第12話:護送、森の処理
出口にて、キーカクは相も変わらず成金じみた笑顔を貼りつけていた。
契約書を確認すると、わざとらしく頷く。
「では……確かにお引き取りいただきます。いやぁ、助かりますなぁ」
外にはウィンスキーとハイポールに守られ、不安そうにしていたナムがポツリと立っていた。
そこに購入した奴隷の子供たちが来ると、ナムは駆け寄り、再会を喜んでいる。
金毛の猫耳は視線をこちらに向けたまま、まったく気を抜かず睨みつけていた。
その列の中に、ひとり見慣れない大柄な男がいた。
人間に見えるが、やけに筋肉質で肩幅が広い。
その腕には、痩せ細った銀毛が毛布にくるまれたまま横たわっている。
体にはいくつもの傷があるが……抱えたまま、微動だにせず、しかしその足取りの重さが、弱っていることを僅かに物語っていた。
(……あの目、暴れていた獣人か)
俺はすぐにハイポールへ目配せする。
「そいつを預かれ」
ハイポールが一歩前に出た、その瞬間――金毛の猫耳が低く唸り声をあげ立ちふさがる。
毛が逆立ち、瞳は獲物を睨む猛獣のように鋭く光る。
まるで「触るな」とでも言わんばかりに。
だがハイポールはそんなことは一切気にせず金毛の頭を鷲掴みにして避けさせる。
ピカピカのプレートの鎧に爪を立て嫌な音を発しているが、一切反応せず銀毛の少女を預かった。
(こういうときは使えるな……)
それから不意にキーカクは手を叩くと、武装した数人の男たちが集まってきた。
「道中、護衛をつけさせていただきます。ここは物騒でして」
丁寧な申し出に聞こえるが、監視以外の何物でもない。
男たちは当然のように俺たちの後ろについた。
キーカクの笑みの奥にあるのは、金と欲。
そして――先ほど渡した“牙”の価値を、あの男は間違いなく理解した。
俺が奴隷の送り先を告げずにいたことも、やつの猜疑心を煽ったはずだ。
金の匂いを嗅ぎつけた獣は、獲物を逃がしはしない。
面倒なことだ……。
船に戻るため街を出て森に入り、しばらく。
足音と鎧の擦れる音が背中にまとわりついていた。
振り返らずとも、護衛と称した連中がしっかりと尾を引いてきているのは分かる。
湿った土の匂いと木々の影が濃くなる中、俺は足を止め、低くつぶやいた。
「……このあたりなら、いいか」
懐に手を入れウィンスキーを見ると、コクリと頷き、正面を向きながらも警戒態勢を取った。
「運の悪い奴らだ……」
魔導銃を抜き、振り返りざまに引き金を引く。
乾いた銃声が森を裂き、先頭の男が額を押さえ崩れ落ちた。
驚愕と恐怖の色を浮かべる護衛たちの顔が見える。
「っな……!」
その動きに合わせるように、ウィンスキーも音もなく敵の背後に回り込み、喉をかき切る。
二発目が響く前に二人目は倒れ、三つ目の銃声が響く頃には、森の中は再び静寂を迎えた。
血の匂いが風に混じって、獣人たちのざわめきが広がる。
もともと人間を嫌っていた金毛の視線は、今や露骨な敵意を帯びてこちらを射抜く。
低く唸り、足を半歩引いてこちらを警戒するその様は、まるで檻の中に戻ったかのようだ。
大柄な獣人の男はじっと俺を見据え、一言だけ発した。
「……なぜ殺した」
声は低く、感情を押し殺しているが、その問いは真っ直ぐだった。
「金に溺れた奴は、俺の背後に立たせない」
短くそう答えると、銃をしまい、何事もなかったかのように歩き出す。
男は小さく頷き、あとに続く――“その”意味が彼には理解できたのだろう。
少しは信頼してもらえたか……。
だがそれとは反対に、金毛の視線はなおも鋭く、爪を立てたままだった。
その眼差しは、遠からず訪れる何かしらの問題を予兆している。
こうして俺は新たな客人を連れ、森を抜けて隠してある船へ戻った。
甲板の上に足を踏み入れると、影たちが気配を察して集合し出迎える。
「ゲール!」
呼びかけると、医務室からあわててゲールが現れる。
ハイポールに片手を上げると、痩せ細った銀毛をゲールは迷いもなく受け取り、くるりと背を向けて船内に消えた。
その瞬間、金毛の耳がぴくりと動く。
低く唸り声を漏らしながら、足を踏み出してゲールの後を追おうとした。
俺が指示を出す前に、ウィンスキーがその前に立ち塞がって止めた。
「今お前が言っても邪魔なだけだ」
鋭い視線を返し、金毛は喉を震わせたが、やがて一歩退き、唇を噛みしめて足を止めた。
視線を横に向けると、ナムが袖を引いてきた。
顔を上げたその瞳は、言葉を発する前に腹の音が代わりに答える。
「……腹、減ってるのか」
ナムは小さくうなずき、ちらりと連れてきた他の子供たちを見る。
皆、似たようにやつれた顔をしていた。
「食事を用意しろ!」
短く命じると、即座に影たちは動き出し、音もなく散っていく。
間もなく船室の奥からは湯と鍋の音が響き始め、温かい匂いが少しずつ漂い出した。
その間に、俺は甲板近くのベンチに大柄な獣人の男を座らせた。
「傷を見せろ」
無言で腕を差し出してくる。刃物と棍棒の痕が入り混じり、血も泥も乾ききっている。
奴隷商のキーカクはもう使い物にならないと思っていたらしいが、目を見る限りそんな片鱗は毛ほどもない……二流だな。
「獣人の男は皆お前みたいにタフなのか?」
「俺の一族は、獣族の中でも一番の戦士だ……」
低く、押し出すような声だった。
「ほう……その戦士がどうして檻に?」
俺の問いに、しばし沈黙が落ちる。
「……人間が軍を動かした」
男は静かに、短く吐き捨てるように言う。だがその言葉には言い表せない重みがあった。
「奴らは、女も子も構わず攫う。……俺たちの村だけじゃない」
包帯を巻く手の下で、固く握られた拳がわずかに震えている。
「近くの村が襲われた。戦力は温存しろ……それが命令だった」
言葉は淡々としているが、奥に熱が滲む。
「だが……無理だった」
男の目は悔しさの中に真っ直ぐな光をともしている。
「少しの仲間を連れて向かった。多くは逃がせた……だが、逃げ遅れた者を追って深く入りすぎた」
視線が遠くを見つめる。
「仲間とはぐれ、最後は……俺一人と、残った女と子どもだけになった」
その瞳の奥底には、まだ燃えるものがあるのだろう……。
「……それで捕まった」
それから再び沈黙を迎え、不器用ながらもなんとか手当を終えると、男がふいに鼻で笑い口を開いた。
そんなに包帯の巻き方が下手だっただろうか?
「……お前だ」
「ん?」
低く、重い声。視線は逸らさず俺を見据えている。
「なぜ、俺たちを助けた」
その言葉に俺も鼻で笑って返してやった。
「子供が救いを求めてきた……理由はそれで十分だろ?」
男の瞳がわずかに細くなる。
沈黙が一瞬だけ重く降りたあと、低く、短く返す。
「……それで十分だ」
その言葉には、戦士としての本能的な納得と、わずかな信頼の色があった。
「それに俺の故郷には、こういう言葉がある」
口の端をわずかに上げ、淡々と続けた。
「旅は道連れ、世は情ってな」
そう告げて俺は立ち上がり、飯が用意されたテーブルに向かった。




