第07話 寄り添う音
「シトリー、元気ないわよね」
『そうね』
翌日。
いつも通りにソフィアに仕えるシトリーは、どこか上の空といった雰囲気だった。
ソフィアの言葉を聞き返したり、紅茶を淹れ損ねて妙に渋くしてしまったりと、普段のシトリーではあり得ない行動が散見されていた。
原因ははっきりしている。
(……迷ってるのね)
ルーカスのことだ。
今回の紛争を収めたことを記念してパーティーが開かれることが決まっているのだが、主な目的は功労者をねぎらうことである。
実際の論勲功章はすでに終わっていることもあり、実質お披露目だった。
勲一等はエルネストだが、次点がルーカスだったのだ。
「まさかエルネスト様が暗殺者を差し向けられるなんて」
『無駄なあがきよね。暗殺なんて許すはずがないもの』
トトが言っているのは竜の精霊のことだが、殺意を向けられた事実にソフィアは震えていた。
『ま、起きたら暗殺者の氷像が枕元ってのは可哀想だけど』
「笑いごとじゃないわよ」
『まぁでも、良い方向に転がってきたんだし良いんじゃない?』
暗殺者は氷漬けにならなかった。
とはいえ、暗殺を阻んだのは竜の精霊でもなければエルネスト自身でもない。
ルーカスだ。
シトリーが気付いた負傷は、エルネストを庇ったときに負ったものだったのだ。
騎士団長でもあり、王族でもあるエルネストを助けたのは大きな功績だ。
(だからこそシトリーは悩んでいるんでしょうけど)
ルーカスはこの功績をもって騎士団長に指名される。
それはつまり、シトリーが先延ばしにしてきた告白に、答えを出さなくてはならないということでもある。
『何を迷ってるのかしらね』
「やっぱり『女王の切り札』のことかしら……ねぇトト。何とか元気づけられない?」
『そうねぇ。精霊姫様の仰せなら、何とかしてみましょ』
おどけたトトに思わず微笑む。
そしてトトの指示通りにシトリーを呼んでお願いを告げた。
「ピアノを聞きたい、ですか?」
「ええ。お願いできない?」
「構いませんよ」
移動して簡単なストレッチを始めたシトリーが、鍵盤に指を置く。
「何かリクエストはございますか?」
『明るくて穏やかな曲が良いわね』
トトの言葉をそのまま伝えれば、こくりと頷いたシトリーが演奏を始める。
それに合わせてトトが歌を奏で始める。ソフィアの耳にも言葉としては聞こえない、透明感のある音で囀る。
同時にトトの体から星幽が伸び、シトリーを包み込む。
シトリーに働きかけているのか、ピアノのタッチが明らかに変わっていった。
強調されたスタッカートがリズムを作り、|アクセントがついていく《アッチェンタート》。曲調がより明るく輝くように。
10分ほどのそれを弾き終えただけで、シトリーの表情は晴れやかなものになっていた。
ソフィアが拍手を贈れば、珍しく恥ずかしげな表情を浮かべて頭を下げる。
「すみません……ちょっとアレンジが効き過ぎましたね」
「そんなことない! 素敵だったし、すごく楽しそうだったわよ」
「ありがとうございます。……私、そんなに楽しそうでしたか?」
「ええ、とっても」
『アタシのお陰だけどね』
トトが誇らしげに胸を張る横で、シトリーがぽつりと呟く。
「……ルーカスも、こんな気持ちなんですかね」
「どうかしら。でも、確かにルーカスもいっつも楽しそうにしてるわね」
普段はデュオの度にルーカスの演奏に噛みつくシトリーだが、思うところがあるのだろう。複雑そうな表情で鍵盤に置いた自分の指を見つめていた。
「シトリー。この後、どうするの?」
首をかしげるシトリーに、ルーカスのこと、と告げるとシトリーは悲しげに目を伏せた。
「断ろうと思います」
「ルーカスのこと、嫌い?」
「そんなはずありません!」
叫ぶような否定。シトリーの瞳から一粒の涙が流れた。
「私は普通の女性とはほど遠い生活を送っています。これ以上近づいたら、きっと彼を傷つけてしまいます……!」
ソフィアは思わず駆け寄り、シトリーを抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫よ、シトリー。変なこと聞いてごめんなさい」
「……陛下にも、一族の者にも、ソフィア様にも。このままだと全員に迷惑を掛けてしまいます。だから、彼のことは諦めて、」
「駄目よ」
ぼろぼろと涙を零すシトリーと視線を合わせる。
「何があっても。どんな時でも。絶対に諦めちゃ駄目」
「……良いんですか、諦めなくても」
ソフィアが頷けば、シトリーは声をあげて泣いた。
(ずっと我慢してたのね)
自分がエルネストにそうしてもらったように。
ずっと、誰かにして欲しいと思っていたように。
シトリーを抱きしめ、背中をさすった。
どれほどそうしていただろうか。
落ち着いたシトリーがふらりと立ち上がる。
「取り乱しました……身支度をしますので少々お待ちいただけますか?」
「うん。ゆっくりで良いわ」




