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咲いた花は美しかった

 更に数ヶ月が経ち、施設への送り迎えも慣れた頃、時雨の眼は回復しないまま今の生活を送っている。結局未だ何も変わらない日常。

「夕方には迎えに来るから」

「待ってるね」

 いつも通り時雨を送ると真っ直ぐ学校へと向かう。

 昼休み、いつもの様に颯と昴の三人で昼食を囲んでいる。

「時雨さんはまだ…なんですよね」

 唐突に昴が聞いて来たが俺が何も言ってこない事を察して再び箸を進める。

「そんなに気にするなって。特に異常も見られないし、失敗したとも限らない。もし見えなかったとしても命に関わる事は無いんだから」

 俺は昴を元気付けようと言っているつもりなのだが、自分にも言い聞かせているような気がしてならなかった。

「ですが椿さん。あなたはどうなのですか? これでいいんですか!? あんな事をしてまで時雨さんの事を!……すみません」

 普段大人しい昴が珍しく俺に怒と言う感情を剥き出しにした。

「どうした昴?」

 驚きを隠せない颯に気付いた昴は口を止めて謝った。俺も颯も何年ぶりか寧ろ初めて見ることだった。

「いや、いいよ。今まで一緒に居てやっと気が付いたから。寧ろ遅すぎたかもな」

「椿、それって」

 颯は俺の言いたい事が分かったようだ。

「颯の思っている通り、俺は時雨のことが好きだから、好きだから何とかしたいと思った。あの時は可哀想だとか手は無いのかとか色々と考えてたけど、今思うと俺って時雨の事好きだったからこんな事したんだって」

 俺は自分の感情を正直に白状した。それを聞いた二人は今更と呆れ返っているようにも見える。

 何? 俺の行動って何か分かりやすいのか?

