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最後の審判と恋の始まり

 どこかで、私を呼ぶ声がした。その人は泣いていた。死なないで、戻ってきてと、その時は確かに聞こえていた。その声がフッと耳元から消えた瞬間。



「おーい、勤務中に居眠り?」


「えっ、ぅ……ん。私、寝てました?」


「ヨダレ、報告書汚したら仕事にならねーぞ。」


「あ、わ、わぁ!?」


 慌てて、腕の中にある報告書の束を両手でかき集める。良かった、汚れてない。ほっとした私の頭上から、また呆れたため息と


「お前って奴は、どーしようもねぇ。」


「す、すみません。」


 しっかりしろよと短い舌打ちが落とされる。そんなに怒らなくたって。確かに勤務中に居眠りしていた私が悪いけど。


「まぁまぁ、こう毎日の激務じゃ、疲れるのも無理ないよ。大丈夫?他の人に交代して貰おうか?」


「だ、大丈夫です!ありがとうございます。」


 優しい言葉かけに、恐縮しながら頭を下げる。



「んで?次の審議の内容は?」


「えっと、ですね、ちょっと待ってください。」


「そのくらい頭にいれとけ!!どあほ!」


「す、すみません!!」


「謝らなくて良いよ。僕らにとって時間は無限にある。ゆっくりいこう。」


 両隣から、厳しい叱咤と優しい励ましを受ける。この環境にも最初は慣れなかったけど


 今はもう、これが私の日常。さっき見た夢のことなんてすぐに忘れてしまうくらいに目まぐるしい日々。


 次の審議内容を確認しようと、報告書のファイルをバサバサめくる私の目の前には


「あ、あのー、それで僕は、どうなるんですか?」


 私達より一段下に設置された椅子に座りながら、ビクビクと怯えた視線を送る男の人。私の段取りが悪いせいで、不安にさせてしまったかな?


「お待たせしてすみません!直ぐに手続きを取りますから、もう少しお話し聞かせてください。」


 慌てて目元を覆っていたフードを外して、表情が見えるように小さく笑いかければ、男の人は照れたように頷いた。



「おい!審議中、人間に顔を見せるな!!」


「わ!?」


 左隣から手が伸びて、乱暴に私のフードを被せ直す。


「い、痛いです!!やめてください!鬼羅(キラ)様!

 閻魔様に言いつけますよ!?」


「うるせーな!!おい人間!!コイツの顔を見たら俺が即刻地獄送りにしてやる!!」


「は?顔って何ですか!?私ってそんなに酷い顔してます!?」


「お前は黙ってろ、黙って被れ!!」


「い、痛いですって!引っ張らないで下さい!」


「君は何千年経っても乱暴だなぁ。

 大丈夫かい?」


「あ、ありがとうございます。」


 対する蓮華(れんげ)様はいつも優しい。鬼羅様とは大違いだ。


「ふん!愚図が!貸せ!!」


 鬼羅様は、私の手から乱暴にファイルを受け取ると


「いいか?お前は余計なことせずに黙って俺の仕事を見とけよ?」


「えっ。」


「あと、事後報告書記入は全部お前の仕事だ!

 くれぐれもミスるな!」


「で、でも…」


「文句あんのか?」


「い、いいえ。」


 事後報告書なんて、1日数百枚にもなるのに。そのせいで昨日だって全然眠れてない。そんな私を横目に見ながら


「甘えんな。寝なくたって死なねーよ。」


「は、はい。」


 チッともう一度短く舌打ちした。鬼羅様はいつも怖いし、私には特別厳しい気がする。出来が悪いからだって、言われるだろうけど。


 落ち込む私の肩を、トントンと小さく叩いて


「大丈夫、今日の報告書は私が出しておくから。君はゆっくり休むといいよ。」


 ニコッと微笑むのは、蓮華様。なんて優しいんだろう。いつも穏やかな声音に思わず泣きそうになった。


「コイツを甘やかすな!蓮華!」


「鬼羅こそ、そんなに苛々して。少し休んできたら?

