第10話:裏路地の奴隷商
懐が潤うってのはいいもんだ。クラーケンの報酬に、ヴァックスからの依頼料。
財布に重みがあると、街もやけに明るく見える。
そんな軽い気持ちで、俺は食料の買い出しにこの街へやってきた。
今日の護衛は、変装中のウィンスキーとハイポール。
市場通りは人と声と熱気にあふれていて、街の空気は悪くないが……少し治安は悪そうだ。
行き交う人の中にはたまに鎖をつけた者もいて、脇道のようなところでは怪しいものを売っている。
「さっさと食料買って次の街に……って、ハイポール それなんだ?」
「?(串焼きを差し出す)」
「………」
俺が何かを言う前に、ウィンスキーはハイポールをしばき倒してくれた。
ハイポールから剥ぎ取った串焼きを手に街を歩き、酒の売っていそうな場所を探しているのだが、なかなか見つからない。
仕方なく串焼きにかじりつこうとしたとき――
ドン。
「あ、俺の串焼きがぁああ!? ……この、お? 子供?」
胸のあたりに小さな衝撃が走り、視線を落とすと、獣耳の生えた小さな少女が俺にぶつかっていた。
泥と埃にまみれた服、血の乾いた匂い、痩せ細った手足。明らかに“追われている”子供だった。
「獣人ってやつか?」
子供は泣きながら、俺の手を取って何かを言おうとした。だがその直後――
「いたぞォ! こっちだァ!」
怒声が響き、通りの向こうから数人の男が走ってきた。鋭い目つきと、腰に帯びた短剣に棒。奴隷商人の下っ端ってところだな。
「そいつはうちの商品だ。返してもらおうか」
「やだ」
「……は?」
「そいつ、俺の串焼き落としたんだ。弁償してもらわなきゃ困る」
下っ端共は予想外の返答に目をむいた。
「てめぇ、こっちは商売でやってんだぞ!」
「知るか。ウィンスキー、ハイポール」
「……ぐあっ!?」
背後にいたハイポールが静かに間合いを詰め、鎧の片腕で下っ端のひとりの頭を掴んで軽々と持ち上げていた。
「ぐぁ! は! はなせ!!」
「さあて、どうするよ?」
俺は軽く笑いながら言ってやった。
「串焼き代で済ませるか、それとも葬式代で払うか。選ばせてやる」
下っ端たちは互いに顔を見合わせ、あからさまに怯えた目で後退した。
「ちっ……覚えてろよ!」
捨て台詞を吐いて、奴らは尻尾を巻いて逃げていった。
ハイポールが下っ端を弾き飛ばすように投げ捨てると、這うように逃げた。
「……で、お前は?」
改めて視線を落とすと、少女は俺の足元で震えていた。
逃げようとする様子はないが、目は怯えきっている。
こんな状態の子供が目の前にいりゃ、そりゃ助けるしかねぇよな……少し甘すぎる気はするが仕方ない。
「タス、ケテ……」
その言葉は、今にも消え入りそうな声だった。
その目に浮かぶ涙は、ただの怯えじゃない。絶望に縋る光だった。
「……ったく」
俺はため息をついて、しゃがみ込むと、そっと少女の頭に手を置いた。
「名前は?」
少女はびくりと肩を震わせたが、しばらくしてぽつりとつぶやいた。
「ナマエ?……ナム」
「ナム、……一人か?」
少女は首を横に振った。
「イッパイ……ミンナ、ツカッマタ……タスケテ……」
喉を絞るようなその言葉に、大抵のやつなら揺さぶられるもんだ。
面倒事はゴメンなんだがな……目が合ったウィンスキーは頷いている。
だよな……。
ハイポールは……さっき落とした串焼きを見ていた……が、ウィンスキーにしばかれ戻ってきた。
「さて、酒の買い出しは中止だな」
「?(串焼きを指差す)」
「串焼は?じゃねえ!」
再びパコンという音が響き渡り、俺たちは街の奥へと踏み込んでいく。
ただの買い出しが、とんだ事になりそうだ……。
ナムの案内で市場の裏路地、血と獣臭が混じったような、空気の濁った場所までたどり着いた。
薄汚れた倉庫を改造したような仮設の建物が並び、その前には無造作に並べられた檻。
中にはぼろ布のような服をまとった者たちが縮こまっている。
殆どは人間だが……それだけではない。
角のある者、獣耳をもつ者、鱗の肌をした者。年齢も性別も関係なく、檻の札には「商品」と書かれていた。
「……はぁ」
吐き捨てるようにため息をついていると、奥から怒声と悲鳴が混ざった音が届いた。
「ソンナモノカ!! ニンゲンドモッ!!!!!」
