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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第148話:下の民


 青年はハッリと言う名前らしい。

 ポッ◯ーはつかない……。


 ハッリから事情を聞き終えたころだった。


 甲板の扉がきしみ、小さく開く音がした。


「……コール様? 今、誰かの声が……」


 おずおずとシアが顔を出す。

 続いてリュカ、リネア、ネラも後ろに並んだ。


「な、なんだよここ……空の……上、だろ……?」


 リュカは柵にへばりつき、尻尾を総立ちにしている。


 リネアは手を口元に当てたまま、震えながら空島を見下ろしていた。


「……雲の上に……島?」


 ネラも息を呑む。


「……なんだ、これは」


 その反応を見て、青年は驚いたようにまばたきした。


「やっぱ……“下の民”なんだな。

 空島見るの、初めてって顔だ」


「下の民ってなんだ? てか誰だ? ……名前は?」


 リュカが眉を寄せる。


「ハッリだ」


 運び手の青年――ハッリは、短く名乗った。


「ここじゃ、ああいう島は普通だよ。

 俺達にとっては、雲より下に住んでる人間なんて……

 “死んだあとの、魂の世界の住人”ってぐらいだ」


(まぁ……そういう文化なら、俺らは“亡者”に見えても仕方ねぇわけか)


 俺は青年を顎で促した。


「で……話はこうだよな?」


 青年が硬い表情で黙って頷くのを確認してから、続けた。


「――この島はグラナシルって竜に支えられてる。

 島が雲に落ちないように浮かせてるのも、

 湖の水を作ってるのも全部そいつ。

 そのかわり……年に一度、“生贄”を差し出す」


 リネアが息を呑む。


「そんな……ひどい……」


「でも、だから逆らえないんだろ?」


 俺が問うと、青年は悔しそうに拳を握った。


「ああ……。

 グラナシル様がいなきゃ、この島は雲の底に落ちて死ぬ。

 水も尽きる……そうすれば畑は作れない……どのみち皆死んじまう……。

 だから誰も逆らえない。

 “仕方ない”って……そう言うしかない」


「仕方ねぇで片づけられる話じゃねぇな」


 俺は眉間を押さえながら吐き捨てるように言った。


 生贄の話なんてもう腹いっぱいだ。


 青年は続ける。


「……その“生贄”に選ばれたのが……長老の娘だ」


「長老の、娘……?」


 リュカが目を丸くする。


「島じゅうが世話になってる家だ。

 俺もガキの頃から世話になってた。

 血は繋がってねぇが……あいつは、妹みてぇな存在なんだ。

 だから……助けたい。どうにかして……」


 言葉が震えていた。


(なるほどな……そういう“理由”か)


