不誠実な婚約者1
神殿に着くと私は他の聖女たちとアーノルドたちが戦地から帰ってくるのを待った。
知らせによると後五時間ほどで戻ってくるらしい。
簡単な治療準備をして私たちは神に無事を祈っていた。
「助けてください! 聖女様!」
そんな時、神殿の入り口から誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。
本来なら一般人に神殿を解放する日だったのだが、表にはすでに『本日立ち入り禁止』の張り紙をしている。普通ならそれを見て帰るはずだった。
「お願いします! どうか!」
声はますます真剣さを帯び、切羽詰まっている様子だ。
気になって目を向けると夫婦らしき二人が血相を変えて子供を抱えていた。
その場にいた聖女たちが対応をしていたが、彼らの子どもは重症のようだった。
「ここを訪れる途中に、運悪く馬車に轢かれてしまったのです」
母親が震える声で説明をしている。夫婦は裕福そうだが、どうやら平民のようだ。
神殿での聖女による治癒行為の対応は相手の階級やお布施によって待遇が変わる。
彼らは平民なので通常は新米聖女が対応する。
前々から、その差別に疑問はあったが『そもそも治癒は医療行為ではない。そこには信仰心の差があるのだ』と神殿長に説得されていた。
そう言われてしまうと治癒が必要な時だけ神に祈り、聖女に治癒を願うのは都合がよすぎる行為に思えた。
けれど……。
駆け込んだ夫婦には見覚えがある。普段から慈善事業などにも積極的に参加していた信心深い人たちだ。
「私が診ましょう」
私の言葉にみんなが目を見張った。
大聖女である私が平民を治癒することなんて普段なら許されない。
しかし目の前で子供が苦しんでいるのに無視して帰すなどできなかった。
そうしてその夫婦に近づく。馬車に轢かれたという子どもはまだ幼子で、体を強く打ったのかもう息も絶え絶えだった。
「いけません! 大聖女様!」
誰かが止める声がしたが、私は構わず治癒を行った。
私が聖なる力を使って治癒すると子どもの呼吸が柔らかいものに変わった。どうやら内臓がダメになっていたようだ。
「すごい……さすが大聖女様だわ」
「あんなに重症だったのに」
「奇跡を目の前で……」
その場にいた聖女たちが口々に私を称え、尊敬の眼差しで見ていた。
しかしクラリ、と目が回る。大きな力を使うと時々こうなってしまうのだ。
「ありがとうございます、このご恩は決して忘れません!」
夫婦は涙を流して私にお礼を言った。私は眩暈を起こしていることが悟られないように平静を装った。今は頷くだけで精一杯だ。
「早く、お子さんをお家で休ませて上げてください」
そう言ってゆっくりと彼らの前を離れた。
「あなた方も、今見たことは他言無用よ」
聖女たちにも口止めをしておく。私がアーノルド以外の治癒を施すことに神殿長がいい顔をしないのだ。戦争から帰ってくるアーノルドにバレたら怒鳴られてしまうだろう。
「は、はい!」
「大聖女様、私感動しました」
「ありがとう。でも少し疲れたから奥で一人で休ませてね」
「誰も入れないようにドア前を見張っておきます! ゆっくりお休みください」
近寄ってきたモモが張り切ってそう言った。後ろにはララとルルもいる。
そうしてキラキラした目をして聖女たちが私を見る中、奥の部屋に入った。
「ふう」
ふらふらと椅子に座ると息を整えた。
先ほどの治癒は子供の損傷が酷くて聖なる力がたくさん必要だった。
どうにかアーノルドが戻るまでに体調を納めないと。
しばらく椅子に座って眩暈をやり過ごしているとなんとか収まってきた。
外が騒がしくなり、兵士たちが帰還したことを告げるラッパの音が聞こえてる。
そろそろかな、と立ち上がるとドアが叩かれた。
「アーノルド様が到着されました。大聖女様、大丈夫ですか?」
モモが体調を気づかってくれるのに大丈夫だと答えて、私はアーノルドのいる場所へ向かった。
「痛たたた……フィーネ、早く治癒しろ」
部下たちに両側から支えられながら簡易ベッドに座るアーノルドの左腕はだらりと垂れ下がっていた。
どうやらいつもよりはりきってきたらしい。
彼はいつも戦いから戻る日時を知らせ、私に治癒するよう申し付けた。前線で無鉄砲に飛び出すのは私が治癒することが前提なのだ。
「いつになくひどいですね」
声を掛けるとアーノルドの口が子供のように尖った。
「ごちゃごちゃ言ってないで早くしろ」
アーノルドの片腕は見るも無残な状態になっていた。仕方なく私は治癒を始めた。
彼を寝かし、患部に手をかざして聖なる力を使う。
――頭がクラクラしてきた。
これだけ体の損傷がひどいと、力をたくさん消耗してしまう。特に今日はすでに私は重症患者の治癒を行っていた。
――ドクン
「え……」
治癒を続けていると心臓の音が跳ねるように聞こえた。
「カハッ!」
腕の治癒はほとんど終わったのに、心臓を握られたように締め付けられる痛みがくる。
「あ……フィーネ? やっぱりこっちはキツかったか」
軽い声が聞こえて目をやるとアーノルドが服を緩めて胸を見せてきた。そこには棘のついたツタの模様の呪詛が描かれていた。
「う、嘘……」
「ちょっと呪われてさ。大聖女だったら解術できるだろ?」
左腕の損傷も酷いのに、心臓に呪いまで受けているなんて……。
こんな騙すみたいなことがよくもできたものだ。
「そんな……」
「早く治癒しろ」
傍若無人なその言葉ですべてを理解した。
呪いを受けていると私が知ったら日を分けて治癒するのをわかっていて、黙っていたのだ。
怒りと呆れる気持ちが募るが、治癒を止めることはできない。
私が全ての治癒を済ませる頃にはもう立つこともできる状態ではなかった。
ハアハアと肩を揺らす私がアーノルドの横たわる簡易ベッドにすがるようにしていても、
アーノルドは私に気にかけることはなかった。
「大聖女さま!」
そこへ 後ろで控えていたララたちが駆けつけてくれる。
治療中の聖女に触れてはならない決まりがあるので、終わるのを待っていてくれたのだ。
「なんだ、今回はちょっと呪いがあっただけだろ。大袈裟だな」
「アーノルド様、そんな、あんまりです」
いつもは大人しいルルが声を荒げた。
「黙れ、誰のために戦ってきたと思っている!」
「す、すみません」
「二度と俺に意見などするな」
アーノルドが私を庇ったルルに声を上げるのは我慢ならない。けれど私にはそれを止める気力がもうなかった。
かすんだ目にアーノルドが腕を回して治り具合を確認しているのが見えた。
後で絶対に抗議してやる……。
そう思いながら私は三人に支えられて意識を手放した