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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第11話:損耗品置き場


案内された建物の中は、外観よりもずっと広く、そして……陰鬱だった。

冷たい石の通路がどこまでも続き、鼻をつくのは汗と糞尿が混じったような不快な匂い。

……湿った生臭さってのが一番わかりやすいか?


最初に通された通路の両脇には、錆びついた鉄格子に閉じ込められた人間たちがいた。


男も女も、老いも若きも……どの顔にも生気がない。

うつろな目、開ききった口元、時折うめくように咳き込むだけ。


(……こいつらは、ダメだな)


無力な子供たちなら、まだ救う価値はあるだろう……。

だがこいつらはすでに内側から壊れている。

今ここで奴隷商全員を殺しても――彼らの目が再び光を取り戻すことはないだろう。

生きる意志がないのだから…。


それに……この部屋には子供はいない。幸いにも、な。


「では、こちらへ。例の“獣人”たちは奥の方に」


キーカクがふたたび成金じみた笑顔を浮かべ、やけに軽い足取りで先を行く。


しばらく進んだ先、鉄扉をいくつか抜けると空気が変わった。湿気に混じる獣臭。


「このあたりが、獣人用の隔離棟になります。ほら、ご覧のとおり――なかなか手のかかる連中でしてねぇ」


小さな檻に閉じ込められた子供たちが何人か、それと女が一人。

泥まみれで痩せこけ、体には傷もある。

だが、さきほどの人間たちと違って、目の奥にはまだ“光”があった。


「……こいつらは?」

「最近入ったばかりの商品でして、まだ未調教ですが、ご希望であれば調教もたまわります、はい」


(胸糞悪い……)


内心でそう呟いていると、通路の奥からガシャンと音が聞こえた。


「……ん? あっちは?」


そちらに視線をやると、キーカクの表情が僅かに引きつった。


「……ああ、あちらは“損耗品置き場”です。病気持ちや、暴れすぎて使いものにならなくなった商品を……一応隔離しているだけの場所でして」

「その中にも獣人は?」

「……ええ、まぁ一応。ですが、あそこに入った時点でほぼ売り物にはなりませんので」

「構わん、見せろ」


しぶしぶ案内するキーカクにつづき中に入る。

そこには壁につながれている獣人と、地面には力なく倒れている者も…。


「と、まあ……このような感じでして、ここには売り物になるようなものは――」

「……開けろ」


俺は低く告げた。


「はぁ……しかし、ここは病人や、使いものにならなくなった連中の……」

「開けろ…次は言わせるな?」


重ねて言うと、キーカクは一瞬だけ目を細め、観念したように鍵束を探る。

檻の中はさらに空気が悪く、キーカクは口に布を当てている。

周りにはすでに事切れた者も多く、獣人の死体もあった……。


しかしその中に、まだ息があるものがいる。

一人は壁に鎖で拘束され、もう一人は生きているか怪しいが、床に横たわっている。


「……これは危険ですので、お気をつけてくだされ」


ガンッ!


キーカクが舌打ちを漏らす。


「……これだから、この二匹は厄介でして……片方を檻から離すと、もう片方が一晩中暴れ続けるんですよ」


俺たちが前に立つやいなや、壁際で鎖に繋がれた金毛の猫耳の獣人の少女が体を捻り、全力でこちらに飛びかかろうとした。

しかし首輪の鎖が引き止め、鎖の音だけが虚しく響き渡る。

口は猿ぐつわで塞がれており、言葉は発せられない。

それでも低く唸り、こちらに殺気を放っている。


「ほらほら、お客様、危険です!」


キーカクは下がり、檻の外から呼びかけるが、俺は無視して近づいていく。


「それは檻の外にいようが飛びかかってきますので、売り物にするのは……少々難が。それと、そちらも」


俺は膝をつき、隅に転がる銀毛の少女を見やる。

まだ息はあるものの……熱に浮かされた頬、弱々しい呼吸。手首に指を添えても、脈は弱く、細く、頼りない。

体温も皮膚の奥でかろうじて残っている程度だ。

生きていると分かるのは、それだけだった。


何もしなければ死ぬだろう……。

俺が容体を見ていると、壁に繋がれている方の少女が激しく鎖を鳴らしてこちらを睨みつける。


「……このまま、ここで死なせたいのか?」

「ッ!!!!!!」


問いかけた瞬間、金毛の猫耳の少女の瞳がさらに鋭く光った。

怒りが殺意を突き破り、まるで花火のように爆ぜる。


ガンッ! ガンッ! ガンッ!


