生きる意味
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「罪の世界に生きていた者が天に赦されて使命を与えられる…… それを召命というのです」
ウルスラは七郎にそう語った。
彼女は天草四郎の許嫁だったが、祝言を挙げることなく死んだ。
浪人の一人が背中から大地に叩きつけられた。
別の浪人が刀を振り上げ踏みこむ。
だが踏みこんだ右足を払われて、大地に横転した。
「な、何者だ!」
最後に残った浪人は刀を正眼に構えて、突きつけた。
浪人の眼前には黒装束の者がいる。
顔は般若の面に隠されていた。
月明かりに浮かび上がる姿は、得体の知れぬ魔性のようだ。
「イイヤアアアっ!」
浪人が気合と共に斬りこんだ。鋭い一刀が夜闇を裂く。
般若面は一刀を避けると同時に、肩から浪人に体当たりした。
体勢を崩した浪人に組みつき、左手で右手首をつかむ。
次の瞬間、般若面の体は反転した。
浪人は背中から大地に叩きつけられ、泡を吹いて気絶した。
「……まだまだだな」
般若面は夜空を見上げてつぶやいた。全身が汗に濡れていた。
死線に踏みこみ、それを乗り越えて尚、彼の挑戦は終わらないのだ。
慶安の変を経た天下泰平の江戸。
参勤交代で各地の大名が江戸にやってきた。浪人も数万人いる。
治安の悪くなってきた江戸だが、未来に向かって全身全霊を尽くす人々もいる。
それが生きるということだろう。
「おかわり」
七郎は茶屋にいた。店先の床几に腰かけている。
「はいはい」
茶屋の老婆おまつが茶のお代わりを持ってきてくれた。
七郎は熱い茶を一口飲み、青空を見上げた。
「うまい……」
それだけだった。もう言葉が出ない。
七郎は右目と右腕を失っている。生きる苦と、それに勝る喜びを経験した。
七郎は人生に満足しているのだ。
「今日もありがたくごちそうになった」
七郎はお代を床几に置いて、立ちあがった。
「はいはい、まいどどうも」
「ここは涅槃に違いない」
七郎がそう思ったのは、おまつの与えてくれる安らぎのゆえだ。
「俺が死んだら極楽に導いてくれ」
「やだよ、あたしはまだ死んでないよ、仏様じゃないんだよ」
と、七郎とおまつはちょっとした口論を始めた。はたから見れば微笑ましい。
「ちょっとお、二人だけで何やってんの?」
おゆりは唇を尖らせていた。
「おっと、こいつはうっかり、うっかり」
「何がうっかりよ」
おゆりは七郎の頭を盆で軽く叩いた。彼女の隠された思いに七郎は気づいていない。
(ウルスラ、そういうことなのか)
七郎は脳裏にウルスラの麗しい横顔を思い浮かべた。
ウルスラは言った。償いをせよと。
七郎もまた罪の世界に生きていた。幕府隠密として、人を殺めたこともある。
おゆりもまた盗賊稼業から足を洗い、おまつの茶屋で働いている。
生死を懸けた日々を生きた七郎とおゆり。
二人は天に赦され、使命を与えられたのだ。
その使命とは?
「あたし、またうどん屋に行きたーい」
おゆりの楽しげな笑顔。
彼女の姉同然だった六人の女たちは、あの世から見てくれているだろうか。