黒いドレスの令嬢1
「大聖女フィーネ様は悪女なんかじゃない! 悪魔に魂を売ったなんて嘘だ!」
「あの悪女を庇うなんてラオット商会の会長の子がこれでは世も末だ」
「大聖女様は僕の命を救ってくれたんだぞ!」
「はっ、このチビが、しつこいぞ!」
大通りの商店の前で少年が貴族の男に立ち向かっている。
その姿に大きくなったのだと感心する。
あれから二年。あの子は六歳になったのだ。そう思うと自然と口角が上がってしまう。
「馬車を止めて」
いよいよ男が少年にステッキを振り上げたので、私は慌てて馬車を止めた。
私の意図を理解しているヴィクタがエスコートしてくれて馬車から降りた。
突然目の前で豪華絢爛だが真っ黒な馬車が止まって、男と少年が驚いて見ている。
同じく真っ黒なスーツの男にエスコートされて、真っ黒なドレスの私が馬車を下りる。
私は男に向かって非難した。
「子供に手を上げるなど、恥を知りなさい」
「誰かは知らんが、躾けているだけだ!」
男は振り上げたステッキをそのまま私に向けた。
ああ、この顔は覚えている。治癒をしてくれとわざわざ手を握りにくると聖女が気持ち悪がっていた男だ。名はなんといったか……思い出さなくてもいいか。
「ひいいいいっ」
私は振り上げていたステッキを火の魔法を使って燃やして消し炭にしてやった。
熱くて手を離した男のステッキはカラン、と地面に落ちた途端、灰になって風に散った。
「人にステッキを向けるものではありませんよ」
「あ、あわわわわわ……」
男は腰が抜けたのか四つん這いになってその場から逃げて行った。後ろで黒のスーツの男……ヴィクタが面白そうにクスクス笑っていた。
「魔法も上手く使えたでしょ?」
「ああ、傑作だな」
「ホリー、大丈夫でしたか?」
「……僕の名前を知っているの?」
「ええ。あなたのご両親の知り合いなの。ご両親はどこ? 案内してくれる?」
「港の方に用事があって、今は不在で……あっ、帰ってきたみたい」
ホリーの言う方向に顔を向けると馬車から慌てて降りてくる夫婦がいた。
「ホリーッ!」
「なにがあった? 使用人にお前が貴族と揉めていると聞いて急いで戻ってきたんだ」
「あの、息子がなにか失礼なことを……え?」
「この人は僕を助けてくれたんだ。もめてたのはモイロ子爵だよ、ほらあの感じの悪いじいさん!……って、父さん……母さん?」
「ま、まさか……」
「お久しぶりです、ダイズ、サリー」
「フィ……」
「しーっ、今は別の名前で戻ってきました」
「ああああっ、祈っておりました、どうかご無事であるようにと……」
「ありがとうございます、サリーの想いは届いたようです」
泣き出してしまったサリーの肩を抱いたダイズも涙ぐんでいた。本当に心の根の優しい人たちだ。
「こ、ここではなんですから、商会の方にいらしてください」
「はい。ではお願いします」
私は驚くホリーの背中を押して建物の中に案内してもらった。
「ずいぶん見違えました。もうお体は大丈夫なのですか?」
「ええ。彼のお陰で元気になりました」
「もしかして、あの時のエルフ族の方ですか?」
「はい。そうです。私の正体も彼の正体もあなた方にはすぐわかってしまうだろうから、先に会っておこうと思ったのです」
「わかりました。お二人のことは秘密にします」
「私どもはガトルーシャヘイブラロ神に祈りを捧げ、僭越ながらあなたの幸せを願いました。もう一度、こうやって会えるなんて夢みたいです」
「ふふ……大聖女は引退しました」
「それは、神を……」
「神への信仰心は私なりにありますが、もうロッド国を信頼することはできません」
「そうですか。あんなことがあったのですから、そうかもしれませんね」
「実はラオット商会に商談を持ちかけにきました」
「商談……」
「私のことは『ブラックローズ』とお呼びください。そして、私たちの正体はただ黙っていてくださるだけでいいのです。お取引きしたいのは岩塩です」
「し、塩!?」
「どうです? 悪い話ではないはずです」
「悪いどころか……目的があるのですか?」
「王族や貴族たちの動向を探りたいのです」
「それを知ってどうするのですか?」
「はい。私を貶めた王家に復讐し、聖女たちを助けたいと思っています」
ダイズとサリーが息を飲む音だけが聞こえた。
私とヴィクタの出で立ちの迫力も相まって、説得力があるだろう。
塩の取引と言う餌を撒いて情報収集するつもりだ。もちろんダイズ夫婦には迷惑をかけるつもりはない。
「フィ……大聖女様が死去されてから聖女様たちは街の奉仕に出られなくなりました。きっと何かあったのですね。そして、神はあなたを遣わしたのでしょう。王家の戦争狂いにはついていけないと声を上げる者も増えています」
「私が聖女たちをロッド国から逃がせば、協力したあなた方も火の粉がかかるかもしれません。塩の取引以外は極力関わり合いのないようにして知らない同士でいましょう」
私が提案するとダイズもサリーも首を横に振った。
「いいえ。以前にも申しましたように私どもはあなたの力になります」
「私の方が良くしていただいて恩を感じているのですよ?」
「私も、妻も、大聖女様こそが神の僕であると確信しております。どうか共に行動させてください」
「復讐など神は望んでいないでしょう。それに、私は姉妹たちを守るためには神に背くことになることになるかもしれません」
「たとえ何がおころうとも、ガトルーシャヘイブラロ神の御心だと確信しております」
夫婦の決意は二年前から少しも揺るがない。
強い意志に折れて、私は好意に甘えて協力してもらうことにした。
正直、とても心強かった。
――復讐しに帰ってきたと強調しましょう
そう言い出した宰相のワイルの言葉を思い出す。
ワイルの作戦で私とヴィクタの衣装は全て真っ黒だ。
黒のドレスに黒のスーツ。身に着けるものは全て黒で揃えた。
揃えてみると面白いもので、一つしかないと思っていた黒色が実はたくさんの色があると知った。
そして最高級の深い黒色は、はっきりと格がわかるのだ。
贅の限りを尽くした黒……。
それを身に着けることができる財力をもつ謎の令嬢と貴公子。
私はロッド国に戻ってきた。
真っ黒なドレスと、美しい貴公子をたずさえて。




