武の深奥
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翌日の昼下がり、十兵衛は庭に出て一人稽古をしていた。
人の胴体ほどの庭木を見つけ、それに丈夫な帯を巻きつける。
「ふっ」
鋭い吐息と十兵衛は技をしかけた。
帯を握った左手を引きつつ、体を回す。
同時に体勢は低く沈み、右足は外から庭木に引っかける……
無論、庭木を投げ飛ばせるわけではない。
まして十兵衛は右手を使っていない。
これはどういうことか、十兵衛は幼い日に見た技を再現しようとしているのだ。
(父は何をしたのだ)
十兵衛は何度も庭木に技をしかける。技の型は後世の柔道における体落に似ていた。
十兵衛の脳裏によみがえる記憶。
父の宗矩と共に城中にある時、誰かが宗矩に罵声を浴びせてきた。
その内容は、旗本たちの柳生家に対する本音であったろう。
父祖の代から命がけの槍働きで家禄を得た旗本たち。
対して、何をしているのか不鮮明な宗矩が重用されて高禄を得ている。面白いわけがない。
激昂した対手は抜き打ちに宗矩に斬りつけた。
父の宗矩が斬られたと思った次の瞬間、ダアン!という痛快な響きと共に、対手は背中から床に叩きつけられていた。
(あれは、力でなければ技でもない)
宗矩がとっさに放ったのは、左手一本でしかけた体落だった。
――お前を守るために必死であった。
宗矩はそう言った。何をしたのか、覚えているのはそれだけだという。
宗矩がしかけた技は力や技を越えていた。刹那の間に対手を制し、息子の命を守ったのだから。
(それこそが武の深奥……?)
十兵衛は動きを止めた。いつの間にか全身に汗をかいている。
何百回と打ちこんだわけではない。
ただ無心に、全身全霊を繰り返しただけだ。
だが心身を満たす心地よさはどうだ。
これこそが生きる充実か、生きた証と呼ぶべきものか。
繰り返してきたことが自分自身を創るのだ。
死を迎えた時、自分は何になっているのだろう。
父の宗矩は、ひょっとすれば政治家なのかもしれない。
そして自分は単なる隠密かもしれない。
だが師事した小野忠明は剣人であり、兵法家であろう。
(俺は何になりたいのか)
その答えを知るために、十兵衛は武の深奥を目指す。
父の技の追求に答えが秘められていると、十兵衛は信じている……
「……おい十兵衛、聞こえぬのか! 午後のお茶じゃぞ!」
月ノ輪の声に十兵衛は我に返った。月ノ輪という少女のおかげで、十兵衛の心は迷いを遠く離れる。
月ノ輪を守る、そのために戦う。
それもまた十兵衛が答えを知るための一環であろう。
「早く来い! 何度呼んだらわかるのじゃー!」
「お、仰せのままに!」
十兵衛、泡を食って駆け戻る。
女心は永遠の謎だ。