「クソ、しぶてぇやろうだ!」
「囲め囲め! 一人相手にビビってんじゃねぇ!」
振り向くと、奴隷商人の下っ端どもに囲まれ、ひとりの獣人が立っていた。
その体は人よりも二回りほど大きく、狼――ウェアウルフに近い体型をしている。
だが身体はすでに満身創痍。
片方の肩からは血が滴り、呼吸も荒いが……その目だけはまだ死んでいなかった。
「ッタスケテ!」
それを見たナムは俺の服を掴み、必死に俺に訴える。
その声に気がついた獣人の男はこちらを見る。俺と目が合い、ナムを見た。
すると周りの連中を蹴散らし、血を撒き散らせながら一直線にこちらに向かってきた。
「ガァアアア!!」
怒りのこもった唸り声とともに男が突進してくる。
「っな!? おいおいおいおい!?」
「「ッザ」」
ウィンスキーとハイポールは即座に音もなく動いた。
鎧をまとった腕が獣人の男の進行を正面から受け止める。
続けざまにウィンスキーが足元へ滑り込むと、低く放たれた一撃が膝裏を打ち抜いた。
「グッ……!」
足を取られ、獣人の男が崩れ落ちる。
その首筋に、すかさず俺が剣の刃を突きつける。
「……落ち着け。ここで死ぬ気か?」
低く、誰にも聞こえない声で、そっと耳元に囁いた。
「ガキもお前も助ける……だから黙って従え」
男の身体が一瞬だけ強張り、それからほんのわずかに力が抜ける。
「今だ、抑えろ!」
奴隷商の下っ端どもがわらわらと駆け寄ってきて、崩れ落ちた獣人に縄をかけて取り押さえる。
「ようやく大人しくなったか!……ったく」
「手間取らせやがって!」
奴らは罵声を浴びせながら、手負いの獣人を容赦なく蹴りつける。
だが獣人はそれにも顔色一つ変えず、ただこちらを――いや、ナムを見つめている。
その瞳に宿る意志は強靭だ……決して折れてない、そんな感じがする。
「おやおや……これはこれは。失礼いたしました、それは手間のかかる商品でしてね」
事が落ち着いた頃、通路の奥からノコノコと現れたのは……ゴブリン? ……いや、あれは人間か?
憎たらしい顔に、ギラつく金の指輪。腰には飾りすぎて逆に安っぽくなった短剣。
首には何の獣のものかもわからない歯を通した、派手な数珠。
見るからに胡散臭い成金風の男だった。
「申し遅れました。わたくし、この〈キーカク奴隷商〉のキーカクと申します。
いやぁ……実に見事でしたな。大切な“商品”が台無しになる前に助けていただき、感謝いたします」
作り笑いを浮かべてはいるが、その目の奥はどこまでも冷たい。
「ほう? それなら話が早い。奴隷を何人か……それと今の獣人を買いたい」
「……は?」
「その獣人だ。今すぐ買わせてもらおうか?」
男は一瞬だけ目を細めたが、すぐににこりと営業用の顔に戻った。
「おおっと、これは失礼いたしました。なるほど……お客様でいらっしゃいましたか。それはそれは……
どうぞどうぞ、こちらへ。店内でゆっくりとご案内を……」
俺たちを奥へと案内しようとする、その時だった。
入口脇に立っていた見張りの男――さっき街中で絡んできた下っ端が、こちらを見て顔をしかめた。
「お、お頭! そいつ! そいつですぜ!! 邪魔しやがった野郎!!」
次の瞬間、キーカクの笑顔が凍りつく。
「……てめぇ」
ぎし、と床を軋ませるような足取りで、ゆっくりとその下っ端に詰め寄る。
「……んなぁことは、見りゃわかんだよ、この役立たずがッ!!」
ドガッ!
乾いた音とともに、キーカクの足が見張りの腹に突き刺さるように炸裂した。
「ごぶっ……!」
男はうずくまり、呻き声を漏らす。
「お客様に向かってなんつぅ口のききかただ!!だいたいてめぇらゴミが逃がしたもんだろうがよォ!!」
言葉とともに、何発もの蹴りが容赦なく叩き込まれる。
蹴られた男は地面に這いつくばり、土を噛む勢いで頭を下げていた。
「……お見苦しいところを。失礼しました。では……どうぞ、こちらへ」
顔を血の気ひとつなく戻すと、再び笑顔を作って手を差し出す。
その様子に、ナムがびくりと肩を震わせる。俺にしがみついて離れないが……この中に連れて行くのはやめたほうがいいだろう。
ウィンスキーとハイポールを外に残しナムを任せ、俺は一人でキーカクの案内で中に入っていった。




