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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第132話:浅すぎる埋葬/空に還る者 (ナイル編・完)


丘の上は静まり返っていた。


リネアはまだ墓の前にいた。

涙で濡れた頬は乾いても、胸の痛みは消えない。


墓石にそっと触れながら、小さく呟く。


「……ナイル………どこにも行かないって…約束したのに………」


ネラは少し離れた場所で黙って見守っていた。

リネアの肩は小刻みに震え続けている。


風が止んだその瞬間――。


コツ……ッ


なにか硬いものが“内側”から石に触れたような音。


「……え?」


リネアは顔を上げた。

次の瞬間、地面が小さく震えた。


土が、ゆっくり盛り上がる。


ネラが息を呑む。


「リネア、下がれ」


言い終わる前に、


ボコッ!!


土が割れ、暗い穴が開いた。


リネアは叫ばない。

ただ息を止めたまま、穴を凝視する。


中から――


人の手が突き出された。


土にまみれ、冷たそうで、

でも確かに“生の力”を宿した手。


リネアの唇が震える。


「……ナイル……?」


やがて、穴から腕が……肩が……そして頭が――


勢いよく、

ズボッ!!

と飛び出した。


土まみれの男が、墓からよろけながら半身を出す。


「ぶはっ……! ぺっ!! ぺっ!!

 くっそ……口の中まで土じゃねぇか……!

 最悪だ……!」


最初の一言がそれだった。


リネアは目を見開き、手で口を押さえる。


「……っ……ナ……ナイル……?」


ナイル、いや――コールは地面に手をつきながら、

口の中の砂を吐き出していた。


「ぺっ……! ……ああ、クソ……

 俺の葬式、誰が仕切ったんだ……

 埋め方が雑すぎんだろ……」


土を払いつつぼやくその姿が、あまりにも“いつも通り”で。


リネアの膝から力が抜けた。


「……ナイル……

 ……ほんとに……っ……!」


コールがようやく顔を上げる。


太陽が照らしたその顔は、

以前より少しやつれていて、

目の下に影があって、

土だらけで。


でも、間違いなく――生きていた。


「よぉ……リネア……」


その声を聞いた瞬間。


リネアは、何も考えずに彼に抱きついた。


「ナイル!!!

 ばか!! ばか!!

 なんで……なんで戻ってきてくれたの!!

 うれしい……!!」


声にならない声で泣き崩れるリネアを、

コールは片腕で支える。


「……泣くなよ……

 せっかく……帰ってきたんだしよ……」


息はまだ荒い。

立つだけでやっとだ。


それでも、

その手は確かにリネアの背に触れ、撫でていた。


ネラは口を開けたまま硬直していた。


「……生きてる……ナイル……」


ーーーーーー


半壊したイルクアスターは、冷気に沈んでいた。


影の船員も消え、

船はただの“空っぽの器”のように静かだった。


リュカは壁にもたれ、膝を抱えてうずくまっていた。

シアは横で、涙の跡を残したままぼんやり床を見つめている。


「……ねぇ、リュカ……」


「……なんだよ」


「もう……コール様……戻ってこないのかな……」


シアの声は震えていた。


リュカの眼も真っ赤だった。


「あいつは……死んだんだ……

 でも……こんなの……イヤだ……」


そのとき。


コツ……


船の奥で、床板が鳴った。


リュカが顔を上げる。


「……いまの、聞いた?」


「聞いた……。

 誰か……歩いてる……?」


シアが毛布を胸に抱きしめる。


ギ……ッ……ギ……ッ……


足音は、はっきりと近づいてきている。


この船に生きているのは、二人だけのはずなのに。


「……リュカ……これ……」


「……わかってる……

 誰か乗ってきたのかもしれない……でも…この音……」


でも――

二人の胸の奥で、同じ予感が爆ぜていた。


足音は、船室の前で止まる。


ドアノブが、ゆっくりと――回る。


シアは息を止め、


「……コール様……?」


思わずその名を呼んだ。


カチリ。


扉が開き――


土まみれの男が立っていた。


服も髪も砂にまみれ、足元から土がポロポロ落ちている。

口の端にはまだ砂がついていた。


なのに、その声は。


「……よぉバカ娘ども。

 留守番、ちゃんとしてたか?」


いつものコールだった。


「……っ……コール……?」


リュカの声は震れて、言葉にならない。


シアは両手で口を押さえた。


「……コール様……?

 本当に……?」


コールは口の砂を ぺっぺっ と吐き出しながら文句を言う。


「ぺっ、くそ……まだ口の中に砂が入ってる……」


その瞬間。


「コール゛っ!!」


リュカが泣きながら飛びついた。


「コール!! コール!!

 なんで!! なんで生きてんの!

 でもよかった!! ほんとによかったよ!!」


シアも堪えきれず駆け寄る。


「コール様……!!

 うそ……うそ……生きて……っ……!!」


コールはよろめきながらも、両腕で二人を受け止めた。


胸に押し当てられる涙の重さが、

あぁ生きて帰ってきたんだ、と実感させる。


「……ただいま」


その一言に、

リュカは声を上げて泣き、

シアは胸に額を押しつけて震えた。


土と涙の匂いが、船室に満ちていく。


イルクアスターの“鼓動”が――

ゆっくりと戻ってきていた。


ーーーーーー


いつもの服に袖を通し、甲板に出た。

リネアはその姿を見て、息を呑んだ。


濃紺の上着。

腰のベルト。

剣の鞘。

その立ち姿――。


“ナイルの服じゃない”


リネアの胸がきゅっと縮む。


(……ナイルは……もう戻らないの……?

