表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
108/108

第107話:街へ、そして見えた未来


 城の奥まった通路は、昼だというのに薄暗かった。

 高い石壁が光を遮り、乾いた足音を響かせる。


「こっちよ、ルミナ。急いで」


 小声なのに、どこか弾んだ声。

 手を引くリュリシア様は、王女とは思えないほど軽い足取りで歩いていく。


「えっ、あ……ま、待ってください……!」


 私は半ば引きずられる形でついていった。

 緊張で胸がどきどきしっぱなしだ。


 廊下の角でリュリシア様がひょいと顔を出し、

 衛兵が背を向けて歩き去るのを確認すると――


「今のうちっ」


 ひそひそと囁いて、影から影へと滑り込む。


(え? え? なんで?)


 頭が追いつかない。


 王女が……王宮の護衛を避けて……、

 影を伝って進んでいる……?


 ここが玉座の間へ続く“正規ルート”ではないことは、

 素人の私でも分かるほどだった。


「リ、リュリシア様……っ!

 本当にいいんですか? これ……!」


「だめに決まってるけど、たまにはいいのよ」


 振り返った彼女は、いたずらを成功させた子どものように微笑む。


「……どうして、こそこそ……?」


「ふふ、理由はあとで。

 ほら、急がないと門が閉まっちゃうわ」


 門……?


 そう思ったとき、視界が開けた。


 長い廊下の先、光が差し込む大扉。

 見張りの兵士がちょうど交代のために席を外している。


 リュリシア様はその隙を逃さず、私の手を強く引いた。


 ――そして城の外へ。


 光が一気に降り注ぎ、眩しさに思わず目を細めた。

 石造りの高い城壁を背に、吹き上がる外気は驚くほど自由だった。


「……で、でも……護衛が……」


「大丈夫。最近私も、剣の使い方をエレナに教わってるの。

 少しは動けるようになったのよ?」


 腰の後ろでローブが揺れ、彼女の細い手が自信ありげに拳を作る。


「え、王女様なのに?」


「そうよ?

 少しでも強くなれば、誰かに守られてるだけじゃなくなるでしょ?」


 胸に少し誇らしさを滲ませて言う彼女を見て、

 私は言葉を失った。


(……お城の中のお姫様、じゃないんだ……)


 この国のために、自分のために、

 ちゃんと前を向いている人なんだ……。


「さあ、行きましょう。

 こうして普通に街を歩くの、久しぶりなの。

 あなたと一緒に歩いてみたいの」


 そう言って差し出された手は、

 太陽の光に照らされて、温かかった。


―――――


 城門を抜けると、石畳が太陽の光を反射してきらきらと光った。

 通りにはパン屋の香ばしい匂いが漂い、商人たちの声が重なり合う。


(……街……こんなに賑やかだったんだ……)


 思わず周囲を見回した。

 神殿の外にはほとんど出られなかった過去が、胸の奥で蘇る。


「驚いた?

 たぶん、あなたが思ってるよりずっと元気な街よ」


 リュリシア様が、どこか誇らしげに言う。


「……はい。すごい……綺麗で、明るいです……

 こんな場所を歩くなんて、考えたこともなくて……」


「ふふ。だったら今日は、たくさん見せてあげるわ」


 そう言って、彼女はフードを指で押さえた。

 王女だと悟られないよう、簡素な外套に身を包んでいる。


(それでも十分目立つくらい綺麗だけど……)


 喉まで出かかった言葉を、私は慌てて飲み込んだ。


 人混みに入ると、自然と二人の距離は近くなる。

 肩が触れ、布同士がかすかに擦れた。


 リュリシア様が小さく息を吐き、横目でこちらを見る。


「……ねえルミナ。

 さっき、中庭で少し話したでしょ?」


「は、はい……」


「あなたと話していて……なんだかね、少し似てるなって思ったの」


「……似てる……? わ、私が……王女様と?」


「そんなに驚かなくてもいいじゃない。

 立場は違っても、境遇は……ちょっと似てるでしょう?」


 私の足が、ふと止まった。


 母を失った。

 普通に生きたかったけど、生きられなかった。

 守られる場所にいながら、息苦しかった。


 胸の奥を刺すように、全部――同じだった。


「……リュリシア様も……?」


「私も……母は私が小さい頃に亡くなったの。

 それから周りに囲まれて……守られて。

 本当は、お嬢様じゃなくて普通の私で居たかった……。

 でもほら、やっぱりお嬢様だし。あなたもわかるでしょ?」


 笑っているのに、どこか痛むような声だった。

 私は、ぎゅっと胸の前で指を組んだ。


「かもしれません……。

 でも私は、巫女として……ただ務めを全うすることだけでした……」


「そうなの?」

「……はい」


 その言葉に、リュリシアは少しだけ驚いたように目を見開き、

 次の瞬間、ふわりと微笑んだ。


「でも……やっぱり、似てるわね」


 歩きながら、彼女は続けた。


「それに……あなたも“救われた”んでしょ?

