始まりの思い
「しとめるのだ」
沢庵の顔は冷や汗に濡れていた。
身を襲う寒気、いや妖気というものに沢庵禅師ですらが生きた心地がしない。
「は」
短く応え、十兵衛は戸を開いて庭に降りた。
朝と昼は目に優しい緑の楽園が、今は魔性の潜む魔天のごとくだ。
十兵衛は抜刀し、鞘を投げ捨てた。それは死を覚悟したという意味だ。
(何処だ……?)
十兵衛は隻眼を閉じ、庭園に足を踏み入れた。ゆっくり歩を進めながら周囲の様子を探る。
幼い頃に右目を失った十兵衛は、聴覚や触覚を越えた第六感に優れている。
それこそが失った右目に、はるかに勝るものだ。
(さあ来い……)
愛刀三池典太を下段に提げ、十兵衛は自身の気を研ぎ澄ます。
同時に思い出したのは右目を失った時のことだ。こんな時に、と十兵衛は目を閉じたまま苦笑した。
だが、それは大事なことなのだ。
死の危険を感じている十兵衛は走馬灯を見ていたのだ。
過去の記憶から、今ある危機を乗り越える知恵を探し出しているのだ。
そして十兵衛が探り出したのは、自身の全身全霊の一手だ。
(あれは父上が全身全霊で応えてくれたのだ)
幼い十兵衛の無心の打ちこみ。
それに父の宗矩も最高の一手で応えた。
そして十兵衛は右目を失ったのだ。
(あの一瞬が俺の全てだった)
最高の一瞬、永遠の感動。
それに十兵衛は生かされていたのだ……
――ふわ
その時、十兵衛は空気が動くのを感じた。
何かが十兵衛に迫っていた。
隻眼を閉じたまま十兵衛は右手の刀を左手に持ち替えた。彼は生来、左利きだ。
そして素早く横に薙いだ。魔物をも斬るとされる三池典太の刃は、月光に反射して輝いた。
数秒後、十兵衛は隻眼を開いた。刀を横に薙いだ姿勢のまま、彼は微動だにしなかった。
左目だけが動く。三池典太の鋭い切っ先は、僅かに血で濡れていた。




