Chapter 5
政府の建物にしては、[グスナンセル]の市庁舎はかなり豪華だった。壁はクリーム色に塗られ、貴金属の装飾品が飾られていた。市庁舎の職員たちは、それぞれのカウンターで静かに仕事をしていた。
受付を通り過ぎた後、シロウは[グスナンセル]の市庁舎秘書であるタイラー・ヘンリーに従い、市長室へ向かった。「どうぞ、エミヤさん。」タイラーはシロウに先に入るように手で促した。
シロウは礼儀正しく部屋に足を踏み入れた。
「失礼します…」
タイラーも後ろから続き、ドアを閉めた。
部屋の中では、中年の男性がデスクの後ろに座っていた。客が入ってくるのを見ると、その男性は立ち上がり、挨拶をした。彼のやや大きな体は、公式な制服に包まれていた。
「君が衛宮士郎君だね?タイラーから話は聞いているよ。」その男性は微笑みながら手を差し出した。
握手をしながら、その男性は続けた。「自己紹介させてください。この町の市長、アーヴィン・ヘンリーです。どうぞ、お掛けください。」
シロウは部屋の右側にある小さなソファに座り、市長はその向かいに座った。二人の間には黒いガラステーブルが置かれていた。
市長は客のための飲み物がないことに気づくと、秘書に指示を出した。「タイラー、飲み物とお菓子を持ってきてくれ。」
「承知しました。」タイラーは上司の命令に従い、部屋を出ていった。
シロウは二人が同じ名字を持っていることに気づいた。アーヴィンさんも、ほとんど髪のない茶色い髪と細い口ひげを持っており、タイラーと同じ色だった。
シロウはこれまで地域の指導者に招かれたことはなかった。しかし、彼の養祖父はヤクザの組長であり、あるいはかつてのイギリス王、アルトリア・ペンドラゴンをも超える存在と比べると、それほど驚くべきことではなかった。冷静にシロウは会話を始めた。
「すみません、なぜ私にお会いしたかったのかお聞きしてもよろしいですか?」
市長は眉を上げて答えた。「直球で来るね?まあ、それは悪くない。」
市長は両手をテーブルの上に置き、少し劇的に話を続けた。「簡単に言うと、君の力を借りたいんだ。」
「私の力?どんな力ですか?」
市長は口ひげを撫でながら答えた。「謙遜しないでくれ。君が普通の人間じゃないことは分かっている。タイラーから君が魔法で剣を召喚したと聞いているよ。」
魔法のことが話題に上がると、シロウは背筋を伸ばし、緊張を感じ始めた。
「そんな魔法を使えるのは、神に祝福された証だ。そして、その剣でモンスターを見事に倒したと聞いている。君はかつて冒険者だったのかな?それとも今も旅の途中か?」アーヴィンは自分の分析を示した。
シロウは自分の魔法が珍しいことを知っていたが、「冒険者」という言葉が何を意味するのかはよく分からなかった。
安全策として、シロウは話題を変えた。「私の背景は重要ではありません。それよりも、私にどのような仕事を依頼したいのか教えていただけますか?」
「ふむ…神秘的だね。」市長は皮肉っぽく答えた。
シロウは市長の不真面目な態度に目を細め、不満を示した。
シロウの不快な表情に気づいた市長は、咳払いをして上着を正した。「うむ、要するに、私は[グスナンセル]の代表として、君にモンスターの討伐を依頼したいんだ。」
「詳しく聞かせてください。」
「君も知っている通り、この町へ通じる道でモンスターが襲撃を繰り返している。目撃者によれば、彼らは道沿いの丘から現れたということだ。君には、そのモンスターたちを巣穴まで一掃してもらいたい。これ以上の犠牲者を出さないためにもね。」
シロウはこの仕事に興味を持ったが、[シルバリーフ学院]への進学や、サリアと共に[アルテナ]へ行く予定との兼ね合いで、時間が足りるかどうかが心配だった。学園の入学期限に遅れたくはなかった。
シロウが考えを巡らせていると、オフィスのドアが開き、タイラーがトレイを持って入ってきた。トレイにはシロップのボトル、二つのグラス、そしてクッキーが載っており、テーブルに置かれた。
「失礼します。」タイラーはシロウとアーヴィンにシロップを注いだ。
「ほら、遠慮せずにどうぞ。」アーヴィンは躊躇なくクッキーを食べ始めた。
シロウもクッキーを食べ始めた。サクサクとした食感と、クッキーから広がるさまざまな風味がシロウの舌に心地よく響いた。
「それで、どう思う?興味はあるか?この町には君のような冒険者は滅多にいない。モンスターを討伐することで、多くの命を救うことになるんだ。」市長はシロップのグラスを持ちながら尋ねた。
迷っていたシロウも、市長の言葉を聞いて決心がついた。たとえ学園の期限に間に合わなくても、あるいは入学しなかったとしても、シロウは他人を救うことを選ぶだろう。
