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無明の彼方  作者: MIROKU
内裏の魔性
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心の旅



 夕刻、十兵衛は内裏の庭に出た。

 内裏のあちこちをうろつかぬように、と沢庵から厳命されている。

 左手には三池典太の愛刀を鞘ごと握っていた。

(静かだ…………)

 十兵衛は目を閉じ瞑想する。庭の木々の枝が風に揺れ、微かな音を立てる。

 隻眼の十兵衛は、視覚以外の感覚が発達している。

 そして彼の魂は、瞑想によって天地宇宙に向かって開かれていた……

 ――カサ

 微かな音に十兵衛の心身が反応した。

 三池典太を抜くと同時に、横薙ぎに斬りつけた。

 左目を開けば、両断された木の葉が、ゆらゆら揺れて地に落ちていくのが見えた。

(……まだまだだな)

 十兵衛、三池典太を鞘に納めた。

 抜く手も見せぬ刹那の抜き打ち。

 他者から見れば名人芸に思われるが、十兵衛はそんな気がしない。自分など及ばぬ者が何人もいる。

 将軍家剣術指南役の父、宗矩。

 師事した小野次郎右衛門忠明。

 駿河で共に戦った木村助九郎。

 その三人に十兵衛は及ばない。十兵衛から見れば彼らは化物だ。

 ――無駄を全て省け。

 とは宗矩の言葉だ。

 十兵衛との乱取り稽古では、その言葉通り、組ませもせずに出足払いで十兵衛を横転させたこともあった。

 ――刀を用いようと槍を用いようと、一刀にて敵を倒すゆえに一刀流というのだ。

 師事した忠明は、戦国の剣人・伊藤一刀斎景久から直々に剣を学んでいる。

 その剣は、剛よく柔を断つ。全てを断たんとする気迫が、十兵衛には恐ろしい。

 また、木村助九郎は大柄で力も強く、正しく戦国の勇士だ。

 恵まれた体格に加えて、洗練された技術もあわせ持つ。人徳も備えている木村助九郎には、十兵衛は戦わずして負けている。

「先は長そうだ……」

 十兵衛は苦笑した。父と恩師のおかげで謙虚、感謝、尊敬を知り、武の深奥を目指す心の旅を続けられる。

 それは腕自慢、技自慢ではない。

 他者と競い合い、傷つけあうことでもない。

 先祖から自分へ伝えられた思いと命、未来を守るための戦いだ。

 また弟の左門友矩、又十郎宗冬にも剣では及ばない。隻眼の十兵衛に精妙無比の剣技を極めよとは酷な話だ。

 だが弟二人が兵法に秀でていることは鼻が高い。家光にも信頼されている。

 十兵衛は安心して死ねるのだ。柳生の家は安泰だ。

 


 夕食時では、いくつもの小皿が並べられた。内裏の者が作った「沢庵漬け」だ。

「うむ、これはうまいな」

「なかなかじゃのう」

 沢庵と月ノ輪は無数の沢庵漬けに箸を伸ばした。

「沢庵漬けと呼ばれると少々こそばゆいな」

 と沢庵は苦笑した。彼は内裏の者らに、独自の漬物の作り方を教えた。

 それが僅かの間に内裏に広がって、十人十色の味を生み出していた。

 そして、内裏の者は沢庵から教わったから沢庵漬けと呼んでいる。

「これも仏法の導きか……」

「いや、これは禅師の徳というものじゃ」

 沢庵と月ノ輪は食事しながら楽しげに談笑する。さながら祖父と孫娘のようだ。

 食事は米の飯に焼き魚、味噌汁に沢庵漬け。特に様々な味つけの沢庵漬けが食欲をそそる。健康にも良さそうだ。

 十兵衛はといえば、彼は一人で黙々と食べ続けていた。沢庵漬けを楽しむ余裕もない。

「いつもの者は?」

 十兵衛は幾分ためらいがちに女官にたずねた。今夜はいつもの女官ではなく、年配の女官が配膳を担当していた。

「いつも同じ者ではありませんよ」

 と年配の女官は言った。正直、月ノ輪と沢庵はともかく、十兵衛の食事を運んでくるのは迷惑だという。

「そうか……」

 と十兵衛は食事を進める。女官の嫌味も気にならない。

 妙な不安がある。酒が飲みたくなる。嫌なことを全て忘れてしまうほど、浴びるほどに酒が欲しかった。



 夜になった。

 十兵衛は沢庵は今夜も夜通し月ノ輪の警護にあたる。

「のうまく、さんまんだ、ばざらだん……」

 眠る月ノ輪の側で、沢庵は不動明王真言を朝まで唱える。

 十兵衛も三池典太を脇に、朝まで寝ずの番につく。

 月ノ輪にとっては今や当たり前の光景だった。彼女は十兵衛と沢庵に自身の命を預け、今はぐっすりと眠っている。

 さすがは天下に知られた禅師沢庵と、秘密裏に天下争乱の危機を防いだ十兵衛だ。二人は不動明王が遣わした、つわものだ。

 そして、おもむろに十兵衛は立ち上がった。左手には三池典太の鞘を握っている。

「十兵衛」

 沢庵は真言を止めた。

「行って来い」

 それだけ言うと、沢庵は再び不動明王真言を唱え始めた。

 十兵衛は襖を開いて、縁側から庭に出た。

 月が美しかった。静寂に満ちた夜だ。

 だが庭には何者かが潜んでいる気配がある。十兵衛の直感が伝えている。

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