 ここは、私達2人で纏めておくよ。」


「ふざけんな!お前らに任せたら全員極楽逝きに決定だろうが!?」


「ふふ、私はその方が良いと思うのだけれど。」


「人間なんて審議なしに地獄逝き決定なんだよ!」


「えーと、では報告書を再確認します!」


 言い争う2人も私の声に動きを止める。とにかく今は仕事に集中しないと!!


 鬼羅様に言われた通り、もう一度顔が見えないようにフードを深く被り直した。




***


 人は死んだら何処へ行く?天国?地獄?いえいえ、その前に先ずは此処。最後の審判を受けてからです。



 ここは、あの世とこの世、天国と地獄の狭間。死んだ人間が天国に行くか地獄に行くかを決める場所。


 私は訳あって死神となり、今はこの最後の審判をサポートする部署に配属されている。


 最後の審判、つまり人間の逝く道を決めるのは地獄の閻魔様や天国の釈迦様を含めて選ばれた神達。但し、地獄の閻魔様の部下で審判を許されている鬼羅(キラ)様と、天国の釈迦様から審判の全権を委託されている蓮華(レンゲ)様は特別。


 2人は神の中でも上位に近い。本当は私の様な何の力もない死神が側にいて良い存在ではないのだけれど。とりあえず慣れない業務をこなしながら、何とか審判がスムーズに取り計らえるよう微力を尽くしているところだ。


「お前の死因は自殺だろ。審議するまでもねぇ。自殺した奴は問答無用で地獄だ。俺の所で手続きしろ。」


 以上、と鬼羅様が報告書に地獄行きの判を押そうとするのを


「いや、彼は虐めを苦に自殺したわけだから。辛かったろう?死後も苦しむ必要はない。ここは、私が天国へ行けるように取り計らってあげる。」


蓮華様が優しい笑顔で制する。


「はぁ?お前馬鹿か?自殺は地獄!それが規則だ!いちいち同情するな!」


「最後の審判をする意味は、出来る限り正しく魂の救済をすること。私はどんな人間にも慈愛を持って接しなさいと、釈迦様から命じられています。」


「違う!この審判の意味は、罪人を見つけて死後に正しく罰を受けさせるためだ!!罪人を見逃せば閻魔様に顔向け出来ねぇ。」


「お、お二人とも落ち着いて下さい!!」



 あぁ、またいつもの争いが始まってしまった。高尚な神である2人だけど、考え方が微妙に違っているからか、審議のたびにこうして言い合いになるのが常だ。


 だからこそ、私が間に立って、場を収めなければならないんだけど。生憎そこまでのスキルは持ち合わせていない。本当に何で私なんかが、この部署に配属されてしまったのか。神様達の考えることはよくわからない。


