前に立ち、重い口を開いた。


「これが、グラナシル様のお姿だ」


「白い……竜なのか?」


 俺が訊くと、長老はゆっくり頷いた。


「羽はない。風と雲を食らい、空を渡る御方。

 千年前、この空を創った“女神の使い”と伝わっている」


 どこか宗教めいた声色だった。


「空の民は皆こう教わる。

 かつて地上は闇に焼かれ、魔族に蹂躙され、

 大地は溶け、海は煮え、

 人は滅ぶ寸前だった……とな」


 リネアが息を呑む。


 長老は続ける。


「女神様はその中から“心正しき者”だけを選び、

 グラナシル様に託した。

 祖先は背に乗せられ、この空へ導かれた……と」


(……いやいやいや)


 さすがに眉が動いた。


 地上が火の海?

 魔族?

 人類が絶滅しかけ?

 女神が“選別”して空に運んだ?


(そんな話……アーリアからも一度も聞いたことねぇが……

 とはいえ、俺も千年前の歴史に詳しいわけでもねぇ)


 自分の知識の限界を冷静に噛みしめる。


 長老がふと、龍の絵へ指を滑らせた。


「だが――」


 声が少しだけ、揺れた。


「この伝承がどこまで真か……我らには確かめようがない。

 空へ移った時の記録も、古書も、

 長い年月のうちにほとんど失われた。

 “グラナシル”という名も……本当は別の名があったらしいが、

 もう誰も知らん」


(名前すらわかってねぇのか……)


 俺自身、初めて聞く名前だ。

 グラナシルも、その神話も――全部俺には未知の領域。


 一つだけ、はっきり言えることだけがある。


「……少なくとも」


 俺は長老を見た。


「地上は火の海じゃねぇよ。

 俺がさっきまで地上にいたんだ。

 街も国も普通にある。

 魔族も、殆どが滅んでるはずだぜ?」


 長老の瞳が、大きく揺れた。


「……なんと……」


「“女神が人を空に連れて行った”って話は……

 俺には判断できねぇ。

 千年前に何があったかなんて、俺も詳しくねぇからな」


 その一言に長老は息を詰まらせる。


 俺は続けた。


「だが――地上が滅んだ世界って話は、断言して否定できる。

 それだけは確かだ」


「…………」


 長老はしばらく黙り込み、

 両の手を重ね、深く目を伏せた。


「……我らは……千年もの間……

 死んだ大地から逃れてきたと……そう信じてきた……」


(信じ込んでるってことか。悪意じゃなく、情報が途絶えてる)


 俺はため息をひとつ落とした。


「だからって、生贄が正当化されるわけじゃねぇけどな」


 その一言に、長老が顔を上げた。


 長老はゆっくりと息を吸い――

 震える指で、窓の外の“空”を示した。


「……だがな、下の民よ」


「ん?」


「伝承が嘘でも、本当でも……それとは関係なく――

 この島が落ちれば、我らは本当に死ぬのだ。」


 部屋の空気がひやりとした。


「生贄がなくとも済むのであれば、

 誰が好き好んで我が子を差し出すものか……」


 長老の声が、微かに掠れた。


「だが現実は違う。

 “捧げねば島は揺れ、雲は割れ、

 湖は干上がり、作物は枯れた。”

 これは伝承ではなく――

 年に一度、実際に起きる現象だ。」


「……島が揺れる?」


 俺が眉をしかめると、長老は静かに頷いた。


「大地が鳴る。

 雲が裂け、光が砕けたように揺らぎ……

 島の縁から土が崩れ落ちる。

 水脈は細り、井戸は干上がる。」


 ハッリが悔しげに唇を噛んだ。


「……俺も一度だけ小さい時に見た事がある……。

 あれは……本当に島が死ぬのかって思った……」


 長老の目が苦しげに細まる。


「だから、“生贄”という名のもとに……

 犠牲を捧げれば島は元に戻るという事実だけが残った。

 理由も意味も……もうわからん……。

 だが、選ばれた者が捧げられた年は島は安定し、湖は満ち、作物は実る。」


(……伝承は怪しいが、“現象”は本物ってわけか)


 俺は腕を組む。


(つまり、竜がどうとか以前に、

 島の安定が“誰かの命”と連動している――仕組みそのものがヤバい

 その仕組も本当かわからねぇけどな……)


