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無明の彼方  作者: MIROKU
終わりなき戦い
13/32

受け継いだ技



 七郎は江戸城に入った。

 裏口から入り、城内にある道場へ足を運ぶ。

「懐かしいもんだ」

 七郎、ふっと笑った。この道場で自分と父と弟、更に将軍家光に大納言忠長が練武に励んだのだ。

 道場では七郎の弟、又十郎が待ちかねていた。

「お早いおつきで」

「皮肉か又十郎」

「いえいえ」

 穏やかな笑みを浮かべた又十郎。とても将軍家剣術指南役には思われない。

「今日は兄上と久々の稽古なので早くに参上してしまいました」

「そうか」

 七郎も笑みがこぼれた。又十郎は雰囲気も言葉遣いも柔らかい。

 真の柔の道とは、又十郎の生き方を指すのかもしれない。

 七郎は将軍家光からは嫌われていたが、又十郎は何の問題もなく過ごしてきた。

 家光ですらが愛すべき弟として接していたフシがある。実弟である忠長には愛情を抱かなかったというのに――

「いざ」

 七郎は稽古袴に着替えた。左腕だけの隻腕でも口を用い、帯の絞め方にも工夫をし、器用に着替えたのだ。

「応!」

 又十郎が踏みこんだ。恐れも迷いもない凛々しい顔つき。彼は間違いなく天下に聞こえた将軍家剣術指南役だ。

 道場の中央で二人は組み合った。

 そして七郎は早くも不利に陥った。

「ぬぬぬ……」

 又十郎と組み合った七郎は膝を曲げ、腰を引いたまま動けない。

 隻腕の上に、二度の危篤を乗り越えた七郎の肉体はやせ細っている。

 かつての筋力体力はなかった。上背は同程度でも、筋力と体重に勝る又十郎に不利を強いられている。

 ましてや左腕一本の隻腕なのだ。

「兄上……」

 又十郎は悲しそうだ。

 兄の七郎は幾度も死地に踏みこみ、世のために戦い、傷ついてきた。

 それなのに尚、安らぎを得ることは叶わぬとは。

 公の七郎、すなわち柳生十兵衛三厳はすでに死んでいる。

 それなのに、七郎はまだ戦わなければいけないのか。

「……又十郎これはな、俺の使命であり償いであり召命だ」

 七郎はニヤリと笑った。

 僅かに身を沈めるや、油断していた又十郎へ右足で小外刈りをしかけた。

 倒れこそしなかったが、又十郎は後方へ大きく体勢を崩した。

 次の瞬間、七郎は又十郎の懐に飛びこんだ。

 又十郎の体が宙を舞って、背中から道場の床に落ちる。

 刹那に閃いたのは、七郎が左手一本でしかけた一本背負い投げだ。

 右腕のない七郎は、右肩に又十郎の右腕を乗せるようにして背に担いだのだ。

 無理があるとはいえ、死中に活を求める意思が荒技を可能にした。

「……なんの、まだまだですぞ!」

 又十郎、叫んで立ち上がった。

 満面の笑みだ。

 日ごろたまっていたであろう公務の鬱憤、それを晴らすための乱取り組手。

 七郎も弟相手に汗をかく。左腕一本の七郎は、体格や腕力による力押しに弱い。

「ほ!」

 又十郎は自身の全体重を乗せて、七郎にぶち当たる。七郎は床に倒れた。

 そこから寝技の攻防だ。七郎は素早く又十郎の背後にまわりこんだ。

 組みつくや、左手で又十郎の右袖を頸動脈に押しつけつつ引く。絞め技だ。

「ふん!」

 又十郎は力づくで七郎の絞めから逃れた。尚も七郎は怯まない。

 恐れない、迷わない。

 今この瞬間にも、無意識に死を覚悟している。

 しばし兄弟は寝技を繰り広げ、更に立ち上がって乱取りに及ぶ。

 拳で打ち、足で蹴り、肘や肩を用いて当たり――

 組んだら崩し、投げ、極め(関節技)、絞める……

 打、蹴、当、組、崩、投、極、絞。

 それらの要素が流れる水のように統合された組討術、それを無刀取りという。

 戦国の剣聖、上泉信綱より祖父石舟斎へ伝えられた無刀取り。

 その技術は祖父から父の又右衛門へ、そして七郎と又十郎へ伝えられた。

 御神君家康公が感嘆した無刀取りは今も、そして後世にも伝えられていく……

「……いやはや、久しぶりにいい汗をかきました」

 又十郎は道場の床に大の字になっていた。七郎もそうだ。

「すまんなあ、面倒なことばかり押しつけて」

「いやいや、なんの」

 又十郎は七郎に代わって柳生の家を継いでいる。本来ならば家も剣術指南役の地位も七郎が継いでいたものだ。

「俺にはふさわしくないものだ」

 七郎の隻眼は道場の天井を見つめていた。顔は笑っていた。彼の魂の中心には、無刀取りがあるのだ。

 その無刀取りが七郎を支えている。辛く苦しい修行が、七郎の今を支えている。

 右目を失うほどの激しい練武を経たからこそ、現実の辛苦を乗り越えていけるのだ。

「月ノ輪様は?」

 七郎は又十郎に言った。月ノ輪は茶屋で楽しい一時を過ごした後、七郎より先に江戸城に戻ってきていたはずだ。

「上様と親しく過ごされておりますよ」

「ほお」

 月ノ輪は内裏の重要人物にして、徳川の血縁者でもある。先代将軍の家光は月ノ輪から見れば叔父にあたる。

 四代将軍の家綱は、月ノ輪のいとこということになる。

「それは良かった……」

 七郎は月ノ輪の安らぎを祈る。

 内裏の外を知らぬ月ノ輪に喜びが訪れることを祈る。

 この思いを恋と思えば、邪心が生ずるかもしれね。

「兄上、月ノ輪様に手を出せば、市中引き回しの上に打首、獄門ですよ」

「わ、わかっているとも」

 七郎は慌てて上半身を起こした。顔が訳もわからず熱くなる。

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