表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
102/109

第101話:めぐりの儀


 厄災が封印されている断崖の大穴の周囲だけは、既に完全に“整って”いた。


 白衣の神官たちが円陣を組み、

 それをさらに外側から民が取り囲んでいる。


 全員が膝をつき、

 頭を深く地に伏せていた。


 風すら止まっていた。


 誰も顔を上げない。

 誰も声を漏らさない。


 ただ静寂の中で、

 大穴の奥から吹き上がる冷たい風の音だけが響いていた。


 穴の縁には祭壇があり、

 その上にルミナが立つ。


 白布を頭から纏い、

 胸の前で指を組み、

 目は静かに閉じられている。


 その姿は聖女。


 神官長がゆっくりと杖を掲げる。


「――めぐりの儀を、これより始める」


 その声が落ちた瞬間、

 円陣の神官全員が祈りの印を結んだ。


 低く、重く、震える祈声が広がっていく。


 民も祈りを合わせる。

 その動きは、まるで誰かが導くように完璧に揃っていた。


 大穴の縁に刻まれた“祝印しゅくいん”が光を帯び始める。

 淡い白が石畳を走り、

 巫女の足元から穴の底へと光の線を描いた。


 ルミナの白布が光を反射して揺れる。


 穴の底が――

 最初はかすかに、

 やがてはっきりと明滅を始めた。


 神官長が眉を寄せる。


「……封印が揺らいでいる。祈りを強めよ」


 祈声が一段と深くなる。


 光は脈打つように強まり、

 底に渦を描いた。


 そして――底が赤く光った。


 ひとつの光ではない。

 炎のように揺れる赤が幾重にも重なり、

 その奥で何かが動いている。


 神官の一人が震える声で囁く。


「……来る……」


 瞬間、

 咆哮が大穴を震わせた。


「……オ……ォォ……アア……ッ……!」


 大地が揺れ、

 祈りの印が低く唸る。


 二度目の咆哮は、もっと歪んでいた。


「ア……アア……アァァ……!!」


 獣とも炎ともつかない声。

 しかし、その奥に確かに“感情”があった。


 神官長が台座に向かって叫ぶ。


「巫女よ! 祈りを!!」


 ルミナは静かに目を閉じたまま、

 祈りの型を整え直し、

 両の掌を穴へと向けた。


 白布が風を受けて広がる。


 その瞬間、

 大穴の底の赤光が激しく噴き上がった。


 熱ではなく、

 風でもなく、

 形のない“魔力の炎”。


 神官たちの祈りが押されるほどの圧。


 その中で、

 咆哮は――悲鳴のように変わった。


「……ァ……ァアアアッ……

 ……ル……ナ……ッ……!!」


 誰にも意味はわからない。

 ただ、その声がまるで――悲しんでいるようにも聞こえた。


 祈りは続く。

 光は強まる。


 ルミナの白布が光に包まれ、

 彼女の足元から細い光が吸い込まれるように穴へ流れ込む。


 封印は動き出した。

 儀式は止まらない。


 大穴の奥で、

 厄災が呻き、吠えていた。


 祈声はさらに高まり、

 大穴の底から吹き上がる赤光は、

 もはや朝日の色を塗り潰すほど強くなっていた。


 祝印の線は白銀に輝き、

 巫女の足元の石畳は微かに浮き上がる。


 神官長が杖をさらに高く掲げる。


「めぐりの風よ――いま、巫女を迎えよ!」


 その声に呼応するように、

 穴の底から白い風柱が噴き上がる。


 ルミナの白布が大きく舞った。


 彼女の足元から、

 細い細い光の糸が静かにほどけ、

 穴へ吸われていく。


 まるで“命”そのものが流れているようだった。


 神官たちは祈りを止めない。

 民は頭を伏せたまま動かない。


 ――誰も、顔を上げようとしなかった。


 穴の奥底で赤光が裂ける。

 炎とも風ともつかぬ魔力の奔流が歪んだ咆哮を上げる。


「……ッアアアアアアア……!」


 神官長が叫ぶ。


「“母”よ! 巫女が今! 御身のもとに!!」


 ルミナは一歩前へ進んだ。

 台座の端、封印の縁へ。


 白布が朝光と祝印の光の狭間で揺れる。


 小さく、息を吸う。


 それは覚悟というより――

 教え込まれた“当たり前”を受け入れる動作……。


 その足が、穴へ向けて動いた瞬間。


 ――風が揺れた。


 誰も祈りを止めていない。

 神官も、民も、風車すら……。


 だというのに、


 ッヒュン


 耳元を掠める、異質な風切りが落ちた。


 誰も顔を上げていない。

 誰も、気づいていない。


 だが次の瞬間――白布が消えた。


 ルミナの体が、

 穴へ投じられるはずだったその軌跡から、

 一瞬で“消えた”。


 風柱が空を切る。

 祝印の光が乱れる。


 神官が叫ぶ。


「な――!? 巫女が……消え……」


 見上げた神官たちの視界に、

 朝日を背にした黒影が映る。


 断崖の上。

 巨大な風車の影のさらに上。


 そこから――

 太いロープ一本に片腕でぶら下がり、

 もう片方の腕で巫女を抱えた男が、その場から離れていく。


 風より速く、

 音より静かに。


 荒い息も、叫び声もない。


 ただ、真顔のまま。


 黒い外套が風を裂く。

 ルミナを抱えたまま、

 男は一直線に空へと向かう。


 神官たちは呆然と立ち尽くし、

 民は崖下を見ようとすらしない。

 祈りは止まったが、反応が追いつかない。


 神官長だけが震える声で叫ぶ。


「――外者……!