「お、お願いします!神様。僕は確かに自殺をしました。だけど、アイツらに!僕を虐めていた奴らに、屋上から飛ばなければ殺すと言われたから、だからっ……!」


 本当は死にたくなんてなかった、もっと生きたかったと涙する男の人に、思わず同情してしまう。


「あぁ、そうか。泣かなくて良い。もう苦しみは終わったのだから。」


 蓮華様の慈悲深い言葉に、涙を拭きながら何度も頷く男の人。


 私は、苛々と机を指で叩く鬼羅様の方に身体を寄せて


「彼はああ言ってますし、無理矢理に自殺させられたなら、他殺と変わらないのでは?蓮華様の言うように天国が妥当かと。」


 こっそりと耳打ちしてみる。

鬼羅様は、鋭い眼光を向けて


「死神如きが審議に口を出すな。お前の仕事は、生前の人間を知り正しい情報を俺達に与えること。人間に同情することじゃない。違うか?」


 思わず血の気が引くような、低い声で言った。


「は、はい。申し訳ありません。」


 確かに、鬼羅様の言うとおりだ。私ってばまた余計なことをして怒らせてしまった。自分の浅はかさに恥ずかしくなって、慌てて分厚い資料に再度目を通す。


 そう、死神の仕事は、この膨大な人生の資料を読み取り、正しく神様に報告すること。時には死に近い人間の下を訪れて、直接その人を見て、資料を作る参考にする。


 判断をするのは、私ではなく、選ばれた神のみだ。

 気持ちを切り替えて資料を見ながら


「あれ?でもこの人。」


「ん?なに?」


 気になる点を見つけて、反対隣にいる蓮華様に資料を見せる。


「虐められていたストレスからか、何度か小動物を殺めていますね。猫や鳥や、小さな野良犬など……。」


「そ、それは!!ほんの出来心で!僕は、アイツらに酷い目に遭わされたんだ。小動物くらい殺したって……!!」



「地獄です。」


「へ?」


「殺生は許しません。」


「そ、そんな!?さっきは天国に行かせてくれるって!!」


 先程の優しい笑顔は消え失せて、無表情で男の人を見下す蓮華様。


「どんなに小さな命も、平等に尊ぶべきもの。地獄で罪を悔い改めたなら、またこの場で審議をしましょう。罪が無くなればまた、神が貴方に転生の機会を与えるでしょう。」


「意義なし。心配するな?お前のことは俺がしっかり面倒を見てやる。ゆっくり、地獄で話を聞いてやろう。」


 そこで、初めてニコッと冷たい笑みを浮かべた鬼羅様に、ひいっと怯えた声を上げる男の人。



「では地獄行きということで。案内して下さい。」


「嫌だ!!そんな、女神様!?」


 め、女神?って私のこと?


「は!本物の女神はこんな可愛いもんじゃねーよ!」


 鼻で笑う鬼羅様に、怯える男の人は縋るように私を見ている。


「申し訳ありませんが、私はただの死神です。私の一存ではどうしようもありませんので。」


「おい!早く連れてけ。殺生地獄でいい。」


 鬼羅様が、パンと1つ手を叩くと


「御意!!」


 狐のお面を被った式神が、男の両脇を抱えて連れて行く。


「嫌だー!!誰か助けて!」


「それでは、頑張ってくださいね。」


 泣き叫ぶ男の人に、蓮華様はニコニコとしながら小さく手を振る。それからすぐに次の報告書に目を通し始めた。


 泣いても喚いても、この審判は絶対。だからこそ、許された神のみがその役職に付ける。このお二人の決定を覆せるとしたら、閻魔様か釈迦様か、それと同等の位の高い神。よっぽどじゃない限り人前に姿を表すことはない。


 絶望して泣く姿を可哀想に思いながら、その背中を見送っていると



「意義あーり!!」


「!?」


 突然、審議場に響き渡った声。驚く間もなく


「今の審議には、異議あり!」


 何処から現れたのかもわからない。だけど、その人は確かに目の前に現れた。


「だ、だれ?」


 質問には答えずにニコッと微笑む。見た目は、私とそう変わらないくらいの少年。まだあどけなさの残る、無邪気な笑顔。こんな子供が審議の間に入ってくるなんて前代未聞。とんでもない事件だ。


「鬼羅様、蓮華様!申し訳ありません!えっ、とこれは何かの手違いかと……!!」


 審議の邪魔をされて、きっと怒っているはず。どうすれば良いかわからないまま慌てて2人を見ると


「へ?」


 いつの間にか2人揃って


「お前、何やってるんだ。図が高いぞ。礼儀も知らないのか?」


「これはこれは、弥勒(みろく)様。こんな場所まで来て頂けるなんて光栄です。」


 床に跪いて、その少年に頭を下げていた。


「弥勒、様ってもしかして、この少年が……?」


 私は呆然としながら、鬼羅様に引っ張られるようにして膝を付いた。


「そう、彼がここの最高責任者だよ。」


 コソッと教えてくれた蓮華様に、えっ!?と思わず声を漏らす。噂には聞いたことがある。釈迦様、閻魔様、その後に最終的な判断を下す神。そんな偉大な存在がまさか、こんな……少年だなんて。


