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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第136話:猫の実験台


扉が閉じられると、

湿った海風も、甲板ののどかな釣り糸の音も遠ざかる。


薄暗い船長室には、

俺とリュカ――その二人だけ。


リュカは壁にもたれて腕を組み、

しばらく無言で俺を見ていた。


やがて、低く息を吐く。


「……で? 昨日、何があったんだよ」


声は静か。

けれど、逃げ道を塞ぐ重さがあった。


「シアがあんなに泣くなんて……久しぶりに見た」


リュカの影が床に揺れる。

光の揺らぎのせいじゃない。

胸の内のざわつきが、そのまま滲み出ていた。


俺は椅子に腰を落とし、

頭をかきながら答える。


「……ちょっと噛み合わなくてな」


「“ちょっと”であんな顔になるわけねぇだろ」


リュカが一歩踏み込む。

その気配に空気が張った。


怒っているようで――怒っていない。


だが、家族を守る者の目をしていた。


「コール。

 昨日シア、ずっと泣いてた。

 声かけても返事しないで……

 毛布に丸まって震えてた」


言葉を吐くたび、リュカの指が強く握られる。


「……泣くときはだいたい側に居て泣くんだ。

 でも昨日は違った。あたしが声をかけても……全然こっちを見なかった」


その言い方に、

姉としての苦しさが滲んでいた。


「だから聞いてるんだよ、コール。

 “何があった?”って」


俺は口を開きかけるが、

喉に言葉がひっかかったように出てこない。


(……全部俺のせいだ)


分かってても、言えない。


沈黙が落ちる。


重い。

痛いほど重い。


耐えきれず、リュカが口を開いた。


「お前が……シアを大事にしてるのも知ってる。

 あいつがお前を好きなのも知ってる」


そこでリュカは目を伏せた。


「……なのになんでだ?」


静かだが、胸に刺さる問いだった。


(……本当に、真っ直ぐすぎる)


俺は天井を見上げ、深く息を吐いた。


「……俺の言い方が悪かった。

 あと、リネアが来てから……シアの気持ちの変化にも気づいてたのに……

 向き合う覚悟がねぇまま話した」


リュカの耳が、ぴくりと動く。


「……シアの気持ち、知ってたろ?」


「あぁ……シアは……ただの命の恩人ってだけで俺を見てないってのは、とっくに分かってる……」


「なら……ちゃんと言ってやれよ……」


リュカは拳を握りしめたまま続ける。


「言った……だから困ってる。

 俺にとっては……お前やシアは家族みたいなもんだ」


そのとき――


窓から入る光が、リュカの髪飾りの青と、

俺のイヤリングの青を反射させて重なる。


ふたつの青が重なって、

“家族”という言葉の象徴みたいに見えた。


俺はそれを眺めながら、苦い気持ちになる。


(……俺一人の考えは、もう出ねぇ。

 だからこそ――糸口を見つけないと)


そして、リュカを見て言った。


「……なぁ、例えばの話だ」


「?」


「俺がいきなりお前に、

 “めっちゃ好きだ! 愛してる! 今すぐ結婚しよう”

 なんて言ったら……どう思う?」


「はぁ!?」


リュカが目を丸くする。


だけど、俺が冗談じゃなく真面目な質問だと気づいた瞬間――

真剣に考える顔になった。


「まぁ……別にお前なら……」


「あ……あのなぁ」


想定外の返答に、

俺は思わず姿勢を正してリュカを見た。


「例えが悪かった……今のは、なしだ……」


「お、おぉう……」


(いや、なんで照れてんだコイツ……)


