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無明の彼方  作者: MIROKU
終わりなき戦い
9/29

決意



 翌日、おまつの茶屋の店先に麗しい人がある。

「――七郎!」

 その女性は隻眼隻腕の男が茶屋に近づいてくるや、嬉しそうに手を振った。

 女性は月ノ輪であった。

「お早いですな」

 七郎は苦笑した。長屋の自室でダラダラ過ごしていた七郎は、月ノ輪の護衛の女性が迎えに来たので、やむなく出てきたのだ。

「しっかりしてください」

「何やってんですか、まったく」

 月ノ輪の護衛の女性二人にこわい顔をされて、七郎は冷や汗をかいた。

 ほとんど初対面だというのに、ずいぶんな扱いだ。

 そして二人の女性は、茶屋の奥に上がって茶を飲んでいた。

「あら、いらっしゃっい」

 おまつが七郎を出迎えた。いつもと同じく慈母観音のような雰囲気だ。後光が差しているような錯覚すらある。

「座ったら?」

「う、うむ」

 おまつに促されて、七郎は床几の月ノ輪の隣に腰かけた。

「ふふっ」

 月ノ輪が微笑した。僅かに頬を染めて。その様子に七郎の胸が高鳴った。

「あーら、いらっしゃっーい」

 おゆりが無表情で茶を運んできた。怒りの鋒先は七郎に向いていた。

「あねさん、おはよう!」

「うむ、おゆりもおはよう」

 おゆりと月ノ輪は仲よさげだ。昨日、会ったばかりとは思えない。少し年齢の離れた姉妹のようでもある。

「い、いつもの」

 七郎はおゆりに注文するが、軽く聞き流されてしまった。

「では団子を頼もう」

「はーい」

 微笑ましい月ノ輪とおゆり。無視されているのも忘れて七郎もつられて微笑した。

「七郎にも団子を分けてやるからな」

「は、それはありがたい」

 月ノ輪と七郎は顔を見合わせ笑った。二人は同時に昔日を思い出したのだ。

 二人が出会ったのは京の内裏だ。

 内裏に魔物が現れるというので、かの高名な沢庵禅師が招かれた。

 その沢庵禅師につき従っていたのが、隻眼の七郎――

 柳生十兵衛三厳だった。

「ずいぶん仲がいいのね〜」

「な、なにをいうのだ、おゆり? だ、誰がこんな男なんか……」

 おゆりと月ノ輪が騒ぐ一方で、七郎の心は暗く沈む。

 月ノ輪は忘れえぬ女性であった。

 だが、もう一人いた。

 それは月ノ輪と強く結びつき、七郎の記憶から忘れることはできなかった。

 内裏に現れた人知を越えた魔性。

 魔性は女たちの悲しみから生まれたという。

 ――この世に人間がある限り…… 我が身は不滅……

 妙法村正に斬られて消えていく魔性の声が、七郎の魂に刻まれている。それは決して消えぬ恐怖の記憶だ。

「おい、どうした七郎?」

「ちょっと、どうしたのよ?」

「なんだい、おむかえがきたのかい」

 月ノ輪、おゆり、おまつが七郎を心配そうに見つめていた。

「あ、いや、なんでもない」

 そう言って力ない笑みを返す七郎。

 その時だ、彼は強烈な殺気を感じた。

「む?」

 七郎は通りへ振り返った。江戸城にほど近い大通りは、道行く人であふれていた。

「今のは……」

 いつの間にか七郎は険しい顔で通りを眺めていた。

 月ノ輪、おゆり、おまつが思わず目をみはった。普段とは、まるで別人だ。

(いる…………)

 七郎は直感で、道行く人々の中に魔性の蜘蛛女がいることを察知した。

 幼い頃の兵法修行で右目を失った七郎は、五感を越えた感覚に優れている。

 いわば第六感だ。それが倒すべき敵が近いことを告げていた。

「どうしたのじゃ七郎、こわい顔して」

「あ、月ノ輪様申し訳ありませぬ」

「どうしたんだい、あんた…… 戦にでも出るのかい」

 おまつは心配そうな顔をする。おまつの女の勘は冴えている。さすがは年の功だ。

「か、かっこいいー! いつもそういう顔してよー!」

 と、おゆりは年相応の反応をしたので七郎は苦笑した。



 月ノ輪(とお供の二人)を連れて七郎は江戸を巡った。

 小舟に乗り、水路を活用して散策を楽しむ。月ノ輪にとって江戸の町は全て刺激と興奮に満ちていた。

(やれやれ)

 七郎は胸を撫で下ろす思いだ。お供の二人もこわい顔だ。なにしろ月ノ輪に何かあれば、七郎はただではすまぬのだから。

 江戸観光を終えて月ノ輪らと別れ、夕暮れに七郎は自室の長屋に戻ってきた。

 しばし瞑想した。月ノ輪は明日も江戸の案内を頼んできたが、はたして七郎に明日はあるのか。

(やつはくるか)

 七郎は夜になっても瞑想を続けていた。日も落ち、夜の闇があたりを支配していた。喧騒に満ちた長屋一帯は早くも寝静まっている。

 七郎は身支度を整えた。左手一本で器用に黒装束を身にまとう。

 顔は般若の面で隠し、長屋の外に出た。昼日中は女房衆や子どもたちの声が満ちた長屋も、夜になれば不気味なほどに静まり返っていた。

 七郎は帯に自作の杖を挿しこみ、夜の中を早足で歩き出した。

 何処に行くあてもない。ただ彼は待っているのだ。魔性の蜘蛛女の出現を。

 女難をイヤというほど体験した七郎は、女の悪しき一面を――

 執念深さを知っている。二度までも七郎に煮え湯を飲まされた蜘蛛女だ、必ずや七郎を狙ってくる。朝は様子見であろう。

(さあこい)

 般若面の七郎は小走りに駆けた。

 自身の命を餌にして、魔性を釣り上げる作戦だ。

 命のやり取りになるだろうが、七郎はやる。

 それがおまつを守り、おゆりを守り、月ノ輪を守り――

 江戸を守ることにもつながるのだ。

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