 私の考えていることなどお見通しとばかりに


「位の高い神ほど、その姿は変幻自在。見た目なんかあてにするな。」


 鬼羅様が、頭を下げたまま呆れたように教えてくれた。


「ご無礼を、申し訳ありませんでした。」


 そうか、彼は凄い人なんだ。見た目は少年でも、彼の真っ白な髪だけは鮮明に覚えている。確か、白髪に近くなるほど神に近付くと聞いたことがある。


 釈迦様の第一の部下である蓮華様は、白髪に近い銀髪だし。閻魔様の部下である鬼羅様も、鮮やかな白金の髪をしている。だから、あんなに混じり気のない純白の髪は、初めて目にした。


「何千年経ってもまだ転生を許されず、苦しみ続けている人達ばかりだよ。地獄は。」


 頭を下げる私達には、全く見向きせず、弥勒様は男の人に話かける。静かな、だけど透き通った不思議な声。直接頭の中に染み込んでくるような気がする。


「だけど、君をそんな地獄に送るには、余りにも……」


 弥勒様が、ふいに頭上を指差すと、眩い光と共に



 《帰ってきて、お願い。神様お願いです。この子を連れて行かないで。代わりに私が、どんな罰でも受けますから。お願いです。神様、神様。早くこの子の目を覚まして下さい。》



「この声に、申し訳ないと思ってさ。」


 必死な声、切ない泣き声が聞こえてきた。


「お、お母さん……?」


 その声を聞いた男の人は、呆然と頭上を見上げる。


「ね?こんな場所まで声を届けるって。凄いことだよ。余程の強い思いじゃなければ、僕らには届かない。」


「あ、あぁ、お母さん……!!」


 弥勒様の前で、崩れ落ちるようにして泣き出す男の人。


 その肩をそっと抱いて


「うん。だから君は元の世界に戻っていいよ?そして

 目が覚めたらお母さんに感謝を伝えて。


 僕にこの声を届けるために、もう7日も寝ずに祈りを捧げてる。」


 この愛のおかげで、君は地獄に行かなくて済むんだから。


「ただ、もしその命を無駄にすることがあれば。君を間違いなく地獄に送る。戻った後に待っている世界の方が君にとって地獄かもしれないけれど。」


 どうする?



 最後の問いかけに、ゆっくりと顔を上げた男の人は



「……僕は、戻ります。そして、もっと強くなって。」


 今度は、僕が、お母さんを守ります。

 この命に代えて、感謝します。



 そう言った男の人はもう、泣いてはいなかった。



「うん、わかった。」



 弥勒様は、最後に優しく微笑むと



「いってらっしゃい?気をつけて。」



 男の人の頭をそっと撫でて、パチンと1つ手を打った。



「神様。」


「うん?」



 その瞬間、眩しい光に包まれた身体は、みるみると消えて




『あり、が、とう……。』




 その言葉だけ残して、消えてしまった。

 その光の粒を愛おしげに目で追いながら




「どういたしまして?」



 ふっと、微笑んだその人。光に包まれた横顔。

 その純白の美しさに



 私は、自然と涙を流していた。





 彼は間違いなく神様だ。




「弥勒、さま……。」



 そして、今まで出会ったどの神様とも違う。

 ただ、その瞬間から彼だけが。



「わたし……弥勒様が好きです!!」



「!?」


 私の神様になった。



***




弥勒様は、最後の審判に関する最終責任者であるにも関わらず審議場に顔を出すことは殆どない。


その理由は、誰も知らない。ただ、判断に迷った時や釈迦様や閻魔様から頼まれた時にだけ、姿を現すのだと言う。


そんな偉い神様に向かって、どうして。「好きだ」なんて言ってしまったんだろ。


でも、言わなかったら二度と会えないような気がして。


今でも鮮明に覚えている。肩の辺りで揺れる真っ白な髪。瞳は深い青。晴天の空のような、清々しい色。美しくて、息をするのも忘れるくらいだった。


あの後すぐに



「アホか!?お前は!!弥勒様に向かって何を言ってる!?もう一度死んで審議をやり直してもらえ!そして地獄に堕ちろ!!


