第102話:見捨てる選択
甲板に足がついた瞬間、リュカが全力で走ってきた。
「コール!? 今の見たよな!? あれどうすんだよ!!!」
声が震えてる。
あいつがここまでうろたえるのは、いつぶりだろうな。
腕の中でルミナが震えてるのを感じる。
視線はずっと、断崖の向こう――あの“巨人”に釘付けだ。
俺は一度だけそちらを見て、短く吐き出した。
「……知らん」
「はあ!? おま、コール、お前マジで見捨てる気かよッ!」
リュカが掴みかかってくる。
だが俺はそいつを軽く押し返して言う。
「やらせるさ」
焦りと怒気が入り混じったリュカの顔が固まる。
「……やらせるって、誰にだよ……?」
俺は視線を断崖に向けたまま答えた。
「決まってんだろ。――“あいつら”にだ」
視線の先、厄災になすすべもなく踏み潰される人間がいた。
「……お前なぁ!」
リュカが再び掴みかかる。
俺はそれをまた軽く押し返す。
「ルミナ一人を犠牲にして、自分らだけ生き残ろうとしてる街だ。
助ける義理があると本気で思ってるのか?」
リュカは言葉を詰まらせる。
「で、でも……街には、子供だって……!」
「だからどうした」
淡々と言い放つ。
「あの街のガキより、俺はこいつ一人を選ぶ」
腕の中のルミナを抱え直し、
その細い肩を強く抱き寄せる。
ルミナは完全に力を失い、視線はまだ厄災の穴を見ている。
唇がかすかに噛まれたまま震えていた。
シアが、静かに近づいてくる。
「……コール様……」
その声には怒りも非難もなかった。
ただ“理解が追いつかない”色だけ。
「本当に……全て見捨てるのですか……?」
シアはリュカほど乱れていない。
だが、普段の穏やかさよりも不安と困惑が全面に出ている。
「シア、お前までか。
見たはずだろ……あいつら、巫女を差し出すのを“当然”だとよ」
シアは唇を結ぶ。
「……でも……助けを求める声が……どこかで……」
「知らん」
言葉を切り捨てる。
「俺が守るのは、この子だけだ。
街がどうなろうが関係ねぇ」
ルミナが反応するように、小さく震えた。
リュカが顔をしかめる。
「……コール……お前……そんな奴だったかよ……」
その言葉に、俺は初めてリュカを見た。
「俺は最初からこうだ」
リュカは殴りかかりそうになって、
でもできずに拳を握り締めた。
シアは視線をルミナへ落とし、
その震えを見て、静かに息を吸う。
「……コール様は……その子を守る、と……。
理由は……聞きません。
でも……そんな顔、初めて見ました……」
俺は答えない。
ルミナはまだ衝撃の中に沈んでいた。
声も出ない。
ただ、震える指先が俺の腕を掴む。
「…お願いします、どうか」
その瞳――助けを乞うみたいな、弱い光。
俺は思わず舌打ちした。
「ッチ……その顔で、そんな目すんなよ」
苛立ちが混じった声が漏れる。
だがその腕を振りほどくことはできなかった。
俺はシアを振り返る。
「シア、こいつを預ける。しっかり掴んでろ」
「……っ、はい……!」
シアが震えるルミナを抱き寄せる。
リュカはまだ困惑したまま俺を見ていた。
「コール……お前……」
「うるせぇ。舵を取る」
言い捨てて操舵席へ向かう。
甲板に響く靴音。
街の断崖の向こうでは、黒炎の巨影がゆっくりと街へ向かって歩き出していた。
「……クソが……」
舵を握り、浮遊板の角度を変える。
イルクアスターが大きく旋回し、厄災の横腹をかすめるように進路を取る。
巨体の足が地面に落ちるたび、空気が歪む。
「リュカ! 用意しろ、撃つぞ!」
「お、おう!!」
リュカが慌てて大砲に向かう。
「狙えッ!」
「合わせた!!」
「野郎ども! 撃てぇえ!!」
――ドゴォン!!
