魔を斬る剣
(またもや魔性が……)
七郎は何度も魔性に遭遇していた。
幕府転覆の野望渦巻く魔都、大納言忠長の治める駿河で。
月ノ輪という少女を護衛した京の内裏で。
天草四郎とウルスラに出会った島原の地で。
しかし今、七郎の前に現れたのは異質な魔性だ。
魔性は人間が転じたものだが、この蜘蛛女は何かが違う。
奈落の底から這い出てきた悪鬼羅刹――
七郎の印象は、そのようなものだ。
(……魔を斬る剣が欲しい!)
七郎が欲したのは、魔を斬る剣であった。
それは愛刀の三池典太であり、月ノ輪から借り受けた妙法村正だった。
この蜘蛛女を斬るには、三池典太や妙法村正のような降魔の利剣が必要だろうが、今はない。
ましてや七郎は右腕を失い、気力体力も衰えた。それで何ができるのだろうか。
「う、うう……」
「ば、化物だあ!」
うめきながら起き上がってきた浪人は、仲間に肩を貸して逃亡した。火に包まれた浪人も、必死に地を転がって消火に成功していたらしい。
彼ら二人を横目で一瞥し、七郎は浪人の刀を左手で拾い上げていた。
蜘蛛女によってバラバラに斬り刻まれた浪人の刀だった。
「借りとくぞ」
七郎は苦笑した。彼は無意識に刀を拾ったが、それは死した浪人が「仇を取ってくれ」と言っているような気がしたのだ。
そして魔性の蜘蛛女は、夜空の蜘蛛の巣から七郎の眼前へと舞い降りていた。
七郎は改めて魔性を見据える。背に蜘蛛のような巨大な脚を生やした魔性。
その両目は、夜の闇の中で、真紅の輝きを放っていた。
非人間的な存在を前にして、七郎は震え上がった。刀を握った左手が、ガクガク震えている。
――勝負は、一刀に始まり一刀に終わる……
師事した小野忠明の教えが、七郎の魂に思い出された。
――全身全霊、ふりしぼれ!
父の又右衛門宗矩の声もだ。あるいは、それは父と師の魂が七郎を激励しているのかもしれない。
「償いをしなければな……」
七郎は力なく苦笑した。
彼は弟の左門友矩を斬り、兄のように慕った由比正雪を間接的に死に追いやった。
二人への償いのためにも今、命を捨てる必要があった。
そして天草四郎とウルスラを守れなかったことを思い出す。二人が死んだのは魔のせいだ。
魔とは人間を不幸と悲しみに突き落とす存在だ。
それを斬るには死を覚悟して、自身の魂をぶつけるしかない。
この時、七郎の魂に再び魔を斬る剣が宿った。
魔を降伏する降魔の利剣は、七郎の魂そのものなのだ。
――しゃ
鋭い何かが空を斬り裂く。それは蜘蛛女が口から放射した糸であった。
人体すら紙のように斬り裂いた蜘蛛女の糸が、七郎を襲う。
七郎は左右に立ち並ぶ屋敷の塀に向かって駆けた。
跳躍し、塀を蹴って宙へ舞い上がる。
そして左手の刀で、横薙ぎに蜘蛛女へと斬りつける。
滑空する燕のごとき動きから放たれた、必殺の一閃だ。