申し訳ありません弥勒様!こいつ、いや、この死神はまだ新人なので、礼儀と言うものがまるでわかっていなくて。」


鬼羅様に思い切り怒られて、グイーッと頭を下げるように押さえられた。


いつも冷静で穏和な蓮華様でさえ、私の発言には驚いたようで、口をポカン開けて固まっていた。


だけど、誰に怒られても、何を思われても、あの時の私の瞳には


「無礼なこと言ってるのはわかってます!でも、私初めてなんです!!この世界に来てからこんな気持ち、弥勒様にだけなんです!!貴方のことが知りたい!!少しだけで良いんです!!少しだけでいいから」


もっと



「側にいたい……ですっ。」



息をせずに、審議場の真ん中に立っている弥勒様に向かって大きな声で伝える。


私の勝手な思いを、彼は瞬きもせずに聞いていた。

じっと私を見つめてから



「君、名前は?」


困ったように微笑む。



「えっと、死神ナンバーは1012番です!!」


「死神になる前の名前は?覚えてない?」


「はい!私には前世の記憶がありません!!」


「そう、珍しい子だね。」


ふーん、と暫く考えてから、まるで小さな子供を諭すように


「気持ちは嬉しいけれど、僕の傍にいる必要はないよ。僕は1人でも何も困らないから。ほら、一応全知全能の神だから、ね!」


クスクスと小さく笑いながら答えてくれた。その後に小さくため息をついて



「蓮華、鬼羅。」


「はい。」


「審議する人間の数が増えて大変かもしれないけど。本当に生きているか死んでいるかくらいは見極められるだろう?さっきの子だって、今も病院で意識不明の状態だったのに。母親の声がなかったら冥界に連れていく所だった。」


「申し訳ありませんでした。以後、弥勒様の手を煩わせないように気をつけます。」


反省したように深々と頭を下げる2人に、もう一度優しく笑いかける。見た目には鬼羅様や蓮華様よりずっと年下に見えるのに。立場としてはずっと上なんだと改めて思い知らされた。


「うん、2人ともよくやってるよ?釈迦や閻魔には今日の案件は内緒にしておくから。今後ともよろしく頼んだよ。邪魔をして悪かったね。」


「お心遣い感謝致します。」


ほっとした様子の2人。今にもまたいなくなってしまいそうな弥勒様に、どうにか話を聞いて欲しい私は


「弥勒様!名前を……!!」


「え?」


頭から被っていたフードをバサッと外して


「私に名前をくれませんか!?貴方に名前を付けて欲しいんです!!」


最後のわがままを言う。普通だったら、死神の職を解かれても仕方ない無礼。


だけど、どうなってもいい。彼の瞳に1秒でも長く止まれるのなら。


「だから、お前……!!フードを外すなってあれ程……!!」


鬼羅様から叱られるのはわかっているけど、私を見てほしい。ありのままの私を、まだ名もない、名前すら思い出せない私を。



そんな私を見て、弥勒様は怒るどころか


「君、どこかで会ったことある?ここじゃない、どこかで。」


「え?」


驚く程真っ直ぐに、私を見つめ返してくれた。

時が止まったような静寂。


「僕は君を知ってる。」


君も僕を知っているね?


