第104話:帰還と、名を呼ぶ巫女
甲板に出たとき、
背後の空はまだ赤かった。
厄災の炎が雲を焦がしているせいだ。
リュカとシアは、すでに全てを見ていたようだった。
二人とも何も言わない。
言わなくても分かってるのだろう。
「……街には戻らねぇ」
そう口にした瞬間。
リュカはまぶたを一度だけ閉じた。
「……だよな」
ただそれだけだった。
驚きも怒りもない。
俺の性格も、力量も、
そして“あの化け物”が現れた意味も、
すべて理解した上での返事。
シアも静かに息をついた。
「……勝てませんね。今は」
「当たり前だ。
封印で弱ってるはずなのに、あのデカさだ……。
しかも大砲が効かねえマジの化け物だ」
俺は空へ向けて舵を切る。
船首がアガレア大陸の方角へ向く。
「今突っ込んだら死ぬだけだ」
その言い方に怒りも焦りもない。
ただ事実だけ。
リュカは手すりに寄りかかりながら呟いた。
「……街の連中、もう助からねぇか」
「助けられねぇよ。
そもそも助ける価値も……ねぇ」
ルミナが小さく肩を震わせた。
だが俺は構わず続けた。
「祈りだの務めだの言って、
自分の子供まで燃料にするような連中だ。
勝手に滅ぶなら好きに滅べばいい」
この言い方でもリュカは反発しなかった。
ルミナが震える声で口を開く。
「……わ、私は……
儀式が止まったせいで……街が……」
「お前のせいじゃねぇよ」
即答だった。
「封印はもうとっくに限界だったんだ。
巫女ひとり追加したところで、
どうせ結果は同じだった」
「……でも……!」
「“でも”も“だって”もねぇよ」
振り返ると、ルミナが怯えたように目を見開いていた。
俺が怒ってると勘違いしたのだろう。
違う。
「――お前が生き残った。それだけで十分だ」
その言葉に、リュカもシアも何も言わない。
二人とも分かっているからだ。
俺は続ける。
「いいかルミナ。
街はもう終わった。
封印も終わった。
戻ったところで誰も救えねぇ」
「…………」
「だったら、生き延びろ。
それが唯一残された選択肢だ」
ルミナはゆっくりと息を吸い、
胸の前で両手を組むようにして震えを抑えた。
「……私は……この先どうすれば……」
「とりあえずはアガレア大陸の国に連れていく」
「それは……亡命?……ということでしょうか……」
「ああ。正確にはアルシェル王国。
そもそも普通の船なら一ヶ月かかるようなところだ」
迷いなく答える。
「そこならお前を保護してくれる。
巫女だ、務めだ、生贄だの言わねぇ場所だ」
「でも……そんな私……」
受け止めきれず、涙が滲む。
リュカが静かに言う。
「お前は悪くねぇよ、ルミナ。
コールが連れて行くって決めたんだ。嫌なのか?」
優しい声だった。
シアも微笑んだ。
「……生きてください。まずは、それだけ」
ルミナは唇をかみしめ、
ようやく小さく頷いた。
「……はい……」
その瞬間、風が変わった。
船は真っ直ぐアガレアへ向かう。
街はもうない。
封印もない。
選択肢も、後戻りもない。
残ったのは――生きる道だけだ。
―――――
二日経って、アルシェルの城が見えた。
当たり前だが、ルミナのいた国とは違う。
空も町も平和そのもの――危機感なんて一つも漂ってねぇ。
なのに、下の街は大騒ぎだった。
「船だ! 救国の船が帰ってきたぞ!」
「また現れたぞ!」
「空から直行だぁ! 城の方だ!」
そりゃそうだ。
帰る時も出る時も、地上を使ったことなんてない。
城の衛兵も慌てふためいて、
見張り塔の鐘が鳴り始めていた。
(……相変わらずだな、この国は)
船を城に寄せると、
中庭ではすでに騎士たちが半包囲みたいに陣を敷いている。
ただ、俺の目はそれをすり抜け――
東棟の階段の方に向いた。
そこにいた。
赤い髪を束ね、胸当てを整えながらこちらを睨む女騎士……。
(……エレナ)
別れ際のキスが邪魔をしてるせいか、妙に落ち着かねぇ。
(……なんでこんなに、顔見た瞬間こうなるんだ……落ち着け俺)
