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無明の彼方  作者: MIROKU
内裏の魔性
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魔天の使者



 十兵衛は庭を歩く。内裏の夜の庭は静かだ。

「……死ぬにはいい夜だ」

 十兵衛は不敵に笑った。彼は目指すべきものを庭に発見した。

 夜闇に輝く無数の赤光。それは魔性の瞳だ。人から魔性に転じた者たちの瞳が放つ、死の輝きだ。

(……いないようだな)

 十兵衛は無数の赤光の中に、配膳役の女官の気配を探した。

 名すら知らぬ女官だが不思議な愛嬌があった。彼女が魔性だとしたら斬りたくはない。

 いないと感じたのは、あるいは十兵衛の希望だったのかもしれぬ。

「今日で終わりにしよう」

 十兵衛は無数の赤光を見回して言った。

「俺の命は持っていってもかまわんが月ノ輪様と禅師は駄目だ」

 十兵衛は三池典太をゆっくりと抜刀した。美しい刀身に月光が反射して淡く輝く。

 夜の闇に輝く刃、それは無明を断つ降魔の利剣だ。

 三池典太の作となれば、後世では国宝に数えられている。十兵衛はそれほどの名刀を手にしていた。

 それを与えたのが春日局とは、十兵衛にとっては最大級の皮肉だろう。春日局は内裏からは嫌われているのだ。

「いざ」

 と言って十兵衛は鞘を投げ捨てた。

 刀は武士の命、鞘は武士の肉体。

 鞘を投げ捨てるとは、死を覚悟したということだ。

 そして十兵衛は三池典太を八相に構えた。鋭い切っ先が暗い天を衝く。

 魔性を見据えて静かに立ち尽くす十兵衛。彼は月ノ輪を守るために不動明王が内裏に遣わした兵だ。

 恐れも迷いもなく魔性を見据える十兵衛。

 空気が張り詰め、息苦しい沈黙が満ちた。

「……む」

 数百秒の沈黙を破ったのは十兵衛だ。

 彼は魔性の瞳が突然消失するのを見た。

 代わって現れたのは異形の存在だ。

(お、俺は夢を見ているのか……?)

 十兵衛は八相の構えを崩してはいないが、顔は蒼白になっていた。

 夜の闇の中に現れた異形――

 微かな光をまとって現れたのは、背に蝶に似た羽を持つ女だった。

 一糸まとわぬ白い裸身に十兵衛は魂を奪われそうになる。女の頭部には蝶に似た触覚がうごめいていた。

 そして女の深紅の瞳が、十兵衛を正面から見つめた。

 次の瞬間、女の深紅の瞳が輝いた。黄金の光だ。その光によって十兵衛は頭の中に火花が散ったような衝撃を受けた。

 ――おぬし、なにゆえ苦しみもがき生きるのか。

 女の声が十兵衛の魂に響いた。

 人知を越えた存在が十兵衛に直接、呼びかけたのだ。

 その驚愕の事態に十兵衛の心は乱れた。そして記憶も乱れる。洪水のようにあふれ出てきたのは、駿河に滞在していた時の記憶だ。

 あの魔都で十兵衛は人を斬った――

(月ノ輪様……!)

 十兵衛は体感したことのない得体の知れぬ不安と恐怖の中で、惹かれつつある少女の名を呼んだ。


   **


 十兵衛が駿河へ来てから数年。

 領内は治安も悪化し、領民が穏やかに過ごせる日々はなくなった。

 大納言忠長の治める駿河には浪人が多数集まっていた。忠長は腕の立つ者を登用する噂が流れていたからだ。

 野盗に等しい者たちまでもが城を訪れ、登用を願い――

 ほとんどの者が門前払いされた腹いせに、領内で暴れていく。

 農民から米や粟を強奪し、娘をさらい、更には斬り捨てる……

 そんなことが日常茶飯事だ。忠長は事態を憂えるわけでもない。各地からやってきた大名の遣いと密議を重ねている。

「これではいけませんな」

「ああ」

 木村助九郎と十兵衛は顔を見合わせた。

 忠長の剣術指南役である助九郎と、幕府の隠密である十兵衛。

 二人は有志を率いて、ならず者を撃退した。有志の筆頭は、伊達政宗公の名代として駿河を訪れている真田の姫の家臣――

「猿飛だ」

 かつて大阪の陣で、散々に徳川方を悩ませた真田の勇士の一人。

 猿飛と名乗った大男を前にして、十兵衛は冷汗が出た。

(強い……)

 十兵衛の心身に緊張が走る。六尺五寸の並外れた巨体ながら、名前の通り猿のような身軽さを持つ。

 しかも猿飛は、大阪の陣では十兵衛の父の宗矩、師事した小野忠明とも手合わせしていたのだ。

 ――彼の地には化物がいたのだ。真田の勇士は正しく日本一の兵ぞろい。

 そのような話を宗矩から聞かされたことがある。宗矩、忠明が化物扱いするような強者たちが真田信繁に仕えていたとは。

 猿飛とは、いわば生きる伝説だ。

 それが今、十兵衛の目の前にいた。

「あ〜、お前な…… やることはあんだろ? 全く若えなあ」

「お前も昔は似たようなものよ」

 猿飛ともう一人、才蔵と呼ばれる老人が笑った。

 才蔵もまた真田の勇士の一人であり、大阪の陣では不可思議な霧を操り、徳川方を幾度も大混乱に陥れたという。

(遠く及ばぬ……)

 ため息をつき、気分が暗く落ちこみ――

 だが開き直って苦笑する十兵衛。世の中には名もなき名人達人が、掃いて捨てるほどいる…… 恩師の忠明の言葉は真実だった。

 そして十兵衛は修羅の日々に身を投じていた。

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