 ……アークに」


 その名を聞いた瞬間、胸の奥がほんの少し熱くなった。

 けれどそれは温かさというより――どこか、ざわつきに近かった。


「…………救われた、のか……どうか……」


 気づけば、足元の石畳を見つめていた。


「え……?」


 リュリシアが立ち止まり、こちらを覗き込む。


 喉がつまったように苦しくて、言葉が出てこない。

 でも――言わなければいけない気がした。


「命を……助けてもらったのは、確かです。

 でも……」


 胸の前で指をぎゅっと握りしめる。


「私はずっと……巫女として風を絶やさぬために育てられました。

 巫女は、役目が終われば……それで終わりです。

 そのために存在してるんです」


 言いながら、自分でも驚くほど声が震えた。


(こんなこと……誰にも言ったことなかったのに……)


「……だから……助けてもらって……生きている今が……

 正しいのかも……分からなくて……」


 街の明るさが、逆にひどく眩しかった。


「役目を果たせなかった私は……

 “生きる意味”が……まだ見つからないんです」


 リュリシアは驚いたように目を見開いた。

 けれど――否定も驚愕もせず、ただ静かに聞いてくれていた。


「ルミナ……」


 彼女はそっと、私の手を取った。

 握るのではなく、包み込むように優しく。


「……ごめんなさい。

 私……勝手に“救われた”なんて言ってしまって」


 その声は、風よりも柔らかかった。


「生きる意味なんて……すぐに見つかるものじゃないわ。

 でも……」


 リュリシアは、まっすぐに笑った。


「探す時間なら、ここにあるわ。

 あなたが望むなら、私が一緒に探す」


「……え……」


「あなたが迷ってるなら……私も迷う。

 あなたが怖いなら……一緒に怖がるわ」


 そう言ってまた歩き出す彼女の背中は、

 王女というより――私にとって初めてできた、“友達”のように見えた。


「……リュリシア様……」


「うーん、“様”はやめない?

 ルミナには普通に呼ばれたいの」


 胸に、少しずつ何かが染みていく。


「え、あ……はい……リュリシア」


「うふふ、行こう! ルミナ!」


 リュリシアが手を引く。

 今度は逃げるみたいな急ぎ足ではなく、

 まるで友達と歩くみたいな軽いステップで。


「……はい!」


 小さな返事をして、その横に並んだ。


―――――


 通りに出ると、人々の活気が一層強く響いた。

 果物屋の店主が声を張り上げ、子どもたちが走り回り、

 どこからか焼き菓子の甘い匂いが漂ってくる。


「ねぇルミナ、あそこ。見える?」


 リュリシアが指差した先には、小さな露店が並んでいた。

 蜜を絡めた揚げパン、甘い砂糖菓子、鮮やかな果実――

 色とりどりの屋台が所狭しと並んでいる。


(こんなの……神殿には無かった)


 思わず目が輝く。


「歩いたの久しぶりって言ってたでしょ?