自分で自分に吐き捨てたくなる。
ルミナが横で震えながら言った。
「こ、こんなに……皆さんが……」
下をのぞけば、城の中庭はほとんど“戦場前”みてぇな空気だった。
兵が半円状に並び、槍を構え、
弓兵が上の回廊からこちらをうかがっている。
……まあ、空からいきなり船が降りてくりゃ、そうもなるか。
「心配すんな。あれでも歓迎の方だ」
俺は舵を軽く押し込み、
イルクアスターを中庭の中央、噴水のぎりぎり上で静かに止めた。
木肌がきしむ。
影たちが無言で走り、側面の橋を下ろしていく。
ギギギ……と金具のこすれる音。
中庭の石畳に橋が触れた瞬間、
ざわついていた騎士たちの視線が、一斉にこちらへ向いた。
「……行くか」
先に俺、その後ろにリュカとシア。
少し間をあけて、マントのフードを深くかぶったルミナが続く。
橋を一歩降りると――
最前列の騎士が反射的に剣に手をかけかけたが、
俺の顔を認めた途端、動きが止まった。
「アーク殿だ! 武器を納めろ!」
部隊長が声を上げ。
その言葉を合図にしたみたいに、
騎士たちは慌てて武器から手を離し、
左右に道を作るように並び直した。
(ちゃんと認識はされてんだな)
橋の先には、慣れた顔が何人も並んでいた。
アルシェル近衛の面々。
その前列の後ろから小さな姿が一つ。
「――アーク!」
元気な声が、中庭に響いた。
金の髪が朝の光を跳ね返しながら駆けてくる。
リュリシアだった。
王衣ではなく、動きやすい簡素なドレスに短いマント。
それでも腰には短い剣を帯びている。
稽古でもしていたのだろう。
(……出てってから、まだ一週間くらいだよな)
そんなに間は空いてないはずなのに、
妙に“久しぶり”に感じる。
リュリシアは俺の目の前でぴたりと止まり、
ぱっと笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、アーク!
思ったよりずっと早かったわね!」
「そっちこそ、元気そうで何よりだなお姫様」
「ええ、もちろんよ。アークこそが無茶をしてない?」
「俺が? するわけねぇ……とは言えねぇんだなこれが」
横で、ルミナが小さく息を呑んだのが分かった。
フードの隙間から、じっとリュリシアを見ている。
(金髪……陽の光を集めたみたいな瞳。
笑うと、顔の周りの空気が少しだけ明るくなる。)
――夢で見た“金髪の少女”と、ほとんど同じ。
「……リュリシア」
ルミナは突然……知らせていない彼女の名前を口にした。
リュリシアが瞬く。
「えっ……あなたは?」
俺も眉をひそめた。
(……言ったか? いや、言ってねぇ。誰も教えてない)
ルミナは慌てて首を振る。
「あ……い、いえっ……その……夢で……見て」
リュリシアの表情がふっと揺れる。
意味がわからない、ただ戸惑ってる顔。
ルミナは胸を押さえ、震えていた。
(……わけがわからんが、今は後だ)
俺はリュリシアへ向き直り、
声の色を落とした。
「……リュリシア。
話がある。
ここじゃできねぇ。
他の奴らには聞かせられねぇ内容だ」
その一言で、リュリシアの眉が僅かに寄った。
さっきまでの柔らかい空気が霧散する。
「……分かったわ、アーク」
彼女は周囲の騎士たちへ振り返り、
すっと声を張った。
「これより先は私とアークだけで移動します。
誰もついてこないで」
その静かな命令に、近衛たちは即座に道を開いた。
リュカとシアは後ろで見守りつつ、
ただ頷くだけで何も言わない。
ルミナはフードの奥で緊張に固まり、
俺の背中に隠れる。
「大丈夫よ。何も怖がらなくていいわ」
リュリシアはルミナへ優しく微笑み、
そのまま俺の横に並んだ。
「……行きましょう、アーク」
「ああ」
俺とリュリシアが歩き出し、
一拍遅れてルミナがついてくる。
騎士たちが静かに道を開いた。
――ただ帰ってきただけのはずなのに。
胸の奥に、いやな予感と、わずかな期待が同時にざわつく。