「ッ、」


静かに問いかけられた瞬間に、今すぐにこの壇上を降りて、彼の腕の中に飛び込みたい、衝動に駆られる。

私は彼を知らない、知っていたら忘れるはずない。


「弥勒様。お願い……です。」


こんなに優しく笑う、美しい人を。


どうしよう、泣きそうだ。上手く言葉が出てこない、この感情だけが、余りにも大き過ぎて。


震える唇をギュウッと噛み締めた時、涙が1つ頬を伝って流れた。


まるで、私が私じゃないみたい。



(よい)


「えっ……」



涙で歪む視界に、映ったのは。


「君の名前、どうかな?」


「!」


いつの間にか目の前にいて、ふわりと微笑む弥勒様。

ぽん、と頭を撫でると、私の頬を伝う涙を指で掬う。


「宵、君の黒髪を見たら思い浮かんだ。」


「はい……大切にしますっ……。」


「良かった。」



またね、宵。

そう耳元で囁いたと同時に。


「あっ!!」


夢みたいに一瞬で、消えてしまった。

後に残ったのはこの名前だけだった。



弥勒様が消えた後、鬼羅様にはそれこそ死ぬほど怒られたけれど。幸せな気持ちはずっと残っていた。


あの日から、私の毎日は


「おい!No.1012番!」


「今日から私の名前は宵です!」


「?何でもいいから、次の審議に遅れないよう準備しろ。」


「はいっ!」


特別な名前がある、特別な毎日に変わった。彼が付けてくれた宵という名前に、自分の存在価値を与えて貰った気がしたんだ。



***



私が死神になってから、どれくらいの月日が経っただろう。毎日を必死に過ごす中で数えきれない人々の審判を見守った。新人の時は毎日失敗ばかりで怒られてばかりだったけれど。


「次の審議の内容は?」


「次の方は、病死ですね。癌の末期で長い闘病の末に。因みに病に罹る前は慈善活動にも参加しています。殺生、窃盗歴もないようです。」


「よし、じゃあ君は天国でいいかな。」


「異議なし、次は?」


「次の方は……。」



2人の神様の間で、何とか審議を進めることが出来る様になっていた。まだまだ失敗も多いし、うまくいかないこともある。それでも、頑張れているのは


「宵、もう休んでいいぞ。」


「今日もお疲れ様、宵。」


「はい、お疲れ様でした!次の審議までに報告書を纏めておきます!!」


「頼んだぞ。」



今は皆んなが自然と呼んでくれる、名前があるから。彼に貰った大切な宝物を、私はずっと大切にしている。それに、この数年間で得たのは名前だけじゃない。


審議の間を出れば、張り詰めた緊張感が解けてどっと疲れが襲う。ここは天界と地獄の狭間にある建物。他にもいくつか審議の間があって、沢山の神様や死神、審議を待つ人間や生き物全てが集まってくる。


長い廊下を沢山の人が行き来している中で


「!!」


ふと横をすれ違った真っ白な狼。

振り返るとその背中に


「弥勒様っ、!?」


「!?」


ガバッと一目散に抱きついた。

この数年で私は



「え?弥勒様?」


「弥勒様、ってあの最高位の……?」


彼が何に変化していようと、直ぐに見つけられるようになった。


半信半疑の周りが騒ぎ出した時、初めて「マズイ。」と思った。


白い狼は、背中に抱き付いたままの私をチラリと疎ましそうに見た後



『少し掴まってて?』


「へっ?」


パアッと眩い光に包まれる、と同時に現れた龍が



「!?神龍だ!」


「まさか!本当に弥勒様だったのか!!」


人混みの中を颯爽と駆け抜けていく。



「み、弥勒様ー!?」


掴まっててって言われたって!!こんなスピードじゃ、無理!!