 外者だ!!

 巫女が奪われた!!」


 その叫びと同時に、

 ごう、と断崖の底から再び赤光が噴き上がった。


 封印の揺らぎが、

 完全に狂い始めていた。


―――――


 ロープを握る手に、風が痛いほど当たっていた。

 丘を越えた瞬間、眼下には“儀式の渦”があった。


 白布。

 祈りの円。

 光の帯。

 そして――穴の底から吹き上がる赤い炎の魔力。


「……頃合いだな」


 ロープを滑らせ、脚を振り、重心を倒す。


 狙いは一つ。


 白布が前へ傾いた瞬間――

 風が跳ねた。


「ッ……!」


 ロープが唸り、体が一気に落下する。


 崖の縁、石畳、祈りの円――

 全部を一瞬で通り過ぎて、


 俺の腕の中に、巫女が収まった。


 そのまま反動でロープが張り、体が空へと跳ね上がる。


 白布が風に千切れそうに舞う。

 ルミナの細い肩が、俺の腕の中で震えた。


「……っ! え……? だ、誰!?……なに!?」


 小さな声。

 息が震えている。


 顔が白布の影から覗き、

 俺の顔を見て――その瞳が大きく揺れた。


 驚愕、混乱、そして少しの恐怖。


 当然だ。

 死ぬ気で歩いていたら、空から男が飛んできたんだから。


「悪いな。迎えに来た」


 短く言って、肩に固定し直す。


 ルミナは理解が追いつかないまま、

 必死に大穴を振り返った。


「ま、待って……!

 もど、戻らないと……封印が――!」


 その言葉と同時に。


 ――大地が砕けた。


 ルミナを胸に抱え、ロープに揺られる中――

 大穴が“生き物のように”脈動した。


 ごう、と音にならない音が世界を震わせた。


 祝印が逆流したみたいに白銀の光を失い、

 石畳が波打つように浮き上がり、

 空気が一瞬で焦げた。


 次の瞬間。


 ――底が破裂した。


 光でも炎でも風でもない、

 言葉にできない“なにか”が、

 世界の心臓が裏返ったみたいな衝撃とともに噴き上がる。


 赤ではない。

 橙でもない。


 深紅と黒と灰色の“負の炎”。


 その中心から――巨影が立ち上がった。


 最初に見えたのは“指”だった。


 一本一本が塔のように太く、

 その関節には溶岩のような光が脈打っている。


 次に腕。

 血のように赤く、

 皮膚という概念が存在しない。


 熱ではなく、

 “存在そのもの”が世界を焼く……そんな感じだ。


「でけぇ……」


 俺の喉が勝手に震えた。


 腕が穴の縁にかかるたび、

 断崖が悲鳴のような音を立てて崩れる。


 そして、

 顔が、出た。


 目はない。

 鼻もない。

 だが“泣いている”ことだけは分かった。


 涙の代わりに、

 黒い炎が頬を伝い落ちていた。


 その滴が地面に落ちるたび――

 石が灰になって消えた。


 風が全方向に逃げ出し、

 空が赤黒く染まり、

 陽光が押し返される。


 神官たちは立ち上がることすらできなかった。


 民は祈ることすら忘れ、

 恐怖で手が震え、

 その震えすら“音”にならない。


 咆哮が世界を割った。


「……ァ……アアア……アアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 山鳴りではない。

 雷鳴ではない。


 世界そのものが泣き叫ぶような声。


 その声の波動だけで――

 街の屋根瓦が吹き飛び、

 石畳が蜘蛛の巣みたいに割れ、

 空気が波打って見えた。


 崖の縁が完全に崩れ、

 巨人の脚が地上に出た。


 炎ではない。

 煙ではない。

 影でもない。


 “存在の焼却”そのもの。


 ルミナが俺の腕の中で震え、

 落ちかけた声で呟いた。


「……あ……れが……

 あれが……“母の敵”……

 封印されていた……厄災……」


 声が震え、

 瞳が涙と恐怖で揺れる。


「わたしの……せいで……」


「違う」


 俺は短く言い捨てた。


「最初から、封印は限界だったんだよ」


 巨人が完全に立ち上がった。


 その高さは――イルクアスターの三倍でも足りない。

 街の塔より高い。

 雲に手が届きそうだった。


 天に向かって吠えるたび、

 畏怖でも、怒りでも、憎悪でもない――


 まるで“悲しみ”が世界にばら撒かれるように、俺は感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