 長老は続けた。


「我らは愚かかもしれん……

 だが“死ぬよりはまし”と、

 千年の間、そう選び続けてきたのだ」


 その言葉は、言い訳のようで。

 しかし誰よりも痛みを飲み込んだ者の声だった。


 長老の沈黙が落ちついたころ、俺は腕を組んで口を開いた。


「……一つだけ、提案があるんだが?」


 長老もハッリも、わずかに顔を上げる。


「もし島が落ちるとして――

 全員が“安全に降りられる術”を用意できねぇか?」


「……降りる……?」


 長老が目を細め、ハッリも戸惑ったように眉を寄せた。


「お前らが滑空に使ってるあの道具、全員分作って、

 島が落ちる瞬間に一斉に飛ぶ。

 そうすりゃ……死ぬ確率は減る」


 ハッリはすぐ、首を振った。


「無理だ。まず、クランダ【滑空道具】は誰でも扱えるもんじゃない。

 風の癖を読む技術が必要だし……

 上昇も減速も“ソラル石の扱い”で全部変わる。


 素人が飛んだら、逆に雲の海に叩きつけられる」


 長老も静かに続けた。


「材料も足りぬ。

 クラ・エン【雲樹】は島の上層にしか生えない。

 全員分は到底無理だ」


 ハッリはさらに、苦い顔をした。


「仮に……全員が無事降りられたとしても……食う物もねぇ。

 地上のどこの国に降りるかも分からねぇ。

 言葉も何もかも違う。

 いきなり“見たこともねぇ土地”で暮らせるわけねぇだろ」


 言われてみりゃその通りだ。


 住む場所も、水も、食糧も、何もねぇ。

 それをいきなり何百人規模で抱えろって言われたら、地上でも無理だ。


「……なら、俺の船で往復……」


 言いかけた瞬間、ハッリが即座に否定した。


「それこそ無理だ、旦那。

 グラナシルが……“何もしない”わけがねぇ」


 長老が重々しく頷いた。


「グラナシル様は……我らを守っている。

 外のものを、決して近づけぬ。

 空を乱す者は、容赦なく排除なされる」


「…………」


 そこで。


 脳裏に、いや肌の奥に――

 あの感覚が蘇った。


 空を突き抜ける前、雲の中。

 視界の裂け目から覗いた、灼いた金色。


(……見られた。間違いなく)


 あれは偶然じゃない。

 気のせいでもない。


 “確実に、こちらを睨んでいた”。


 ぞく、と背筋が冷えた。


(……俺がこの島に踏み込んだ瞬間から、敵認定ってわけか)


 ハッリが俺の顔色を見て、小声で言う。


「旦那、まさか……見たのか?」


「まぁな」


 俺は肩を落とし、天井を一度だけ見上げた。


 どう考えても――

 話して済む相手じゃねぇ。


 生贄を求め、島の人間を千年縛りつけ、

 外から来た者を“即排除”する存在。


 それが、あの白い竜。


(説得?)

(交渉?)

(回避?)


(……全部無理だろ、あれ)


 なら――


 もう、答えは一つしかねぇ。


「……やっぱ」


 俺は息を吐き、立ちあがった。


「戦うしかねぇか」


 長老もハッリも、息を呑んだ。


 リュカの尻尾がぴんと跳ね、

 シアが小さく震え、

 リネアが目を見開く。


「コール様……!」


「いや、わかってる。

 簡単じゃねぇ……それに、万が一にも勝てたとして……」


 俺は視線を戻し、ハッリを見る。


「その竜が死ねば、おそらくは島が落ちる……」


 長老の喉が、ごくりと鳴った。


「……そうだ。

 グラナシル様は、島と雲と水脈そのものを支えておられる。

 もし御身に何かあれば……この島は、空にいられぬ」


「だよな……」


 言い切った自分の言葉が、そのまま自分の首を絞める。


 倒せば落ちる。

 倒さなければ、生贄は続く。


 どっちに転んでもロクでもねぇ。


 しばらく誰も口を開かなかった。

 風の音だけが、古い家の隙間を抜けていく。


「……生贄の“日”まで、どれくらいだ?」


 沈黙を切るように、俺は問うた。


 長老がゆっくりと目を伏せ、指を折って数える。


「……まだ、だいぶ先だ。

 月がもう一度満ち欠けし……その次の“満ちる夜”が、その日となる」


「時間はあるな……」


 中途半端に長い。

 何かを仕込むには短く、何もしないで見送るには長すぎる猶予だ。


 俺は小さく息を吐いた。


「……少し考える。

 しばらく、この島にいてもいいか?」


 長老は顔を上げ、じっと俺を見た。

 ハッリに一度だけ視線を送り、また戻す。


「……よい。お前たちが悪しき者でないのは分かった」


 ほっとしかけたところで、長老の言葉が続く。


「だが――あまり長くは留まるな」


「……理由を聞いても?」


「グラナシル様が通した者とはいえ……あの方はこの空のすべてを見ておられる。

 雲の流れも、風の乱れも、空を行き交う者の影もだ。


 “下の民”が長く留まれば――

 それだけで、空を乱す異物とみなされるかもしれぬ」


 ハッリも苦い顔でうなずいた。


「実際、さっきから風の流れが少しおかしい。

 あんたらが来てから、雲の高さが微妙に変わってる」


(マジかよ……)


 あの金色の眼差しが、脳裏をかすめる。

 ただ見られただけで、背筋がまだ冷えている。


「……わかった。

 長居はしねぇよ」


 そう答えるしかなかった。


 ここで突っ張ったところで、状況が良くなるわけでもない。

 手札がねぇなら、あるふりをして粘るしかない。


 長老は小さく頷いた。


「ハッリ。客人たちを外へ」


「……ああ」


 家の扉を開けると、眩しい光と風が一気に流れ込んできた。


 外ではまだ、子どもたちがイルクアスターを遠巻きに眺めている。

 さっきの少年――ファッロが、こちらに気づいて手を振った。


「兄貴ー! 下の民の人、怒られなかったか!?」


「うるせぇ、黙ってろ!」


 ハッリが怒鳴り返す声を背に、俺は一度だけ振り返る。


 開け放たれた扉の向こうで、長老が黙ってこちらを見ていた。

 その目に宿っているのは、恐れでも拒絶でもない。


 ただ――千年分の疲労と、かすかな期待だ。


(……手詰まり、か)


 足元を風が撫でる。

 遠くで雲が裂け、薄い光が島の縁を照らしていた。


(生贄の日までは、まだ間がある。

 その間に、何か一つでも――あの竜の“鎖”を切る糸口が見つけられりゃいいが)


 答えはまだ、何ひとつ見えちゃいない。

 それでも俺は、外の風を胸いっぱいに吸い込んでから、

 空に浮かぶ島の街へと歩き出した。

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