不誠実な婚約者2
「大聖女様、お水は飲めますか?」
ララが水差しをかざして聞いてくれるがそれにわずかに首を振った。
自室に運ばれて目を覚ましても、治癒後の苦しみからは逃れられない。聖なる力を使った反動はただ耐えるしかないのだ。
脂汗をかきながら少しでも楽になろうと体を横向きにしてみる。よほど呪いの力が強かったらしい。
同じ聖女であるララたちはそれがわかっていて濡れたタオルを代わる代わる冷やして額を冷やしてくれた。ありがたいと思いながら、お礼を言う気力もない。
こんなに辛いのは聖女の力を覚醒させるための儀式の時以来だ。あの時ほど辛い思いをすることはもうないと思っていたのに……。
ゲホッ……
ゲホッ……
「え……」
咳き込むと押さえていた手に血がついていた。
まさか、血を吐いたの……?
「きゃあああっ! 大聖女様が!」
「医者を呼んで!早く!」
私を見て皆が騒ぎ出し、私は自分の吐いた血に呆然としていた。
「聖なる力を使いすぎたのかもしれませんね」
私を診てくれた医者はそう言った。
いつの間にか私の部屋にはたくさんの聖女で溢れていた。みんな心配してきてくれたのだろう。優しい私の姉妹たち。
しかし聖女同士は聖なる力では治癒できない。他人に治癒できるのに不思議だ。そうして結局は横たわることしか方法もなく、滋養強壮の薬だけ飲んだ。
「大聖女様、お加減はいかがですか?」
その日から心配した聖女たちが入れ替わり立ち代わり部屋に見舞いにきてくれた。どうやって手に入れたのか、野花やお菓子を手にしてくる者も少なくない。
すぐに花瓶がいっぱいになって、窓際には手作りのお菓子が並んだ。精一杯手に入れてきてくれた気持ちに嬉しくなった。
「みんな心配してくれてありがとう」
感謝を伝えるとみんなが私を見て目を潤ませた。
「いつも大聖女様が気にかけてくださるから私たちが頑張れるのです」
「そうです。大聖女様にもしものことがあったら……」
そんなふうに想ってもらえるのは嬉しい。次々と出てくる手を握って、心が温まる。
神殿で親も知らず育った私たちは同じ境遇の姉妹だ。大切な私の家族。こんな時それを思い知らされる。
「フィーネ、体は大丈夫?」
そこに神殿長もやってきた。低い声は落ち着いていて穏やかである。
神殿長はもっとも神に近い存在で私たちが母と慕う人だ。歳は七十くらいだろうか。
超越者である彼女は皺のある手を優しく私の額に手をのせて、心配そうに顔をのぞき込んだ。神殿長はきっちりとした性格で今日も白髪交じりの髪を一つもこぼさずに綺麗にウィンプルに収めていた。
神殿の中で彼女は私のことを『フィーネ』と呼ぶ。その特別感をすこし嬉しく思う自分がいた。
「左腕の損傷もひどかったのに、呪いがかかっていたのを王子様が黙っておられたのです!」
隣にいたルルが神殿長にそう訴えてくれる。神殿長はルルに落ち着くよう微笑んだ。
「アーノルド王子にはこれ以上の無茶はしないように申し立てしてきたわ」
「そうなのですか」
「ありがとうございます」
神殿長はアーノルドを窘めてくれたようで、その言葉に私も場にいた聖女たちもホッとしていた。
アーノルドが戦場に出たのは彼が十三歳の時からだ。
初めての戦いで彼は大きな功績を上げて帰り、王太子として華々しいデビューをしたのだ。
しかし彼の功績と比例して、負ってくる傷は日を追うごとに酷くなっていった。
小さな傷の治癒はすこし胃がむかつくくらいだったが、だんだんと怪我の程度が大きくなるうちに私の負担が大きいことに気づいた。
次に瀕死になってアーノルドが戻ってきたりしたら……命を落としてしまいそうだ。
「もう戦わずともロッド王国は十分な領土を持っているのにどうして戦争を続けるのでしょうか」
思わず声が零れてしまい、その言葉に神殿長が苦笑いをしていた。
「国を大きくするために戦うのではありません。悪魔を倒すための戦いです。……神託が下りなければレリア国を攻めることも無かったでしょう。けれどこれは神の思し召し……しかたありません」
神殿長の答えはわかっている。
けれど王族は豊かになることを考えていることも私は知っていた。いつもなら心の中でとどめる言葉を吐いてしまって、なんとも気まずい。
私はそれ以上は何も言わず静かに目を閉じて痛みをやり過ごした。
そうして苦痛から解放されるまで一週間ほどかかった。
私が床に臥せっていることは知っているだろうに、元凶でもある婚約者のアーノルドが見舞いに顔を見せたのは、私がようやくベッドの上で体を起こすことができる頃だった。
「その……呪いのことは黙っていて悪かった。次からはちゃんと申告する」
さすがに神殿長に叱られたのが効いたのか、アーノルドが謝ってきた。だからといって簡単に許す気にはならない。私は疑問に思っていたことをアーノルドにぶつけた。
「どうして、呪いなど受けたのですか?」
私の質問にアーノルドは目を輝かせて答えた。
「実はな、エルフを捕まえたんだ」
「えっ」
「まあ、逃げられたんだけどさ。あれは惜しかったな」
「もしかして、エルフを捕獲しようとして呪いを受けたのですか?」
「そういうことだ。もう少しで上手く行くところだったのに、国に入ったところでいなくなったんだ。すぐに捜索したが痕跡がなくてな。さすがエルフってところだが、あっちも重症だから生きているかどうか」
「……なんてことを。エルフに危害を加えたら末代まで祟られるというのに」
「ははは、ロッド国には神殿がついているから呪いなんて平気だろ」
「そんなっ」
「うるさい。お前に話してやるんじゃなかった」
「こんなことがレリア国のエルフたちに知れたら、ロッド国は報復されますよ?」
「だから、黙れ。お前は俺の治癒だけしていればいいんだ。神殿長が和解しろというからわざわざきてやったのに」
アーノルドはイライラしながら言い捨てると大きな音を立ててドアを閉めて行った。
後ろで聞いていたララたちもその様子を見て震えていた。
「大聖女様、今のアーノルド王子の話は本当でしょうか」
「本当なら大変なことになるわね……」
彼女たちにもアーノルドのしたことは恐ろしいことだとわかるのに。
傷ついたエルフが生きていることを、私は祈ることしかできなかった。