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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第100話:風の道


 風鈴が遠くで震える。

 祈りの気配が波のように広がる。


 そんな異様な空気の中で、俺は舌打ちした。


(……やっぱ無理だ、この街。気色悪すぎる)


 そう思った矢先だった。


「――そこの者! 止まれ!」


 鋭い声が通りを割った。


 振り返ると、白衣の神官が二人、

 風の印を掲げながらこちらへ歩いてくる。


 人混みの奥でも、さらに数人がこっちを見ていた。

 完全に“探して”いる目だった。


(チッ……思ったより追いが早いな)


「ルミナ、こっちに」


 俺が腕を掴もうとした瞬間、

 ルミナはその手をそっと避けた。


 目はまっすぐ追手の神官を向いている。


「……私、行きます」


「は?」


 思わず声が低くなった。


 だがルミナは一歩前に出る。

 逃げも隠れもしない。


「私を探しているのなら、隠れる必要はありません。

 儀式の準備を乱すわけにはいきませんから」


「おい、ルミナ」


「務めを果たさなければ、この街の風は止まります。

 ……母が守ろうとしたものも」


 その言葉は、まったく揺れていなかった。


(……本気で言ってんのか、こいつ)


 追手の神官が駆け寄り、膝をついて祈りの印を結ぶ。


「ルミナ様……!

 お探ししておりました。どうかこちらへ。

 “風籠”の時刻が迫っております」


 ルミナは穏やかに頷いた。


「ご迷惑をおかけしました。

 ……案内をお願いします、彼はそのままに」


 その“素直すぎる”返事に、俺は腹の底でどす黒く笑った。


「はいはい、勝手に戻れよ。死ぬ準備ができてんなら、好きにすりゃいい」


 だが本心は表には出さない。


「はい。

 私の役目ですから」


 迷いもなく言い切るルミナ。


 この街へ戻る。

 死ぬために。


「……わかったよ。もう止めねぇ」


 肩をすくめて見せる。

 冷たい諦めのふりだ。


 だが内側では――


(勝手にしろ。

 だが絶対に死なせねぇ。

 その幻想ごと、ぶっ壊す)


 追手に囲まれ、ルミナが連れていかれる。

 白い布が風に揺れ、塔の方へと小さくなっていく。


 それを黙って見送った俺に、

 神官の一人が軽く頭を下げた。


「今回の件、ルミナ様の意思により不問としますが、

 あまり下手な真似はされぬよう…風があなたの道を守らんことを」


「……守られたくねぇよ、そんなもん」


 低く呟いた声は、誰にも届かなかった。


ーーーーー


 神官たちが去ると、通りはまた機械みてぇに整った祈りの音に戻った。

 まるでさっきの騒ぎなんて一瞬で風に消えたみたいに。


(……クソみてぇな街だ)


 胸の奥で毒を飲むような感覚がした。


 ルミナは――

 あの“穏やかな顔”のまま死にに戻った。


 街は――それを当然として祈り続けている。


 子どもでさえ――

 死ぬ巫女に花を渡して笑っていた。


 全部、気持ち悪い。


(……この街を“守る”とか、そんな優しい話じゃねぇ)


 俺は風の塔を見上げた。


 塔の上では、大きな風車の影がゆっくりと回っていた。

 その回転は綺麗すぎて、逆に“何かを隠してる”ようにしか見えない。


(……戻ってくる気ゼロなんだろうな、あいつ)


 だが、不思議と焦りはなかった。


 俺は深く息を吐く。

 視線を塔から外す。


(聞き分けのねえやつには――力ずくってな…)


 その瞬間、また風鈴が鳴った。


 塔のほうから、鈴の音が街に流れ落ちてくる。

 周囲の住人が全員、自然すぎる動きで祈りの印を結んだ。

 小さな子どもまで、例外じゃない。


(……あぁ。無理だ)


 この街は、救う価値がない。

 こいつらは誰一人として、ルミナの死を“悲しむ”ことすらしない。


 そんな街に、

 俺が何かしてやる義理なんざ、一つもねぇ。


「……ッチ」


 どうせ儀式の最中に暴れるしかなくなる。

 街のことなんざ考えなくていい。


 ルミナを連れ出して、街がどうなろうが知ったこっちゃねぇ。


(あいつ一人助かりゃ、それで充分だ)


 俺は、祭の喧噪に背を向けた。


 祭の喧噪が背中に遠ざかっていく。

 風鈴の音だけが、妙に耳に残った。


(……全部、吐き気がする)


 胸の奥に溜まったものが、もう抑えきれなかった。


 ふと足元にあった風灯が目に入る。

 小さな青い灯が地面で転がっていた。


 ――邪魔だ。


 思考より先に、靴が動いた。


 ガン、と風灯を蹴り飛ばす。

鈍い音を立てて石畳にぶつかり、灯のガラスが砕け散る。


 近くの男が振り返った。


「おい……何して――」


 睨むと、そいつは一瞬で黙った。

 口をパクつかせたまま、祈りの印を結び、逃げるように去っていく。


(……そうだよ。お前らなんざ、所詮その程度だ)