檻を揺さぶる勢で暴れ、鎖が骨を軋ませるほどの勢いで暴れている。

猿ぐつわ越しに漏れる唸り声は、もはや獣の咆哮……。

爪は空を切り裂き、首輪が食い込み、血の匂いが漂った。


「うおっ、お客様、下がってください! それ以上は!?」

キーカクの声など今は聞く必要もない。無視して金毛の方を見る。


(……このままじゃ連れ帰るのも一苦労だな)


その目に宿る殺意は消えない。


(このまま放っておくのは……。…………。仕方ない)


俺は無言で暴れる少女を見つめ、静かに銀毛の少女へと剣先を向けた。

鈍く冷たい鉄の線が、熱に浮かされた彼女の首元をなぞる。


「……行動と結果は、つきまとうものだ」


金毛の少女の動きが、一瞬だけ硬直する。

俺は低く、はっきりと告げた。


「今のお前に何ができる? そうして無駄に暴れ、この子を死なせたいか?」


鎖が揺れる音と、少女の荒い呼吸だけが響く。

金色の瞳が、怒りと困惑と恐怖の混じった色に揺れた。


「救いたいのなら……大人しくしていろ」


低く響く声とともに、俺はゆっくりと剣を収めた。


「ほう、お見事ですな」


その後キーカクのおべっかを聞きながら別の部屋に案内され、商談のためにテーブルに着く。

キーカクは帳簿の束を広げ、古びた羽根ペンを指に絡めながら、ゆっくりと計算を始めた。


「まず、先ほどの外で暴れていた個体。本来であれば二百五十銀相当の成獣クラスですが……何分、血を流しすぎまして……二十銀でよろしいですかな?」

「いいだろう……」


「次に、未調教の児童が三名。このあたりでは希少な獣人種ということで、お値引きなし。お一人あたり百銀、合計で三百銀」

「……」


「そして、比較的若い雌の獣人。こちらは二百銀。多少気は強いようですが、用途は幅広く、状態も良好です」


キーカクは筆を進めながら、ちらりとこちらを見て、口の端を吊り上げた。


「それと、奥にいた若い個体ですが……あれはさすがに手がかかりますな。通常価格なら二百五十銀級ですが、反抗的で調整も不能。廃棄対象と見なし二十銀」

「…………」


「さらに、その隣で寝ていた病弱な個体。生きてはいますが……こちらは端数扱いで十銀」

「…………」


黙って内訳を聞いていると、キーカクは一度、帳面のページをめくる音をわざと響かせ、最後に芝居がかった笑みを浮かべる。


「あぁ、それと……外にお連れの小さな……ナム、でしたか? あちらも当方の商品でございますので。

……今回はご自身でお持ちいただいたので、破格の三十銀にて」

「…………」


俺は無言のまま懐に手をやり、革袋を取り出した。中には金貨が一枚、銀貨が四十枚ほど……合計で百四十銀相当しかない。


「足りんな……」


キーカクが肩をすくめる。


「まあ、合計六百三十銀相当のところを、特別に四百三十銀にまでお値引きいたしましたが……それでも足元にも及びませんな」


俺は黙って、首から提げていた紐を外し、

テーブルに黒く硬質な光を放つ“牙”を置いた――クラーケンのものだ。


「こ、これは?」


キーカクの目が鋭くなり、ネックレスに飾られた牙を慎重に手に取る。光に透かしたその目が、僅かに震えた。


「……まさか、これは……もしや」

「仕留めたクラーケンの牙。根元まで折れていない、良質な一本だ」


沈黙。キーカクは一度、喉を鳴らし、言葉を整えてから続けた。


「こ、これは……銀貨百どころではございません。素材としての価値、調度品、護符、王族の贈答品にすら使われる……まさに逸品!」

「足りるか?」

「足りすぎます。ええ……ふっふっふ。ではこれでご契約、成立ということで、よろしいでしょうか?」

「……」


俺が無言で頷くと、キーカクは俺などもはや目に入らぬ勢いで牙を眺め、自分のネックレスのコレクションと見比べていた。


――さっさと、ここから出よう。

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