必死に龍の背中にしがみつき、とにかく振り落とされないよう必死になる。


風を切るように、一瞬で塔の外に出たと思ったら


「きゃあ!?」


ドサッ、と広大に広がる高原の真ん中に落とされた。


「痛たた。」


審議の塔の外は、あの世とこの世の境となる大きな三途の川と、何処までも続く草原しかない。運が良ければ天界から青い鳥が遊びに来ていたり、七色の虹が掛かったりするけれど。普段は審議の塔に向かう亡者達が列を成して歩くだけの、何とも殺風景な場所だ。


今日は生憎曇天の空。草原の小高い丘の上に落とされたからか、怪我はないけれど。


私の顔を覗き込むのは


「宵、僕の名を呼ぶときは気を付けてって

言ってるだろう?」


「!!」


碧眼にかかる白髪を、鬱陶しそうに払ってため息をつく、弥勒様の姿。


やっぱり……!!


「弥勒様!!ごめんなさい!!

好きです!!」


「うん、言ってることがおかしいよ。」


「ごめんなさい!!」


「行動も伴ってない。」


「だって!!嬉しい!!」


「っわ!?」


どんなにうんざりされたって、やっぱり嬉しくて堪らない。変化を解いて、いつもの少年の姿に戻った弥勒様に、思いきり抱き付いた。


私を抱えきれずに、ドサッと派手に後ろに倒れた弥勒様。


「会いたかった、ですっ!!」


逃げられないように、ぎゅうっと腕を回して、擦り寄る。


「宵、君って本当……」


困った子だね。とため息をつく。

弥勒様からは甘い花の香りがする。神様が住むと言う天界は、世界のありとあらゆる花々に囲まれているらしい。その移り香だろうか。とっても、良い匂い。


「弥勒様、弥勒様!!」


久しぶりに会えた嬉しさが抑えきれなくて、頬を寄せながら笑みが止まらない。



「わかった、わかったから。落ち着いてよ。ね?」


「!」


宵、良い子だから。と優しく頭を撫でてくれる。そこでやっと正気に戻った私は、少しだけ顔を上げて



「離れても逃げませんか?

……いなく、なりませんか?」


「あぁ、約束する。」


「絶対?神様に誓って?」


「ふっ、宵は僕を何だと思ってるの?」


「あ、すみません、つい。」


「誓うよ、僕に誓うから。」


降参、と両手を上げて笑う弥勒様。至近距離で目が合って、思わず赤面してしまう。いつ見ても美しい蒼の瞳。混じり気ない白髪、長い睫毛まで真っ白だ。



「……わかりました。」


しぶしぶ、と押し倒していた体勢から、寝そべる弥勒様の横に静かに座る。



「ふふっ、宵は凄いね。」


「え?」


「僕の変化を見破れるのは、宵と僕以外の十神くらいだよ。」


「わかります!!それが恋です!!」


「恋、ねぇ。」


のんびりと起き上がった弥勒様は、「やっぱり宵は面白い。」とクスクス笑った。


「前世の記憶はないけれど、感情は覚えてます。恋をするとその人だけが輝いて見えるんです!だから、私はどんな姿だって弥勒様を見つけられるんです!」


偉そうに胸を張る私に、納得いかない顔をして


「輝いて見えるのは当然だよ。神として生まれた時から、真っ白で。きっと周りから光を吸収するんだ。」


首を傾げる弥勒様。


「そう言う意味じゃないです!!」


「違うの?」


「弥勒様は、恋を知らないんですか?」


「僕はいつも人間を愛おしいと思ってる。生まれたばかりの赤子も、年老いた老人も、善人も、悪人も、全ての人が愛おしい。特定の誰かにそれ以上の感情を持つことはないと思う。」


遠くを見つめながら話す弥勒様の横顔は、いつにも増して儚くて


「宵の期待に沿えなくて、ごめんね。」


肩をすくめて、申し訳なさそうに笑う


「謝らないで下さい!!」


その手を包み込むように両手でぎゅっと握った。



「嬉しいです。もしかしたら私が、弥勒様の最初の特別になれるかもしれないってことでしょ?」


「え?」


「そうなったら、幸せですっ!他に何にもいりません!」


弥勒様の目を真っ直ぐに見つめて微笑む。そんな可能性、限りなくゼロに近いと思うけど、願うだけなら自由でしょう?


