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無明の彼方  作者: MIROKU
内裏の魔性
23/32

勝負の不思議

「何かいますな」

 十兵衛は庭に出た。左の隻眼を閉じ、周囲の気配を探る。

 幼い頃に右目を失った十兵衛の感覚は研ぎ澄まされている。聴覚、嗅覚、触覚、味覚――

 それ以外にも第六感とでもいうべき勘を持つ。それこそが失った右目にはるかに勝るものか。

 その十兵衛の聴覚は、屋根の上に微かな音を聴いた。

 ――ぴたん ぷるぷる

 それはヤモリのような生き物が這い回る音だ。十兵衛が庭から屋根へと視線を回せば、そこに自分を見下ろす赤光が闇の中に輝いている。

「くせ者!」

 叫んだ十兵衛。屋根の向こうへ消えた赤光。

 十兵衛は大急ぎでハシゴを運んできて、屋根へと上がった。

 足場の不安を押し殺しつつ、屋根の瓦の上に立つ。前方には両目を不気味に輝かせた人影が、ヤモリのようにうずくまっていた。

「また会ったな」

 十兵衛は人影から目を離さずに、左手に鞘ごと握った三池典太の刀柄へ右手を伸ばした。

 一足飛びに抜き打ちで斬りつけたいが、この足場の悪さが十兵衛の意気を削ぐ。足を滑らせて屋根から転落する想像が十兵衛の意気地をくじいていた。

「ああ、そうだねえ」

 人影は答えた。女の声だ。その全身は人間とヤモリが融合したかのようだ。

「いい男じゃないか」

「そうかね」

 十兵衛は少し気が緩んだ。口八丁に油断したところで首をとられかねない。

「こんな顔ではな」

 十兵衛は自嘲した。彼の右目は父の宗矩によって潰されていた。その隻眼の異相をいい男とは。

「世の中、人を見る目がないね。こんないい男を、ましてやあたしらを相手にできるなんて、あんたくらいしかいないじゃないか」

 ヤモリ女の言葉に、自嘲の念が混じっていることに十兵衛は気づいた。彼女もまた魔性に転じたことに悲しみを感じているのか。

「似たもの同士だな俺たちは」

 十兵衛は三池典太を抜いた。月光に反射して煌めく刃を手にした十兵衛、彼は不動明王が遣わした破魔の兵か。

「そうだねえ、あんた江戸に帰りなよ。見逃しとくから」

「そうもいかんのだ、死に場所を探してる」

「はあー、あ〜…… つまんない男」

 ヤモリ女は屋根に四つんばいに貼りついたまま、十兵衛を見据えていた。

 十兵衛は足場の悪さを気にしたままヤモリ女と対峙する。屋根の上という異例の決戦場、あまりにも十兵衛に不利であった。

「おぞましや畜生――」

 十兵衛の言葉は駆け引きではない、本音であった。

 かつて将軍家光が女を憎み辻斬りの愚行にいたったのは、乳母たる春日局――この頃はまだお福と呼ばれていた――のせいだという。

 乳母である春日局が何をしたかはわからない。また知る由もない。

 だが今この時、十兵衛は家光の気持ちがわかったような気がした。家光は女への憎悪から不能であった――

「な、なめんじゃないよ!」

 ヤモリ女は怒りを抑えた震える声で叫んだ後、十兵衛に飛びかかった。

 十兵衛の漏らした本音に、怒り頂点に達したのだろう。計算したわけではないが、十兵衛はヤモリ女の心を崩した。

 それゆえにヤモリ女は十兵衛に飛びかかった。

 そして十兵衛に微かな勝機が生じた。

 屋根の上に闇を斬り裂く光が走り、僅かに遅れて鮮やかな鮮血が吹き出した。

 鮮血は赤い雨となって大地に降り注いだ。ヤモリ女の体は、真っ二つになって屋根の上を転がり、大地へと落ちていった。

「はあ……」

 十兵衛の顔は蒼白だ。彼の横薙ぎの一閃は、ヤモリ女を真っ二つに斬り裂いたのだ。

 まさかこうなるとは思わなかった。十兵衛の刀を警戒して、自ら攻めこまなかったヤモリ女が、まさか飛びかかってくるとは。自分から間合いを詰めてくるとは。

 十兵衛が自分から斬りこめば、足場の悪さも手伝って、彼は一刀を届かせることなく、屋根の上を転がり落ちたかもしれない。

 勝機は限りなく零であったが勝利を得た。

 十兵衛には勝利の女神がついているのだろうか。

 それは武徳の祖神か、彼に三池典太を与えた春日局か――

 あるいは月ノ輪の幸せを祈る女官であったかもしれない。

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