お払い箱の聖女
それからさらに数日経って、ようやくベッドから降りて立ち上がることができた。
相変わらず聖女たちは入れ替わり見舞いにきてくれたし、私の世話係のララ、それにルル、モモの三人は特によくしてくれた。
「ありがとう」
私がそう言うと三人は零れるような笑顔になった。
しかしそんな彼女たちは私が神殿に行こうとするのに難色を示した。
「そろそろ神殿でお祈りがしたいわ」
「大聖女様はまだ部屋で療養されるべきです」
三人は決まってそう言ってくる。体の心配をしてくれているのはわかっていたが、長年神殿で祈ってきた私には今の状況が歯がゆいのだ。
「今日こそは行くわ」
だから私は比較的体調の良い日に強引に神殿に顔を出すことを決行した。
「大聖女様……でしたら、礼拝の時間をずらしましょう。人の多い時間はきっとお体に触ります」
「そうですよ!」
「まだ体調も万全ではありません」
ララの意見にあとの二人も賛同する。三人の必死な様子に違和感を覚えた。
それでも半ば強引に神殿を訪れると中央の席に堂々と座る聖女がいた。
「ジェシカ?」
私が声をかけると金色の髪の彼女の肩が跳ねた。
「フィーネ様」
急に私を名前で呼んだ彼女はその場所を譲ろうとはしなかった。
「お祈りをしたいのだけど、私の場所を空けてくれない?」
神殿で大聖女が神に祈る場所は決まっている。首をかしげていると彼女から衝撃の言葉を聞いた。
「フィーネ様がご療養されると聞いて私が大聖女の務めを代わることになりました」
「代わる?」
「ですからこの場所は私のものです」
そもそも力の強さで私が大聖女に抜擢されたのだ。確かに目の前のジェシカは二番目に聖なる力が強いが私の力とはずいぶん差があった。
私が療養することになったとしても大聖女になるには力が及ばない。私が考えていることが顔に出ていたのか、ジェシカは言葉を続けた。
「アーノルド様がフィーネ様と婚約破棄して私と婚約するとおっしゃったのです」
「え?」
目の前にいるジェシカは挑戦的な顔をしていた。そういえば彼女は一度も見舞いに顔を見せなかった。
ジェシカは神殿一の美しい聖女だった。絹糸のような白金の髪を持ち、透き通るような白い肌をしている。零れそうな瞳は宝石のようにきれいなブルーだった。彼女を一目見たいと神殿にくる信者がいるくらい、その美しさは際立っていた。
聖女の間でも美しいと評判で、きっと彼女はどこかの貴族の生まれだろうと噂されていた。
ジェシカは私の次に治癒力があるとされているが、実際に彼女が行う治癒は簡単なものだけだった。体が悪いからと言って神殿長からあらゆる免除をされていたが、もう大丈夫になったということなのだろうか。
――お前もジェシカほどの美人だったらよかったのにな。
アーノルドにそんなことを言われたのを思い出した。彼はとにかく美しいものが好きなので、ジェシカのことも気に入っていた。そのことは十分にわかっていたが、まさか私が床に臥せている間に婚約者を挿げ替えようとするとは思わなかった。
勝ち誇ったように見てくるジェシカに、私はため息しかつくことができなかった。
考えてみれば、この間の治癒の後、私は自室にこもりきりで外に出ていない。
ジェシカのことも知らなかったのだから情報が足りなすぎる。
唐突に知らされたことに脱力を感じた。
婚約破棄? 大聖女交代?
どうりでララたちが私を神殿に行かせたくないと渋っていたわけだ。
はあ、とため息しか出ない。
「では、今後のアーノルド王子の治癒はあなたが引き受けてくれるの?」
「ええ、もちろんです」
「それを聞いて安心したわ」
元よりアーノルドにはうんざりしていたのだ。婚約者の座などくれてやる。そんなふうに思っていると焦ったように向こうから神殿長がやってきた。
「ジェシカ! その話はまだ正式に決まったわけではありませんよ」
神殿長はそう言ってジェシカを窘めた。
「しかし、私は直接お約束していただいたのです。アーノルド様は私だけを愛しているとおっしゃってくれました。私はそれに応えたいと思っているだけです」
ジェシカは私を睨むと強く宣言した。
彼女がアーノルドに心を寄せているのは知っていた。普段からジェシカは彼の戦争の功績を無邪気にもてはやしていた。
太陽のように輝く金髪に甘いマスクの美男子……加えて珍しい雷撃の魔法が使えると憧れの目を向けているのだ。
私には傲慢で、身勝手でどうしようもなく見えているが……。
「フィーネ、あなたの体が心配なのは王家も私も同じなのです。こんな形であなたの耳に入れることになるのは不本意でしたが……」
申し訳なさそうに言う神殿長の顔をみて、ジェシカが言っていることが本当だとわかる。
体調が悪いのは百も承知だし、アーノルドと結婚しなくていいなら私としても嬉しかった。
「早々におっしゃってくださってよかったのです。私は療養に専念させていただきます。では、私はどこでお祈りすればいいですか?」
もめたいわけでもない私は話を切り上げてジェシカを見つめた。彼女は黙って私にお祈りの場所を譲ってくれた。
私は『大聖女』として最後になる祈りをそこで捧げた。
「婚約破棄なんて気にしないのに」
部屋に戻ってララたちに言うと彼女たちは唇を嚙んでいた。
「まだ正式に決まっていないと聞いています」
「大聖女様に心労をかけたくなかったんです」
縮こまる可愛い頭を撫でると悔しそうにする彼女たちの目からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
「以前からアーノルド王子とジェシカが逢引きをしているのを見た者がいたんです」
「戦争から帰った王子を毎回治癒していたのは大聖女様なのに……」
「なるほど、前々からジェシカと逢引きしていたのね」
話を聞きながらベッドに入るのをルルが支えてくれた。
その時、ドレッサーの鏡に映る自分の姿が目に飛び込んできた。
――まるで、干からびた魚ね。
その姿に軽くショックを受ける。
そこにはやつれて肌艶のなくなった女がいる。黒髪もぱさぱさでみすぼらしい。
以前から私の黒髪を陰気臭いとアーノルドは嫌っていたし、年に数度あるパーティで並び立つ時もいつも不機嫌そうにしていた。
しかし私がアーノルドの好みでないように、アーノルドだって私の好みではない。
私の体調不良のために婚約破棄してもらえるなら願ったり叶ったりだ。
美しいジェシカ。
ブルー色の瞳も金色の美しい髪も日の光を吸ってキラキラと輝いていて、そのみずみずしい唇が妙に悩ましくて少しこちらが焦るくらいだ。
最後に神殿で見た彼女はひどく私を睨んでいた。
どうしてライバル視されているかわからないが、アーノルドの治癒から解放されるならそれでいい。
寧ろもっと早くそうして欲しかった。
彼女が代わってくれるならわたしは療養に専念させてもらおう。そう思うと私は静かに目を閉じた。