 俺は腕を組み、少しだけ深く息を吸う。


「……で、さっきの話の続きだが」


 青年は不安そうにこちらを見つめる。


「島ん中の事情を話した以上……俺も、村にも知らせないといけない。

 お前たちを、このまま隠しておけねぇ」


「街に降ろせばいいんだな?」


「……ああ。

 あの島の森を迂回して湖の横に下りれば船が置ける。

 島のみんなが集まる広場にも近い」


「よし、案内しろ」


 俺が声を上げると、シャドーズが静かに並び、

 イルクアスターはゆっくりと街の方角へ滑り始めた。


 風が甲板を撫でる。


 シアが袖をぎゅっと握りしめながら声をこぼした。


「……これからどうなるんでしょう?」


「さぁな……いつもどおり」


 俺は空島の街並みを見下ろしたまま呟く。


「――面倒事の匂いしかしねぇ」


 だがもう、引き返す気はなかった。


 グラナシル。

 生贄。

 島を支える竜と、竜に縛られた人々。


 この空の世界で、厄介な火種がいま動き出していた。


ーーーーー


 イルクアスターを草原へ向けて降ろしていく。

 湖と街のあいだに広がる平地に、柔らかい風が渦を巻いた。


「……このへんなら降りられるだろ」


 青年が指を差す。

 雲の影が草にゆらめき、湖面が薄く揺れている。


 着地すると、船体が草を押し分けて静かに止まった。


 次の瞬間――


「な、なあ……あれ……落ちてきた?」

「動いてる……木の……なに? あれ、なに?」

「人が……中に……?」


 街のほうから、ざわざわとした声が押し寄せてきた。


 だが――

 誰ひとり武器なんてものを持っていない。

 そもそも“戦う”という文化がないのだろう。


 恐る恐る距離を取りながら、

 そのくせ目を見開いてこちらへ歩いてくる。


 老人、若者、子ども……。

 手には、農具でも杖でもなく、

 ただ風除けの布とか、荷物を包んだ袋を持っているだけ。


 そのどれもが、


『怖いけど見たい……!』


 という顔だった。


(……外敵がいねぇ世界ってのは、ほんと平和なんだな)


 俺の横で青年が肩をすくめた。


「隠す気はねぇよ。

 “外から来たやつ”がいるなら、皆に見せねぇと逆に怪しまれるからな」


「そういうもんだろうな」


「空は狭いからな。

 隠し事ってのは、すぐに島中に響く」


 やがて、街から走ってくる別の影が見えた。


 ――ヒュウウウッ。


 上空から滑るように降りてくる影。


「また運び手か……」


 青年の仲間たちが、布の翼を広げながら滑空してくる。

 さきほどの青年よりも軽やかな動きで、まるで風そのものだった。


 彼らは草原に着地すると、

 目の前のイルクアスターを見て口をぱくぱくさせた。


「本当に……生きてんのか!?

 しかもこれ、木なのに……浮いて……!」


「中に人がいっぱいいる……!」


 怯えと興奮が入り交じった声。

 島の民たちがぐるりと囲むように集まり、

 その中央に、俺たちと青年が並んだ。


 そこへ――

 街のほうから小さな影が飛び出してくる。


「兄貴ーー!!」


 走ってくる少年。

 青年と似た目元だが、より素直な光のある顔。


(こいつが弟のほうか?)


「ファッロ、ノッタは一緒じゃないのか?」


 ファッロと呼ばれた少年は、まっすぐ兄に飛びつくように止まった。


「ノッタは今家だ。それよりこれなんだよ!? 羽もないのに飛んでたぜ?!」


「ああ、下から来た奴らだ」


「下? 雲の下から? ……ってことは亡者!?」


「おい、勝手に死人にするな……まぁ、ある意味違わねぇけどな?」

「落ち着けファッロ、この旦那は死んだ魂でもない、もっとすげぇ人だ」


(おいおい、やめろやめろ……周りの視線が余計痛くなる……)


 弟のほうが俺を見て、息をひゅっと呑んだ。


「……すげぇ……

 本当に……生きてる……下の世界の人間かよ……」


 その目は、恐怖ではなく、ただただ“知りたい”光だった。


 すると青年が大きく息を吸い、周囲へ向き直る。


「皆、聞いてくれ!

 この人たちは、“雲の底”のさらに下から来たんだ!」


 草原が静まる。

 千切れた雲の影が、島に落ちていく。


「俺は……こいつらに頼むつもりだ。

 生贄に選ばれた長老の娘――あの子を……助けてもらうために!」


 ざわっ、と空気が揺れた。

 青年の弟ファッロが声を上げる。


「兄貴……!」


 周囲の住民はざわめきながら、しかし誰も否定しなかった。

 “生贄”という言葉に、全員が一瞬だけ、目を伏せた。


(ああ……もう島全体が、心すり減らしてんだな……どこぞの国とは大違いだ)