俺は目を押さえてため息をついた。


「はぁ……。

 俺にとっては、お前やシアはまだまだ子供だ」


リュカが眉を吊り上げる。


「おまえ……そんなこと言ったのか?」


「……言った」


リュカは額を押さえた。


「そりゃ泣くわ……」


そのあと、リュカはゆっくり俺を見据えて言う。


「……なら、リネアはガキじゃねぇのかよ?」


その問いは、真正面からだった。


俺はしばらく黙り、

それから静かに答えた。


「リネアは……そもそも記憶が何もない俺だったからな」


リュカが瞬きをする。


「俺の故郷のことも、価値観も……全部まっさらだった。

 だから――こっちの当たり前をそのまま受け入れて、

 “隣”にいた」


海の匂いがわずかに漂う。

外では波が船体を叩いていた。


「でも今の俺は“コール”だ。

 全部覚えてる。

 もうナイルじゃねぇ」


椅子の背にもたれ、視線を落とす。


「もし……俺がナイルのときにお前らと出会ってたら――

 たぶん逆だったろうな」


リュカは目を細め、

本当に少しだけ笑った。


「……めんどくせぇ男だな、コールは」


「自覚してる」


リュカは、少しの静寂のあと、

ぽつりと、しかし真剣な声で言った。


「なぁコール」


「なんだ?」


リュカは組んでいた腕をほどき、

胸の前でぎゅっと指を握りしめる。


「……おまえ、あたしらを家族って思ってくれてんだろ?」


「……あぁ」


迷いなく答えると、

リュカはほんの少しだけ、目を伏せた。


「……けどな。

 あたしら……お前の過去とか、何も知らないままなんだぜ?」


その声は責めていなかった。

ただ寂しさを押し殺した声だった。


「お前はそれでいいのかもしれねぇけど……

 あたしら……ちゃんと、お前のこと知りたい」


「リュカ……」


俺は、“家族だ”と言いながら、

自分の過去についてどれだけ黙っていたのか――

気づかされる。


リュカはぐっと顔を上げる。


「なぁ、お前の故郷の“大人”って、どれくらいからなんだ?」


「……18の時もあれば、20の時もある」


「……変わるのか!?」


「まぁ……ほら。

 “この儀式ができなきゃ成人じゃねぇ”みたいなの。

 そんなもんだと思っときゃいい」


「ふーん……」


リュカは顎に指を当てて考え込む。


「……じゃあさ」


「ん?」


「お前から見て、あたしらって……いくつなんだ?」


そう聞かれて、俺は一瞬言葉に詰まる。


「いや、分からん…。

 そういえば……お前らの一族って成人の年齢どうなってんだ?」


リュカは胸を張って言った。


「決まってるよ。

 “みつかの祝い(三日ノ祝)”だ」


「みつかの……いわい?」


「ほかはしらねぇけど、あたしら一族の誕生日って3回目祝うんだ。

 1つ目の時は“命の祝”、生まれて無事に一年たった祝。

 6つ目の時が“青牙の祝”、牙が生え揃った祝。

 で――14の時の誕生日が“成牙の祝”なんだ」


獣族らしい、

本能と家の伝統が混ざった風習だ。


「シアはまだ14の祝いを迎えたばっかだったし……

 あたしは1年早く生まれてるから、16か?」


「そうか……」


ふたりの年齢が、

ようやく明確な“数字”として胸に落ちる。


ますます俺の中では子供認定が進んだ――


リュカがじろっと睨んできた。


「……んだよ? まだまだガキってか?」


「当たり前だ。

 さっき言ったろ、俺んとこの成人」


「ふ〜ん?」


リュカはニヤッと口の端だけ上げる。


「じゃあさ。

 もしエレナが、あたしらと同じ歳でもそうなのか?」


「は? エレナが!?」


一瞬、頭の中が真っ白になった。


(エレナが……シアたちと同い年……?)


鎧姿のエレナ。

王国騎士としての立場。

背筋の伸びた姿。

炎の中でも微動だにしない眼差し――


どうやっても「子ども」には分類できない。


(いや、そもそも……エレナの歳、俺はちゃんと聞いたことすらねぇじゃねぇか)


リュカはその表情を見逃さない。


「ほら。今、一瞬で顔に出た」


「……うるせぇ」


「エレナがあたしらと同じ歳だったら“子ども”って言えんのか?

 “妹みたい”って撫でられんのか?」


ぐさり、と心のど真ん中を刺してくる。


俺は口を開きかけるが、

何も出てこない。


リュカは肩をすくめた。


「結局さ。

 お前の“子ども”って、年じゃなくて――

 その時の自分の立場とか、見た目とか、

 そういうので決めてんじゃないの?」


「んなこと言ったってなぁ……」


「シアだってそうだろ。

 鎖につながれて、病気で、今にも死にそうだったときのまんま、

 “守らなきゃいけない子ども”って枠に閉じ込めてる」


胸の奥が、ぐっと掴まれたように痛む。


図星すぎて、否定できない。


「……エレナが大人に見えるのは、

 鎧着てて、騎士で、しっかりしてて……

 “そうあってほしい”ってお前が思ってるからだろ?」


リュカは少し笑って、肩で息をした。


「っま、エレナは人間だからお前と変わんねぇ歳だろうけどな」


諭されたような、からかわれたような、微妙な一撃。


(……完全に論点ずらされてる気もするが)


