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無明の彼方  作者: MIROKU
内裏の魔性
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夜の雨


 夕食時だ。部屋には月ノ輪、沢庵、十兵衛がいる。

 それに若い女官が一人、控えている。高貴な身である月ノ輪だが、これは彼女が望んだ食卓であった。

「おお、これこれ!」

 月ノ輪は漬物があることを喜んだ。漬物は沢庵の手製だ。

 後世の沢庵漬けとは、沢庵禅師の考案だという。月ノ輪にとっては食欲をそそる大事な食卓の友だ。

「ふふふ、月ノ輪様に喜んでいただけると、この沢庵も冥利に尽きるというもの」

 沢庵も満面の笑みだ。傍目には、沢庵と月ノ輪は祖父と孫娘のように仲が良い。

「うーむ……」

 十兵衛は小さくうなった。彼の椀には米の飯が僅かにしか盛られていなかった。

 若い女官は十兵衛から目をそらしている……

「美味しいのう、禅師よ。これは数百年先まで伝わるぞ」

「はっはっは」

 月ノ輪と沢庵は楽しそうに食事している。十兵衛は黙々と、早々と椀の飯を食い終えた。

「お、おかわり」

 十兵衛は控え目な態度で女官に椀を差し出した。

 女官は咳ばらいしながら、椀に飯を盛った。

 またしてもちょっぴりだった。

「な、なんで……?」

 十兵衛は青ざめた。刀を抜いた立ち合いですら感じたことのない緊張を感じていた。

「ま、またおかわりすればよろしいじゃありませんか」

 若い女官は相変わらず十兵衛から目をそらしている。

「はっはっはっ、十兵衛よ。修行が足りぬな」

「な、なんですと禅師」

「心の道を悟らねば無刀取りは愚か、人間としての完成もなかろう」

 沢庵はニヤニヤしながら十兵衛を、そして若い女官を見た。

「ましてや女心というものは涅槃より遠いと知れ」

「た、沢庵禅師! お戯れはおよしください!」

 若い女官は僅かに頬を染めた。それで月ノ輪も感づいたようだ。

「ほーう。ほ〜う。こんな男を…… もの好きじゃな」

「つ、月ノ輪様までおよしください!」

「はて、どういうことで……?」

「なんと、本当に気づいておらぬのか?」

「こ、このうつけ、うつけ、大うつけ!」

 などと、月ノ輪の夕食は騒がしくも楽しいものだった。

 女官は機嫌悪く戻っていった。

「明日も来るな」

「来るぞ禅師よ。なかなかの心意気ではないか」

 沢庵と月ノ輪がそんな話をするが、十兵衛にはわからない。ただ、内裏の者から(特に女性から)嫌われているようだと、甚だしい勘違いをしていた。

 そして夕刻、陽も沈まった頃に雨が降り始めた。

「強い雨ですな…………」

 十兵衛は月ノ輪の側に侍る。月ノ輪はすでに寝具に入っている。沢庵は不動明王像を前にして、真言を唱え始めた。

「嫌な夜じゃ……」

 月ノ輪は不安げな声と共に、寝具の中から右手を伸ばした。

「月ノ輪様……?」

 いぶかしむ十兵衛。だが月ノ輪の不安な表情はどうだ。行灯の光に照らし出された月ノ輪は、怯えた子どものようである。

 十兵衛は月ノ輪の小さな手を優しく握りしめた。

「ああ、十兵衛……」

「十兵衛はここにおります、ご安心ください月ノ輪様」

「何か、何か話してくれぬか」

 月ノ輪の不安の正体は何か。

 自身の背負った運命の荷、その重さに月ノ輪は悲鳴を上げているのだ。

「わたしも男なら良かった、義輝公のように……」

 月ノ輪のいう足利義輝公は、塚原卜伝より剣を学び、その凄まじい最期が後世にも語り継がれている。

 月ノ輪は己が幼く非力な女であることを悲しんでいた。

 もしも男ならば、もしも力があれば、自身の運命を切り拓くことができるのではないか?

 そのように思うことがあるのだ。

「月ノ輪様は月ノ輪様のままでよろしいかと思われます」

 十兵衛は真顔で言った。

「運命に従うのも運命、運命に抗うもまた運命と小生は心得ます」

 十兵衛は月ノ輪の手を握り、語り始めた。

 月ノ輪は大人しく話を聴いている。月ノ輪を落ち着かせたのは、十兵衛の隻眼の放つ静かな光だ。

 十兵衛の眼光には、彼の人生の全てが現れていた。

「……小生も右目を失った直後は泣いてばかりでありましたな」

 父の宗矩との兵法修行で、十兵衛は右目を失った。それは六、七歳の頃だと記憶している。

「右目を失っては兵法どころか生活すら困難…… そんな自分を救ったのは……」

 同じく隻眼の伊達政宗公であり、師事した小野忠明でありーー

 十兵衛に三池典太という天下の名刀を与えて、間接的に命を救ったのは、お福(春日局)であった。

 が、お福は内裏の者にとっては仇敵にも等しい。

 名を出すわけにはいかぬと十兵衛は押し黙る。が、月ノ輪はすでに微かな寝息を立てていた。

(疲れていらっしゃるのだな)

 そっと、十兵衛は月ノ輪の小さな手を寝具の内に戻した。

 そして十兵衛は気づいた。

 自分を見つめる異常な視線を。

 十兵衛の眼前、二間と離れていない襖が僅かに開き、その隙間には不気味な赤光が輝いていた。

 それは魔性の瞳だ。

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