 路地を歩けば歩くほど、胸の苛立ちは増した。


 通りの角に置かれた祈り台を肩で小突く。

 鈴がガラガラと落ち、台が傾いて倒れる。


 近くの老婆が悲鳴を上げたが、俺が振り返るとまた黙った。


 街全体が、祈りで塗り固められた“空気の牢屋”みてぇだ。


(ルミナも……ずっとこの空気の中で育ったってわけか)


 あの穏やかな笑顔と、何でも信じ込む目が脳裏に浮かぶ。


(……バカみてぇに素直なまんまだ)


 奥歯を噛みしめた。

 拳を握った。


 その拳がいつの間にか、近くの風に揺れる祈り札の柱を殴っていた。


 バキッ。


 木柱が折れ、札が宙に散る。

 青い布がひらひらと風に舞った。


 祈りの道具も、この街の空気も、全部が気に障る。


(“母の息”だ? “務め”だ?)


 ルミナの声が頭の奥で反響する。


(勝手に美化して死ぬ準備してんじゃねぇ……)


 歩くスピードが自然と上がっていた。

 もう祭の通りは遠く、風車の軋む音だけがやけに大きい。


 丘の陰に隠したイルクアスターが見えた。

 船の影を見た瞬間、少しだけ息が楽になった。


(……戻る場所はここだけだ)


 甲板上がると、風が一気に静かになった。

 街から離れただけで、頭の奥のざわつきが薄くなる。


「……クソが」


 腹の底から吐き捨てる。

 その声に、甲板奥から足音がした。


「コール様?、どうしたの……?」


 シアだった。

 その後ろからリュカも顔を出す。


「なんか騒ぎがあったみたいだけど…何した!?」


 俺は深く、長く息をついた。

 怒りがまだ全然抜けねぇ。


「……ルミナが戻った。

 この街で死ぬつもりだとよ」


 その言葉に、シアもリュカも固まった。


 だが俺の声は、やけに静かだった。


「――助けるぞ。

 街がどうなろうと関係ねぇ」


 背後の風鈴は、まだ遠くで鳴っていた。


ーーーーー2日後


 朝の光は淡く、まだ街の屋根に影を落としていた。

 だが、街全体の空気は異様なほど澄んでいる。


 風鈴の音が、街中で連鎖するように鳴り続けていた。

 それはまるで、どこかの指揮者が見えない棒を振っているかのようだった。


 ――同時に祈る音。


 民の囁き、祈りの印を結ぶ指の擦れる音。

 それらが、静かな波のように街路を満たしている。


 街の中央――大寺院の巨大な門が開いた。


 その瞬間、空気がさらに静まり返る。


 白衣の神官たちが、二列の行列を組んで外へ進み出る。

 その中央には巫女ルミナ。

 白布を頭から纏い、顔を伏せたまま歩いていた。


 彼女の両脇を、風の紋様を刻んだ槍を持つ衛兵が固めている。


 道の両側では、すでに民が膝をつき、

 頭を深く地に伏せ、祈りの印を胸に抱いていた。


 上から見下ろせば――

 行列が通る道は、一本の光の帯のように浮かび上がっていた。


 道の端に埋め込まれた“祝印しゅくいん”。

 石畳に無数に刻まれた風の紋が、眩い光を放ち、

 薄暗い朝の中に人工的な“光の道”を形作っていた。


 だがこの光はただ美しいだけではない。

 街を覆う風の魔力は、すべてその紋に吸われるように集まっていた。


光の帯は、街の中央から伸び、

街外れの断崖へと続いている。


 断崖の底――そこには巨大な“風の穴”が口を開いていた。


 そこはかつて厄災が封じられた場所。


 街の祈りで生み出される風の魔力は、

 毎朝、毎夜、絶えずその穴へと送り込まれている。


 “めぐりの儀”その本当の目的は封印を保ち、災いを抑え込むため。


 ――そして今、その封印を新たに固めるための“生贄”が必要だった。


 ルミナはそのために歩いている。


 寺院の門から断崖まで、一本道。

 そのすべてが祈りの光で照らし出されていた。


 人々は顔を上げない。

 巫女を見る者は一人もいない。


 ただ頭を垂れ、

 その行列を“当然の祝福”として受け入れていた。


 衛兵の靴音が石畳に反響する。

 風の紋様が光の脈動を強める。


 巫女の歩みが、封印の穴へ近づくほど、

 光の帯は強く、白銀に輝いた。


 厄災の底から吹き上がる風が、

 巫女の白布をふわりと揺らす。


 まるで呼ばれているかのように。


 儀式は――

 始まる。

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