俺が眉をひそめていると――

リュカが、ふっと表情を変えた。


「ふぅ……」


「なんだよ?」


さっきまでのリュカじゃない。

妙にしなやかな、見たことのない顔。


とん、とテーブルの縁に足をかける。


「ん?……おい? リュカ?」


次の瞬間、リュカはテーブルの上に軽々と飛び乗った。


木板がきしむ音。

彼女の気配が一気に近くなる。


さっきまで壁にもたれていた獣族の少女が――

どこか舞台の上みたいな雰囲気で、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。


「……な、なんだ?」


思わず椅子の背にもたれた。


リュカは答えない。

ただ、いつもよりゆっくりと……。


髪が揺れ、

腰のしなりがいつもより強調される。


(……誰だお前)


心の中でツッコむ暇もなく、リュカはテーブル端まで来ると――


コト、と音を立てて、俺の椅子の手前に足を下ろした。


視線の高さが、ぐっと落ちる。

目の前に、リュカの顔。


膝にほとんど触れそうな距離に立ち、

リュカはそのまま、俺の胸にそっと手を置いた。


リュカはわずかに首筋を傾け、

肩口から上着をすこしずらして――白い肌を覗かせる。


「……お、おいリュカ?」


さすがに声が裏返る。


シアとは違う、

少し大人びた、艶のある空気。


そのまま――


リュカは鼻を近づけて、胸元あたりで


すん……すん……


と、小さく鼻を鳴らした。


獣族特有の、匂いを確かめる仕草。


数秒、じっと俺の匂いを嗅いで――


ぱっと手を離す。


「匂いがない……ちがったか……」


小さくそう呟くと、

何事もなかったかのように、すっと一歩下がった。


「……はぁ?」


置いていかれたのは俺の理解力だけだった。


リュカはテーブルからひょいと降りて、

いつもの距離感に戻る。


「もしかしたら、胸のない方が好きなのかと思って。

 ほら、なんかそういう趣味のやついるんだろ?」


「はぁあ!?」


思わず椅子をきしませて肘をついて頭を抑える。


「俺で何の実験してんだお前は……」


「いや、“子ども”だのなんだの言うからさ。

 もしその気になれば……シアに迫れば行けるって教えてやろうかと」


リュカは肩をすくめる。


「この……バカ猫がぁ〜!」


俺は立ち上がり、

リュカの頭をがしっと掴んで、そのままミシミシと握り込んだ。


「い、いたたたた!? 冗談! 冗談だって!!」


「誰を実験台にしてやがる!」


「わ、わかったから! 耳はやめろ、耳は折れるって!!」


じたばた暴れた末に、

ようやくリュカは俺の手からするりと抜け出す。


ふぅ、と息を吐きながら頭をさすり、


「……ったく、いって〜、馬鹿力かよ」


とか、ぶつぶつ文句を言いながら扉の方へ歩いていく。


だが、出る前にふいに振り返った。


「……まぁさっき、誕生日の祝の話したけどさ」


ニヤァ、と口の端だけで笑う。


「実はもう一つ、あるんだぜ?」


嫌な予感しかしない笑みだった。


「……なんだよ、その顔」


「ん〜? “みつかの祝”の話、したろ。

 命の祝、青牙の祝、成牙の祝――」


指を一本ずつ折ってみせてから、

わざとらしく一本、立てたままにする。


「実はな。

 成牙のあとにも、もうひとつ“祝い”がある」


「……誕生日じゃねぇのに、祝い事か」


「そう。じつは……」


そこでわざと、言葉を切る。


溜めに溜めて俺の反応を見て、

リュカはますます楽しそうに目を細めた。


「詳しい話は、そのうちな!

 ――もしかしたら、シアもそろそろかもしれねぇし……」


意味ありげにそう言って、

リュカは扉の取っ手に手をかける。


「はぁ!? おい、リュカ。今のどういう――」


「っま、楽しみにしとけよ、じゃあな!」


にやり、と笑って片目をつぶり、


ぱたん、と扉は閉じた。


船長室には、再び静寂だけが残る。


「……なんだよ、成牙のあと、もう一つって……」


胸の奥に、気まずさやら不安やら、

さっきの“実験”の熱やらがぐちゃぐちゃに混ざったまま、

俺は長く息を吐いた。


さっきまで「まだ子どもだ」と言い張っていた言葉が、

妙に心の中で浮いて見える。


「……ほんと、騒がしいガキども拾っちまったもんだ……あ」


そういや、結局この後シアをどうするか相談できてねぇ……。


「あのどら猫……からかうだけからかいやがって……はぁ」


ため息をついて、

俺はゆっくりと立ち上がった。

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