 じゃあ……私は……)


自分だけが取り残されたような感覚に、

胸の奥が静かに沈んでいく。


ネラが横で気づいたが、

何も言えずに唇を噛むだけだった。


コールはそんなリネアに気づいていないように見え、

甲板の中央へ進み――


「おらァ野郎ども!

 いつまで寝てやがる!

 船長が帰ってきたぞ!!」


その声に応えるように、

十の影――シャドーズが甲板に膝をついて現れた。


船が、また呼吸を始めたように風を受ける。


だが――

リネアの表情は曇ったままだ。


(……ナイルはもういない。

 “コール”の世界に……私は……)


そう思ったときだった。


影たちに指示を飛ばしていたコールが、

ゆっくりと振り返った。


迷いのない足取りでリネアへ歩いてくる。


リネアは一歩後ずさる。


(……来ないで……

 だって……もう、私……)


コールはその距離を詰め、

目の前に立った。


「リネア」


その呼び方は、

ナイルのときより少しだけ低く、

けれど温かかった。


リネアは震える声を絞り出す。


「……私は……

 もう……必要ないよね……?

 ナイルじゃない、から……」


コールは何も言わず、

静かに彼女の前へ跪いた。


そして、手を差し出す。


取り戻した“船長”の手。

かつて彼女を抱えて走った“ナイル”の手。

どちらでもなく、

今のコール自身の手。


「なぁ、リネア」


目を合わせて言った。


「一緒に空に……行こう?」


リネアの息が止まった。


「……え……?」


「俺はナイルじゃねぇかもしれない。

 だけどよ――

 お前を置いてくつもりは一度もねぇよ」


リネアの瞳に光が戻り、

涙がぽろっと落ちた。


コールは続ける。


「来たいなら来い。

 来たくねぇなら無理にとは言わねぇ。

 でも――“いらない”なんて二度と言うな」


リネアは唇を震わせ、

ゆっくり、ゆっくりその手を取った。


「……行く……

 あなたがどんな名前でも……

 どんな姿でも……

 私は……一緒に行きたい……!」


握った手が震えていた。

でも、力はしっかり返ってきた。


コールは安心したように笑い、

立ち上がるとその手を引いて言った。


「よし、じゃあ行くぞ。

 空は広いからな。

 落ちんなよ?」


「落ちない!!」


リネアは涙を拭き、笑った。


その瞬間――

甲板にいたシャドーズ十人が一斉に手を上げた。


まるで、

“新たな乗組員を歓迎する”

そんなように。


ーーーーーーーーーー


オルデア庁舎――。


エレナは、国を離れたまま数日経っていた。

彼女はアルシェル王国の正式な騎士。

本来なら自国へ戻るべきだ。だが今は、

魔物群の発生源調査のため単騎でここに残っている。


理由の半分は任務。

残りの半分は――胸の中の、ぽっかり空いた痛みを埋めるため。


「……魔物が侵入した方角は、やはり東側。

 厄災が原因か……」


報告書を閉じる手がわずかに震えた。


(……考えるな。

 私は騎士だ……任務に集中しなければ……)


心の奥で、まだアークの死が燃え残っている。

思い返すたび胸が裂けそうになる。


そこへ、オルデア兵が駆け込んでくる。


「報告!!

 西の空に……“船”が飛んでいます!!」


「……船?」


エレナは顔を上げた。

胸が、ドクンと跳ねた。


彼女は言葉もなく走り出す。

廊下を駆け抜け、石段を降り、街路へ飛び出した。


「エレナさん!? どうしたんですか!」


ちょうど街道で資料を抱えて歩いていたシャンディが、驚いて後を追ってくる。


「船だ!」


「船?……え!……」


二人は息を合わせ、丘の展望地へ駆け上がった。


そして――


視界が開けた先。


オルデアの外、遥か彼方の空で。


半壊していたはずのイルクアスターが、

悠々と雲を割って上昇していた。


船は光に照らされ、帆は風をはらみ、

甲板の上には小さな人影が見える。


「……アーク……」


エレナの喉が震える。


「……あれ……あの船……」


シャンディは両手で口を押さえた。


「コールさん……生きてる?……

 あの動き……影の揺れ……全部、あのままです……!」


船はオルデアに向かってはいない。

逆だ。


外の空へ、遠くへ、どこかへ向かって飛んでいる。


追うことなどできない距離。

しかし――その姿が、何よりの証拠だった。


「……生きてる……」


エレナの視界がにじむ。


胸の中で重石のように沈んでいた“死”が、

静かに、ゆっくりと溶けていく。


風が頬を撫でた。


船は小さくなり、やがて――雲の向こうへ消えた。


エレナは涙を拭い、空を見上げたまま、揺れる声で言った。


「………どこにいても……

 結局……空を飛ぶのだな……」


隣でシャンディが震えながら笑う。


「……また、会えますよ。

 あの人は……そういう人ですから」


エレナは小さく頷いた。


「……生きてる……

 それがわかっただけで……十分だ……」


二人はしばらく、その空を見つめ続けた。


風だけが吹き抜ける丘で――

たしかに、彼が生きていると確信しながら。

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