「分かりました、引き受けます。いつから始めればいいですか?」シロウは決意に満ちた声で言った。
シロウの返答を聞いて、市長は満面の笑みを浮かべた。「ほほう、早ければ早いほどいい。明日の朝が理想的だ。報酬は現金でいいかな?それとも他の形がいいか?」
「現金でお願いします。」シロウは報酬についてあまり考えていなかった。
「そうか…10万バリスでどうだろう?見つけた[魔石]や[ドロップアイテム]は全て君のものだ。」アーヴィンは交渉を始めた。
「その額でいいですが、ガイドと馬を先に手配したいです。」
「ガイドはこの子を連れていくといい。」アーヴィンはソファの横に立っているタイラーを指さした。「馬は町で見つけられるだろう。」
「タイラーさん、同行していただけますか?」シロウは、タイラーが無理やり参加させられるのではないか確認したかった。
「もちろんです、エミヤさん。」タイラーは躊躇なく答えた。
「では、明日の朝、市門でお会いしましょう。」シロウは言った。
「了解しました。」
タイラーが答えた後、市長は立ち上がった。「ちょっと待ってくれ。」そう言って、市長は自分の机へと歩み寄った。
シロウも立ち上がり、市長が何をしようとしているのか気になっていた。しかし、彼の注意は、市長の机の後ろの壁に掛かっているロングソードに向けられた。
剣は黒い柄を持ち、長い両刃の赤い刃から燃え盛る炎のオーラが漂っていた。シロウは魔術を使い、それが普通の剣ではないことを理解した。
その剣は火属性を持ち、強力な爆発力を秘めた【魔剣】だった。剣が伝える情報から、シロウは【魔剣】が使われた後に砕け散ることを知っていた。そんな剣を部屋に飾っておくのは、まるで爆発寸前のミサイルを掛けているようなものだった。
アーヴィンはデスクから戻ってきて、金の入った小さな袋を手にしていた。彼はシロウに近づき、その袋を手渡した。「これが前金の2万バリスだ。モンスターの討伐が終わったら残りを渡す。」
シロウは袋を受け取り、質問した。「なぜ起動状態の【魔剣】を飾っているんですか?もし暴発したら、この市庁舎全体が火の海になりますよ。」
「え、本当か?その剣はもう何年もそこに掛かっているんだ。クロッゾ家の先祖が強力なモンスターを倒すために作ったものだ。まだ起動しているとは驚きだな。」アーヴィンは口ひげを撫でながら状況を考え込んだ。
「まあ、今まで爆発してないんだから大丈夫だろう。」アーヴィンは無頓着に答えた。
市長の論理を呑み込んだシロウは、苦笑いを浮かべた。「そう思うならいいですけど、注意したほうがいいですよ。」
アーヴィンはシロウの助言にただうなずいた。
「それでは、これで失礼します。」シロウは頭を下げながら言った。
シロウがオフィスのドアを開けて出ようとしたとき、タイラーが「お気をつけて、エミヤさん」と声をかけた。
市庁舎を出たシロウは、通りの向かいにある宿屋へ向かって歩きながら、サリアに一緒に行けないことをどう伝えるべきか考えていた。
シロウは、この危険な仕事を終えるまでサリアを待たせたくなかった。
シロウは彼女に別れを告げることを決めた。
宿に入ると、シロウは受付に座っていた若い男性に近づいた。「すみません、衛宮士郎という名前で予約された部屋はありますか?」
受付係は「少々お待ちください」と言い、確認した後に答えた。「はい、サリア・バルシス様が予約された部屋、202号室です。こちらが鍵です。」
「えっと…サリアさんが予約した部屋の番号を教えてもらえますか?」シロウは、初対面の女性の部屋番号を聞くのに少し気まずさを感じていた。
「サリア・バルシス様は201号室を予約されています。あなたの部屋のすぐ隣です。」
「ありがとうございます。」
シロウは2階の自分の部屋に向かい、木の階段を登って202号室を見つけた。201号室のすぐ隣に位置していた。
シロウの部屋は、宿屋としては中くらいの広さで、バスルームと隅に小さなベッドが備わっていた。
シロウは荷物をベッドのそばに置き、風呂に入り、着替えをした。着替えているとき、シロウはズボンの横に結びつけていた小さな鈴を投影したことを思い出した。
【構造解析】の呪文を使い、シロウは鈴を構成する粒子がすでに安定していないことを察知した。鈴はほぼ空中のマナに変わりつつあった。簡単な解析をした結果、シロウは自分が【投影】で作り出した物は、3〜4日以内に直接接触がなければ消滅することを結論付けた。
結論に満足したシロウは、鈴を魔力に戻して消滅させた。