 俺は一歩前に出る。


「……案内してくれ。

 必要なのは、この島の全部の情報だ。

 できれば長老とも話したいんだが?」


 青年が深く頷く。


「……ああ。頼む」


 風が草原を駆け抜けた。


 街の奥――

 古い石造りの建物の前に、ゆっくりと一人の老人が現れた。


 杖も武器も持たず、ただ風を受けて立つ姿。


「……長老だ」


 青年の声に、島の民が静かに道を開ける。


 風の唸りがやみ、

 空島の中心へと向かう道がまっすぐに延びた。


 老人は、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


 風に白い髭が揺れる。

 シワだらけの目は細く、だが濁ってはいない。


「……ハッリ」


 低く名を呼ぶ声に、青年の背筋がぴんと伸びた。


「長老……」


「その者たちが……“下の民”か?」


 長老の視線が、ゆっくりと俺たちをなぞる。

 リネアは俺の後ろから様子をうかがい、リュカが無意識に耳を伏せ、シアが俺の袖をきゅっと掴んだ。


「……そうだ。雲の底の、さらに下から来たってさ」


 ハッリが答えると、周りのざわめきが一度大きくなって、すぐに飲み込まれた。


 長老は小さく息を吐く。


「……帰ってもらう。」


 その一言に、空気がきゅっと縮んだ気がした。


「長老!?」


 ハッリが思わず声を荒げる。


「空の掟は変えられん。

 外から来た者を巻き込むわけにはいかん。

 ましてや、“下から来たよそ者”など……容易く入れるでない」


 長老の声は静かだったが、決して弱々しくはなかった。


「だが長老……! ノッタは……!」


「黙れ、ハッリ」


 短く、しかし痛烈な響き。

 青年が奥歯を噛みしめるのがわかった。


「グラナシル様との約定は、千年続いてきたものだ。

 一人の情でひっくり返してよい話ではない」


(……千年ねぇ)


 俺は鼻で笑う。


「で、その“千年の約定”とやらの結果が、生贄で帳尻合わせ、か」


 長老の視線が、今度は真正面から刺さってきた。


「下の民よ。

 お前たちには、この空の重さはわかるまい」


「そうだな。

 代わりに、地面に押しつぶされそうな国は見てきた」


 俺は肩をすくめる。


「だが結局、やってることはどこも似たようなもんだ。

 “仕方ない”って言いながら、自分可愛さに若いのを差し出して、

 年寄りが生き延びる」


 周りの空気がぴり、と震えた。


 ハッリが「おい……」と止めかけるが、俺は続けた。


「一応確認するが――」


 長老を正面から見据える。


「本っ当に、お前らは“全部やりきった上で”諦めてんのか?

 できることを全部試して、それでもダメだったから、

 “仕方ない”って言ってんのか?」


 長老の眉が、かすかに動いた。


「……何が言いたい」


「簡単な話だ。

 自分たちが“怖いから”動かないのを、

 グラナシルって竜のせいにしてねぇかってことだ」


 ざわっ、と今までで一番大きなざわめきが起きた。


 シアが不安そうに俺を見上げる。

 リネアは唇を噛み――それでも目を逸らさなかった。


 長老は目を閉じ、深く息を吸った。


「……無礼な下の民だな」


「褒め言葉として受け取っとく」


「だが――」


 長老は目を開けた。

 そこに宿っているのは怒りだけじゃない。

 長い時間、何度も同じ選択を繰り返してきた者の、重い疲労だった。


「ここで言い争っても、皆を混乱させるだけだ。

 ……中で話そう」


 周りがどよめく。


「長老!? 外の者と……!」


「よい」


 その一言で、ざわめきはすっと引いていく。


「ハッリ、案内せよ。

 お前が連れてきた客人だ」


「……わかった」


 ハッリが、ほっとしたような、それでもまだ張りつめた顔で頷く。


 俺は息を吐いた。


(追い返されるよりはマシか)


「行くぞ、お前ら」


 リュカが尻尾をばたばたさせながら頷き、

 シアは緊張した面持ちでそれでも一歩を踏み出す。

 リネアとネラも、互いに小さく目配せをして並んだ。


 空島の民が左右に分かれ、道が開く。


 その先――古い石造りの建物が、雲の光を背負って静かに立っていた。


(グラナシル、ねぇ……)


 胸の奥で、じわりと熱があがる。


(――千年続いた決まり事、ちょっとぐらい崩しても罰は当たらねぇだろ)


 そう思いながら、雲一つない、

 いつもより近い青空を見上げ、歩きだした。

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