船の大砲が一斉に発射。
空気を裂く轟音とともに、黒煙が巨影を包む。
衝撃で船体が震え、甲板が軋む。
煙が薄れていく。
その向こう――
「は……?」
リュカが言葉を失った。
厄災は無傷だった。
皮膚らしきものはなく、ただ燃え盛る負の炎が脈打つだけ。
砲撃は届いてすらいない。
その瞬間、巨人がゆっくりとこちらを向いた。
目はない――だが、“見られた”と背骨が理解した。
「ッ……まずい!!」
巨人が地面へ腕を突き刺す。
大地がえぐれ、握り込まれる。
その握り潰された土が――
溶けて、流れ、どろりと“マグマ”になった。
「嘘だろおい……!」
リュカの声が震える。
巨人はその溶岩の塊を掴み、
ゆっくりと、しかし確実に――こちらへ振りかぶった。
投げつけられた。
――空気が焼けた。
太陽より赤い塊が放物線を描いて迫る。
「掴まれ!!」
俺は迷わずレバーを全力で引いた。
その瞬間――
イルクアスターの重心が一気に抜け、
船体全体がストンと重力に引かれ“落ちた”。
文字どおり、空から地面に引きずられるように。
マグマの塊はぎりぎり上を通り抜け――
――バヂィッ!!
帆の端が焼けた。
焼け焦げが飛び散って甲板へ落ちる。
見張り台の柱に当たり、
そこにいたゴーグルの頭を掠めた。
「!?!?!?!」
ゴーグルの縁が真っ赤に焼け、チリチリと焦げる。
溶岩はそのまま空へ飛び、
背後で爆ぜて、熱風だけが追いかけてきた。
船体がガタガタと揺れ、
甲板の上でシアがルミナを抱えてしゃがみ込む。
「っ、コール様!!」
「無理だな……」
俺は静かに言った。
叫びでも焦りでもなく、ただの事実として。
「どう見ても勝てねぇ。あんなもん相手にしてられるかよ」
巨人はゆっくりこちらを向く。
顔はないのに、意識だけは確実に“俺たち”を捕捉している。
マグマが滴る手が再び地面へ沈む。
もう一発来る――。
「逃げるぞ」
リュカが蒼白になる。
「えっ……え、逃げる……だけ……?」
「他にどうしろってんだ。死ぬ気か?」
俺はレバーを戻し、舵を切る。
イルクアスターは再び空へ浮かび、
巨影から遠ざかるように旋回した。
ルミナがシアの腕の中で震える。
まだ何も言えない。ただ断崖の方を見つめている。
街では人間たちが、
巨人の一歩の衝撃で次々と倒れ、
悲鳴が上がり始めていた。
だが、俺はそちらを一度も見なかった。
「逃げる。他の選択肢はねぇ」
―――――
どれだけ飛んだか分からない。
ただ気づけば、海だった。
蒼い海面が朝日を弾き、遠くにはまだ大陸の影が見える。
その上に――黒い煙がゆっくりと立ち昇っていた。
厄災の咆哮が、まだ耳の奥に残っている。
「……流石に追ってこねえか」
舵輪に片手を置きながら、俺は息を吐いた。
船内は静かだ。
ルミナは医務室でシアに看病されている。
泣きもしなかった。ただ、意識を失うように倒れた。
その分、甲板の空気は重かった。
「……おい、コール」
背後から、低い声。
振り返らなくても分かる。リュカだ。
振り返ると、顔が真っ赤だ。怒りか、恐怖か、両方か。
「……今の、なんだよ」
声が震えていた。
「なんだよって、見ただろ」
「見たよ! でも……逃げるだけって……マジでそれでいいのかよ!」
俺は舵輪から手を離し、ゆっくりとリュカと向かい合う。
「……正気か?」
「正気だよ! あの街は……あの人たちは……!」
「生きてねぇよ、もう」
言った瞬間、リュカが歯を食いしばる。
「……っ……なんでそんな言い方しか……!」
「……じゃあ聞くが、お前は行きたいか?」
ぐ、とリュカが固まった。
「戻って、あの巨人の足元に立つか?