 なら……まずは甘いものね」


「え……あ、でも……お金……」


「ふふ。今日は私が奢るの。

 だって、連れ出したのは私なんだから」


 そう言って軽くウインクする。


「……そ、そんな……でも……」

「いいの。私ね――」


 リュリシアは一歩近づいて、小声で続けた。


「“普通に誰かと歩いて、普通にお菓子を買って、普通に笑う”って、

 もう一度したかったの」


「……普通に? もう一度?」


「そう。普通よ。

 王女じゃなくて、ただの女の子として。

 その相手に……あなたがいてくれたら嬉しいな、って思ったの。

 前はアークがしてくれたんだけど……今は、ね?」


 胸の奥がじんわり熱くなる。

 私はうつむいたまま、小さく頷いた。


「……はい。

 わたしでよければ……」


「よし! じゃあ、まずはあれ!」


 リュリシアが指差したのは――

 揚げたての小さな丸いパンが山になっている屋台。


「あそこの“蜂蜜玉”っていうの、美味しいの。

 こっそり厨房に入り込んで食べて……よく怒られたわ」


「ふふ……リュリシア……そんなこともしたんですか?」


「したのよ。いっぱいしたの。

 アークも一緒によく怒られたわ」


「ふふふ!」


 その言い方があまりにも自然で、

 私はつい口を押さえて笑ってしまった。


「……笑った」


 リュリシアが嬉しそうに目を細める。


「え、あっ……す、すみません……」


「謝らないで。

 ルミナが笑ってくれたら、それだけで嬉しいの」


 胸の奥にあった重いものが、少しずつ溶けていく。


「……リュリシア」


「ん?」


「その……ありがとう」


 微笑む私に、リュリシアは照れくさそうに頬を掻いた。


「じゃ、行こっ。

 蜂蜜まみれになっても知らないからね?」


「えっ!? そんな……?」


「大丈夫。私もなるから!」


 二人は並んで屋台へ歩き出した。


 街の喧騒は相変わらず賑やかで――

 指先に残る蜜のべたつきさえ、なんだか少しだけ愛おしく感じられた。


「ほら、次あの屋台!

 あれは絶対に食べなきゃダメよ!」


「え、えっと……でももう、お腹が少し苦し……」


「まだ行けるわ!

 ほら、ルミナ可愛いから屋台の人もオマケしてくれるのよ!」


「そ、そんな……っ」


 笑いながらも、息はだんだん上がっていた。


(はぁ……はぁ……どうしよう……少し、頭が……)


 神殿では外を歩くことなどほとんどなかった。

 歩く距離も、人混みも、こんなにも体力を奪うものだとは思わなかった。


「リ、リュリシア……私……少し……」


「え? ルミナ、大丈夫?

 顔が赤いわよ?」


 その時だった。


「──リュリシア様!!」


 喧騒を一瞬で切り裂き、全身にビリビリと響く声。


 二人が振り向くと、

 人混みの向こうで佇む“赤髪の騎士”がいた。


 エレナ・シルヴァ。


 鎧越しに腕を組み、

 完全に“見つけた”という目でこちらを見ていた。


「……あ」


 リュリシアが固まる。


 その隣で、私も直感した。


(……怒ってる……!)


 しかしエレナは怒鳴らなかった。

 ただ、ゆっくりと二人の前まで歩み寄る。


「リュリシア様。

 護衛もつけずに城を抜け出すのは……褒められたことではありません」


 低い声。

 言葉は冷静だが、ほんの少し震えている。


「……ご、ごめんなさい……」


 リュリシアが小さく肩をすぼめる。


 エレナは大きくため息をつき、

 その視線を私へ移した。


「あなたも……辛かったでしょう。

 人混みは初めてでは?」


「えぇ……あっ……」


 優しく言われた瞬間、

 張り詰めていた糸が切れたように、呼吸が乱れた。


「わ、私……歩くの……久しぶりで……」


「顔色がひどいですね……」


 エレナが近づく。


 その瞬間――


(……胸、が……握りつぶされ……る……)


 膝から力が抜けた。


「ルミナ!?」


 リュリシアが叫び、

 エレナは反射的に抱きとめる。


 腕の中に倒れ込んだ瞬間、視界が白く弾けた。


 ──深い森。


 誰かが走っている。

 荒い息。

 折れる枝の音。


 視界の先で、地面が大きく裂ける。


 崖が崩れ――


 落ちる影。


(……コールさん!?)


 声は届かない。

 ただ落ちていく姿だけが焼き付く。


 つづいて景色が跳ぶ。


 静かな草原。

 風の音だけが吹きぬける。


 地に伏したコール。


 胸にはぽっかりとした穴。

 血が乾いて黒くなっていた。


 その亡骸にすがるように抱きつくのは――


 泣き崩れるエレナだった。


 騎士の誇りも、武人の顔もない。

 ただ一人の女性として、肩を震わせていた。


『……置いてくな……アーク……

 私を、置いていくな……』


 その声は、風にちぎれながらも私の胸を直接締めつける。


「──ルミナ!!」


 現実が戻る。


 エレナの腕の中で、私は大きく息を吸った。

 だがそのまま、力が抜けきって意識が落ちる。


「ルミナ!? しっかりして!」


 リュリシアは泣きそうな声で呼びかける。

 エレナは抱き上げたまま、固く唇を噛んでいた。


 今…私が見たのは…“未来”?。 


 エレナ自身も、ほんの一瞬だけ、

 その断片を私を通して感じ取ったような錯覚があった。


「……やめろ……そんな……」


 騎士の顔が崩れる。


 喉の奥から、名前が勝手にこぼれた。


「……アーク……」


 私をしっかり抱き締め、

 エレナは城へ向かって駆け出した。


 ……賑やかだった通りの喧騒だけが、

 何も知らないまま背後に遠ざかっていく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