大聖女フィーネ
「大聖女様、おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
朝、姉妹たちの顔を見ると自然と顔が緩む。
今日もみんなで健康に過ごせることが私たちの喜びだ。
聖女は起床すると神殿に向かい、ガトルーシャヘイブラロ神に祈りを捧げる。
ロッド国は人間を地上に生み出したとされる神ガトルーシャヘイブラロを崇拝していて、国王は神との仲介者である神殿長に認められなければならないほどだ。
ロッド国で最高権力を持つ神殿長は神の声を聞く超越者であり、その元で働くのが聖女である。
『隣人を幸せにすることを愛と知り。人に尽くし、愛を与えよ』
聖女は幼いころからの教えを守り、決して贅沢はせず奉仕活動を行って育った。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いで領土を広げているロッド国はもともと大きな湖から引いた水路に囲まれた小さな国であった。
その地では聖なる力をもって生まれる人間がいる。
聖なる力とは『治癒能力』のことで傷や病気を治すことができる。
それは、女児に限ったことで、ロッド国に生まれた女児は生まれるとすぐに聖なる力を神殿で調べることが義務づけられていた。
神殿に属する私に苗字はない。
あるのは『フィーネ』という名だけだ。
聖女はロッド国には欠かせない高貴なる神の使いである。
私たちは神殿長を母と慕い、聖女仲間を姉妹として過ごす。その中でも今は一人しかいない大聖女が私だった。
そして同時に王太子アーノルド=ピュレ=ロッドとの婚約も決まっていた。
そこにアーノルドと私の意思はない。
代々王族直系の男子は聖女との婚姻が定められていた。
「大聖女様。今日は神殿での奉仕活動となっております」
「そう」
「頭巾にしますか? フードにしますか?」
「フードでいいですよ」
自室に戻るとモモが顔を出した。今日の当番は彼女らしい。
私には世話係としてララ、ルル、モモの三人の聖女がいる。彼女たちは交代で私の元へやってくる。
モモは三人の中で一番年下の十四歳。お調子者だけどいつも周りを明るくしてくれる。
基本自分のことは自分でするので、世話係と言ってもスケジュールを教えてくれた
り、身だしなみを整えてくれるくらいだ。
食事はみんなと食堂で摂るし、お風呂も共同。
大聖女と言っても掃除や食事の当番から外してもらっているだけで、そう他の聖女と生活は変わらない。慎ましい生活だ。
「今日は街の人にも開放している日ですから、またあの美味しいクッキーがもらえるかもしれませんね」
「そうね、毎回くださる人がいるから貰えるかもしれないわね」
私が同意するとモモが飛び跳ねる。
時々信者が差し入れを持ってきてくれるのだが、甘いものは滅多に食べられないので配るとみんなが喜ぶのだ。
「大聖女様、ご連絡申し上げます」
出かけようとすると息を切らしてララがやってきた。
「どうかしたの?」
「アーノルド様が戦地からお戻りになられるそうです。ですから今日の慈善活動は中止して、聖女はそれに備えて力を温存するようにと。それから、このまま神殿で兵士たちの帰りを待つようにと伝達がありました」
「え。でも、戦地には十日前に出向かれたばかりよ? もう帰ってこられたの?」
「それが、国境で結界に阻まれて入国すらできなかったようです」
「戦いにもならなかったってこと?」
「詳しくはわかりませんが……」
意気揚々と出発していったアーノルドを思い浮かべる。
あのプライドの高い男があきらめて帰ってくるなんて驚きだった。余程相手の守りが固かったのだろうか。
聞くところによればロッド国の王族が好戦的なったのは二代前の王が崩御されてからで、それまではどちらかと言えば国内で自給自足で満足して生活しているような国だったらしい。
先王が神殿長に認められて王になった時、『国を広げ神の教え伝えよ、悪魔の血を絶やせ』とお告げがあった。
なんでも神に背く者には悪魔の血が入っているらしく、それからのロッドの国王は『悪魔の血を失くすための戦い』を好み、活発に動いた。これがロッド国の悪魔の戦争の始まりである。
そして、悪魔を倒すという大義名分を持って近隣諸国に攻め入った。王は自ら剣を振るい、前線で戦い、そして不死身のごとく何度もよみがえった。その戦いを聖女が治癒しながら補佐していたのだ。王太子のアーノルドも例外ではなく、むしろ積極的に聖女の力を使っていた。
ロッド国しかできないこの無茶な戦い方で、領土はどんどん広がっていった。
そしてようやくここ数年は国の周りも落ち着き、戦うことも無くなっていた。
これで静かに暮らせるとホッとしたのも束の間、数か月前に急に神殿長が『神託』を下ろした。
神殿長は『レリア国に悪魔が下りたのを見た』と言い、レリア国を攻め入ることになったのだ。
こんな偶然があるのだろうか……アーノルドは前々からレリア国に攻め入りたいと主張していた。私は密かに神殿長となんらかのやり取りがあったのではないかと疑っていた。
レリア国を攻めたいアーノルドの目的はエルフ。
彼は何かにつけて自分の配下にエルフを置きたいと言っていた。
ロッド国と同じように人族が多いレリア国は神秘の森を所有している。そこに幻の一族エルフが棲んでいるのだ。
エルフ族は長寿で容姿端麗。身体能力にも優れ、博識で魔法にも長けているという。
しかし彼らは無駄な争いはしないし森を出ることを嫌い、一族以外の繋がりを必要とせずにひっそりと暮らしているようだ。
レリア国と平和協定をしてその国内にエルフの国を築き、外との繋がりは遮断していた。
まさに幻の一族で、そんなエルフにアーノルドは昔から強い憧れがあった。
美しく、強いものが大好きな彼はエルフを自分に従えさせたいと常々言っていたのだ。
はあ、とため息をつくとララとモモが心配そうな顔をした。
アーノルドは私の治癒能力に頼り切って無茶ばかりする。きっと大怪我でも負って帰ってきたに違いない。
数が多い兵士の治癒は聖女たちの負担も大きい。聖女の治癒の力は使うと体力を消耗してしまうのだ。
「それでは神殿の一般人の立ち入りも禁止ね。張り紙はしてくれたのかしら」
「それはルルがしてくれました。負傷者が少ないといいのですが……」
「覚悟はしておいた方がいいわね」
「戦争は嫌です。無理をしてまで悪魔を退治する必要があるのでしょうか」
モモがぽつりと言う。慰める言葉は見つからず、私は頭を撫でることしかできなかった。
私もモモくらいの年齢までは『悪魔』の存在を信じていた。
けれども。
そんなもの本当に存在するのだろうか。
アーノルドは戦地での活躍をなんども語ったが、悪魔の話など出てきたことはない。
神殿長に悪魔の話を聞いても、ただ存在するだけとしか答えは返ってこなかった。
創造神ガトルーシャヘイブラロを信じないわけではない。ずっと祈りを捧げてきた神だ。
けれど戦地から戻ってくるアーノルドや兵士たちを治癒すると心のどこかで疑念が沸く。
ロッド国はますます領地を広げ、大きくなっている。
まるでそのために戦争を起こしているかのように。
愛すべき『隣人』とは悪魔が降り立った国にもいるのではないか。
いつしか私の心にはそんなモヤモヤした考えが芽生えていた。