あのマグマの雨の中で、誰を助けられるつもりだ?」
「……それは……」
リュカの拳が震える。
「街には……子供だって……」
「知ってる」
俺は静かに言った。
「だが、俺は戻っても何もできねぇ」
海風が甲板を撫でる。
遠くで雷みたいな音がこだましている。
巨人がまだ暴れている音だ。
リュカは顔を上げる。
「でも……お前、いつもみたいに……なんとかするんだろ……?」
「今回ばかりは無理だ」
淡々と告げた。
「俺はあれを殺せるほど強くねぇし、あのクソみたいな街を背負う気もねぇ」
リュカは拳を握り、ついに叫ぶ。
「じゃぁ!お前は……なんであの巫女だけ助けた!?
なんで街の人間は見捨てて……!」
甲板に風が吹きつける。
帆の焦げ跡がひらりと落ちた。
俺は舌打ちした。
「……あの街の連中がどうなろうと、どうでもいい」
「はぁ!? どうでもいいって……!」
リュカの怒声を遮るように、俺は続けた。
「街にはガキもいたし、逃げられねぇ奴もいる。
助けられるなら助けりゃ――」
そこで言葉を切り、リュカを真っ直ぐ見た。
「――俺にとって。
あの街より、
“お前やシアの命のほうが大事だ”。」
リュカが固まった。
信じられないものを見る目だ。
俺は淡々と続けた。
「街を救うために全員まとめて死ぬなんざ、冗談じゃねぇ。
お前もシアも、そして……」
腕の中で震えていた巫女の感触を思い出す。
「……あいつも。
俺は俺が守る命を優先する。それだけだ」
リュカは息を呑んだようだった。
「……コール……」
「俺は英雄じゃない。
“救えるもの”から選ぶだけだ。
あの街なんて、そもそも助ける価値もねぇ」
リュカは視線を落とし、拳を握りしめる。
「……だからって……全部切り捨てるなんて……」
「切り捨てたよ」
はっきり言った。
「街を選ぶか、お前らを選ぶか。
――俺は迷わず後者を選んだだけだ」
リュカが気まずそうに眉を寄せる。
「シア、お前……どう思うんだよ。
街を……全部だぞ……」
シアはすぐには答えなかった。
海を見て、煙を見て、そしてゆっくり俺を見た。
「……納得は、できません」
リュカがほっとした顔をしかける。
だがシアは続けた。
「でも……理解は、できます」
リュカが「は?」と振り向く。
シアはまっすぐに見続けていた。
「だって……コール様は、
“そういう方”ですから」
その声音は――批判でも非難でもなく、
まるで祈るような、陶酔に近い信頼だった。
「冷たく見えます。
でも……本当は、護りたい人にだけは、誰よりも必死で……
だからこそ、切り捨てる時は平気で切り捨てる」
「シア……お前……」
「それが……コール様、ですよね」
シアの瞳は揺れていない。
その信頼に、リュカは言葉を失う。
「私も……街の人々が消えていくのを見て、苦しかったです。
でも……」
小さく笑う。
「それでも、私はコール様の選択を受け入れます。
だって……コール様が振り向く先に、私たちがいたから」
リュカは呆れたように頭を抱えた。
「……お前、完全に盲信じゃねぇか……」
「そうかもね。でも――」
シアはさらりと言う。
「それでいいんです。
私はコール様に拾われたときから、ずっと……
“自分の命の価値は、コール様が決める”と思っていますから」
空気が止まった。
リュカが口を開く。
「……お前……そこまで……」
「リュカ」
シアは静かに言う。
「あなたも……本当は分かってるでしょう?
コール様は、私たちを見捨てない」
リュカは唇を噛む。
「……まあ……そうだけどよ……」
シアが俺を見て微笑む。
「だから……街を見捨てたことは、私も責めません。
むしろ……そんな決断ができるところが、コール様だと思います」
「お前……」
リュカが呆れた声を漏らす。
シアは首を振った。
「強いから好きになったわけじゃありません。
優しいだけの人なら、とっくに死んでます。
……冷たさも、切り捨てる強さも、全部含めて――
私は……コール様についていきます」
風が止んだ。
その言葉が、潮の匂いに混じって残った。
俺は舵に視線を戻し、短く答えた。
「……勝手にしろ」
シアは静かに微笑み、
リュカは「はぁ……」と溜息をつきながら頭をかいた。
イルクアスターは煙の大陸に背を向け、
ゆっくりと、静かな海を進んでいった。