予備の服がなかったので、シロウは再び同じ服を着ることにしたが、今回は魔術【投影】で作り出したものだった。
「いやぁ、【投影】は本当に便利だな。」
大多数の【魔術師】にとって、【投影】、または彼らが呼ぶところの【グラデーション・エア】は、元の物に比べてかなり劣っているため、あまり役に立たない。
これは【グラデーション・エア】が、【魔術師】の心の中にある物体のイメージを基に作られたものであるためだ。しかし、ほとんどの【魔術師】は物体の構造を完全に理解し視覚化する能力が限られているため、正確に再現することができず、結果として劣化した物体がすぐにマナに変わってしまう。
だが、衛宮士郎というアマチュアの【魔術師】は、【構造解析】の基本呪文を極めており、物体を完全に理解できるようになっていた。特に剣や武器に関しては、その歴史さえも把握することができた。この呪文を【構造解析】と同時に行うことで、【トレース】と呼ばれるものになった。
完全な理解を得たシロウは、【グラデーション・エア】を【投影】にアップグレードし、高い精度で物体を投影できるようになった。シロウが物体を理解している限り、それを複製することができた。誰かの本質の結晶とも言える伝説の【宝具】ですら、彼は簡単に偽造することができた。
「だから俺は【偽造者】って呼ばれるのか…」シロウは、皮肉なニックネームを思い出しながら、そう思った。
着替えを終えたシロウは部屋を出て、201号室のドアをノックした。
ノック、ノック。
「サリア、いるか?」
返事はなかった。
「サリアァ」と少し大きな声で呼びかけた。
『もしかして寝てるのかも。』
彼女を邪魔したくなかったシロウは、昼食をとって、明日の旅に備えて馬を買いに行くことにした。
昼食は、朝食をとったのと同じ宿で済ませた。しかし、馬を見つけるのは想像以上に難しかった。
まずは中央市場を探してみた。何度も回ったが、馬は見つからなかった。見つけたのは鶏やアヒル、ヤギなどの家畜ばかりだった。
家畜を売っていた一人に尋ねたところ、厩舎に直接行くよう勧められ、場所を教えてもらった。
その厩舎は街の右側の遠くにあった。市場からは大きく迂回する必要があり、夕方、夕日が照りつける頃にようやく到着した。
馬を選ぶのは、厩舎を見つけるよりも簡単だった。
シロウは、売りに出されているすべての馬を撫でた。その理由は、彼が馬に触れるたびに【構造解析】を行っていたからだ。
剣や鎧、その他の無機物とは異なり、シロウは生物に対して一目で解析を行うことができなかった。生き物には自然の【魔術耐性】が備わっており、シロウの魔術が効きにくかったのだ。
その耐性を減らすためには、対象となる生物に直接触れる必要があった。
「Trace On。」
強靭な脚の筋肉。
力強い心臓。
持久力のある体力。
硬い蹄。
欠陥なし。
シロウは馬を選んだ。
つややかな黒いたてがみと毛並みを持つ雄馬を、シロウは厩舎から連れ出した。
シロウは馬に鞍、手綱、口輪を投影した。すべてはライダー・クラスのサーヴァントの装備を基にしており、シロウがこの黒い馬を乗りこなすのに役立った。
何度か試乗した後、シロウはこの黒い雄馬を選ぶことに決めた。馬を翌日まで予約し、5,000バリスのうち2,000バリスの前金を支払って宿に戻った。
シロウが宿に戻ったのは、夜遅くになってからだった。訪れた厩舎がかなり遠かったため、宿に戻るのにも長い迂回が必要だった。
翌日の遠征に備え、体を休めるためにシロウは自分の部屋に直行し、ベッドに横たわって眠りについた。
目覚めと眠りの間の半意識の状態で、シロウは自分の決断を再考した。
『これが正しい選択だとは思うけど、サリアや俺を助けてくれたアーサーさんをがっかりさせたくはない。』
旅の仲間を見つけて喜んでいたサリアは、短期間で別れることになると聞いて失望するだろう。
シロウは覚悟を決めた。
シロウが学業を続けると信じていたアーサーさんは、いつか、助けた若者が期待に応えなかったことを知ることになるだろう。
シロウは目を閉じ、歯を食いしばった。
『一人を救うということは、他の誰かを救わないということだ。』
シロウは養父の言葉を思い出した。
たとえ他人をがっかりさせることになっても、シロウはモンスターの巣を壊滅させることで、多くの命を救うことができると信じていた。
シロウは呼吸を整え、自分を落ち着かせた。
しばらくして、すべての悩みが徐々に消え、夢の世界がシロウを包み込んでいった。
その夜、シロウは英雄を夢見る若者の夢を見た。それは彼自身の過去の夢と非常に似ていた。そう遠くない昔のことだった。
夢の中では【聖杯戦争】が繰り広げられていた。