弥勒様は、驚いたように何度か瞬きした後


「ははっ、そんなこと言われたのは

生まれて初めてだよ。」


身体を折るようにして豪快に笑った。いつもどこかぼんやりしていて、感情が読めない弥勒様が、余りに楽しそうに笑うから。


「もう!笑いすぎです!本気ですからね!?」


私まで、嬉しくなった。そんなことあるはずがないと笑っているのだとしても、構わない。弥勒様の笑顔が見れるならそれだけでいい。


「うん、わかってるよ。でも……。」


私の手をギュッと握り返した弥勒様は、少し悪戯な目をして


「何千、何億、全ての人に向けている僕の愛を、1人で受け止める自信がある?」


「!?」


「壊れちゃうかもね。宵。」


「あっ」


フッと口端を上げて笑った。その赤い唇が挑発的に、私の指先を軽くなぞった。触れた指先からゾクッと電流が走る。熱くて、甘い、微弱な刺激。


「あ、あの、わたしっ」


体温を持たないはずの私が、こんなにも熱く感じるのは、弥勒様といる時だけ。


「がっ、……がんばり、ますっ!!」


「ふふっ」


弥勒様の碧眼にじっと見つめられただけで、気絶しそう。真っ赤になる私を見て、子供のように笑う。


わかってるよ、誰も彼を独占出来ない。そんなことは許されない。


「弥勒様。」


「うん?」


「また、逢えますか?」


「さぁ、どうだろう。」


草原を冷たく強い風が通り抜けていく。遠くに見える亡者の列。曇天の空の下、みんな不安そうにゆっくりと審議の塔に向かっていく。


弥勒様が、その列に向かってふいに片手を翳すと


「わぁ!!」


「すごい……!!」


彼らの目の前に大きな虹が掛かった。七色の眩い輝きに、もう1人も下を向かず、嬉しそうに空を見上げている。


その様子を見て、小さく微笑む…優しいひと。

あぁ、神様。



「……好きです。弥勒様。」


「うん。」


「大好きです。」


「またね、宵。」



僕を見つけられたら、また会おう。そう言い残して。

曇天に掛かる大きな虹を縫う様に



「あ!見て!龍だ!」


「うわぁ、綺麗!!」



天に昇っていく、白龍。亡者達にこれからの希望を示すようにキラキラと鱗を輝かせながら、消えていく。


「見つけます、絶対に。」


だって、貴方ほど輝いている人はいないから。

まだ少し温もりの残る指先に、そっと口付ける。


私は今日も、神様に恋をしてる。途方もない、叶うはずのない恋。


それが、今の私の唯一の救いなんだ。




***




「それでお前は、まだ弥勒様のケツを追いかけてるわけ?」


「はい!もちろん!」


「徳を積んだ人間が神に近付くとされているけど、弥勒様は、生まれながらにして神だった。そう言う存在はこの冥界でも数える程しかいない。つまり、何が言いたいかというと。」


「私なんて、相手にされる訳がないって言いたいんですよね!わかってます!実際全く相手にされてませんし。」


「じゃあ、もう諦めて……。」


「それでもいいんです!弥勒様を思うだけで、その気持ちだけで幸せなんです。」


「やっぱり阿呆だな、お前は。」


「もう!放っておいて下さいよ!そんなことより早く事後報告書の内容を確認してください。」


「うん、私はこれで良いと思うよ。お疲れ様。」


「ありがとうございます。蓮華様。鬼羅様はいかがですか?修正する点があればすぐに……。」


「もういい、いいから早く出て行け。」


「はい、お疲れ様でした。次回の審議もよろしくお願いします。」


何となく不機嫌な鬼羅様に首を傾げながら、まぁいつものことかとお辞儀をして、審議場を後にした。



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