「そうですか。でしたら椿さんのしたことは納得できますしとやかく言うつもりはありません。ですが気が付くのが遅すぎです」

「これで時雨ちゃんも報われるな」

 二人はお互いニヤニヤしながら俺を見ている。気持ち悪いから殴ってやりたい。

「うるさいうるさい。この話は終わりだ。時雨には絶対言うなよ、分かったな」

 俺は恥ずかしさのあまり強引に話を終わらせた。

 そして放課後、時雨を迎えに真っ直ぐ施設へと向かう道のり。

「時雨!?」

 見覚えのある顔つきに声を出していた。

 それは川を挟んでの反対の道路。慌てて橋を渡り急いで後を追うが見失った。

「時雨に見えたけど気のせいだったか? そもそも髪の色違ってたし」

 時雨の髪の色は緑色。俺が見たのは金髪だった。何で俺は時雨と思ったんだろ?。

「見失ったものはしょうがないし、考えても埒があかないな」

 俺は見なかった事にして時雨を迎えに早足で向かった。

 施設ロビーで時雨は俺の迎えを待っていた。

 時雨の手を取ると俺は昼間の事を思い出してしまいなんだか意識してしまうようになってしまった。

「椿…! 手が…手が」

「あぁあ! 悪い、大丈夫か?」

 俺は時雨の手を強く握り過ぎていたらしく独り悶えていた。

「どうしたの?」

 痛かったのか左手をブンブンと振っている。

 俺は反対の手で繋ぎなおすと、時雨が「何かあったの?」と聞いてきた。

「いや、たいした事は無い」

 俺は適当にはぐらかすと、時雨は「ふ~ん」と特に詮索はしてこなかった。


 翌日、いつもの様に時雨を送ると俺は何かに釣られるようにある場所へと歩いていた。

「何でまたここに来たんだ?」

 俺はこの辺りでも有名なあの大きな屋敷に来ている。

 自分でも何でここに来たかは分からなかった。

 ただ一つ言える事、俺は学校を堂々とサボっていると。

 門の前の呼び鈴を鳴らすとインターホンから女性の声が聞こえた。

『なにか御用かしら』

「用? 用件… 何で来たのか分からないから逆に教えてくれ」

 俺は腕を組み真面目に何用で来たのか悩んだ。

 本当にどうしてここに来たのかもどうして今呼び鈴を押したのかも答えが見つからない。

『えっと、頭でもオカシイのかしら?』

 インターホン越しに女性は心配そうにそう訊ねてくる。

「生憎正常なんですよこれでも」

 悲しいがこれでも俺の頭は正常に機能している筈だ。それでも意味の分からない行動を取るのだから回りからしてみれば異常かもな。

『まぁ、せっかくいらしたのですからお茶でもいかが?』

 そういい終えると門が自動で開いた。

 心優しい人でよかったと今本気で思った。でないと俺って今確実に不審者だしな。

 お言葉に甘えて正門のほうへと進む。すると数名のメイドが俺を出迎えてくれた。

「どうぞごゆっくり」

 丁寧な会釈をされるとそのまま応接室へと案内された。扉を開け中に入ると一人の女性がお茶の準備をしている。

「時雨…!? あれ、違う… あ! この間の!」

「入ってきていきなり大声を上げないで下さい」

 俺は一人で間違えては一人で納得し自己解決を果たした。

「いやぁすみません。どう見ても時雨と瓜二つの顔してたものですから」

 俺はパタパタと手を軽く振り簡単に謝った。

 あれ、そういえば昔ここの庭で…。

 思い出そうにもあと一歩の所で止まってしまう。

「はい。紅茶が入りましたのでどうぞ」

 あれ、この感じ…。

 何とかその一歩を踏み込み思い出したこと、

「もしかして、美鈴だよな」

「! どうしてその名前をご存知なのですか?」

 あれ、違ったのか? いま完全に思い出したはずなんだけど。

 女性は美鈴と言う名前に過剰に反応を示した。

「どうしたもこうしたも、小さいとき一回だけだけど一緒にここの庭で遊んだの思い出したんだよ。確かその時何処からの隙間からたまたま迷い込んで入ったんだよな」

 俺はあの時を懐かしみながらその時の出来事を話しをした。

「その方は私の双子の姉です。私は鈴奈と申します」

「へぇ、双子だったのか。ん? でもどうして美鈴の名前であんなに過剰な反応したんだ。別に知っててもおかしくは無いんじゃないのか?」

 俺は鈴奈に当然の質問を返した。

「姉は生まれつき病弱なもので、外の友達は一人もいませんでした。なので驚いたと言うか…。と言う事はあなたが椿様なのですね。姉さんが昔楽しそうに話してくれたのを覚えていますよ」

「え? ああぁ? うん。櫻井椿が俺の名前だ。じゃぁ今も美鈴は部屋で療養中なのか?」

 俺が美鈴の事を訊ねると返って来た返事は早かった。

「いえ、姉さんは去年に事故で亡くなられました」

「!」

 俺は返す言葉が無かった。聞かなきゃよかったと思った。

 だが鈴奈はそのまま話を続ける。

「たまにですが出歩けるようになった姉さんは盲目の子犬を拾って黙って庭で世話をしていました。私にだけは子犬の存在を教えてくれたんです」

 盲目の子犬!? どういうことだ?

「姉さんに懐いた子犬は梓昏しぐれと名付けられました。ですがせっかく懐いてくれたのに、梓昏と散歩に出かけた姉さんは不運にも交通事故に遭いそのまま帰らぬ人に」

 鈴奈は初めて会った俺に美鈴の事を全部話してくれた。たった一度遊んだだけの俺に。

 だけど整理すると何となく話が繋がった気がする。

 盲目の子犬が時雨だとすると、去年の交通事故で何が起きたか分からない梓昏は捨てられたと勘違いをして人間恐怖症になった。そして放浪中たまたま俺に拾われた。だとすると夢に出て来た少女は、俺が遊んだ時に見た美鈴。これで話は繋がる。分からないのは今まで忘れていて、どうして今になって思い出したのか。夢で言われたあの言葉。時雨を人間にした理由。たまたまの偶然なのか時雨と同じ名前の梓昏。そして時雨の容姿はなんで鈴奈とそっくりなのか。疑問はまだ沢山あった。

「あの……すみません」

 俺は自然に頭を下げて謝っていた。

「どうしたのですか急に謝るなんて。私はただ彼方に知って欲しいのでお話したのです。謝る必要はありません」

 俺は彼女の言葉を止めたかった。とても見ていられない。だって泣いているんだぞ。俺に話すために悲しみを思い出させているような気がして。

「ありがとうございます。それと俺から一つお願いしたい事があるんですが…」

 彼女にとってこれは何を意味するのか分からないが俺はある決断をした。

「いずれ、もう少し先になるのですが、会って欲しい人が居るんです」

 彼女は顎に手を当てて暫し考え結果を出した。

「分かりました。その時が来るまで御待ちます。遊びにもいらして下さいね」

 鈴奈は俺にそう微笑みかけてくれた。

 俺は時雨と鈴奈を会わせるべきと判断した。寧ろ会わせなきゃないけないような気がした。

「ええ。気が向いたら赴きますわ」

「期待しないで楽しみにしてますね」

 そんなやり取りを終えて俺はこの家を後にした。

 玄関で俺に手を振って見送ってくれている。俺も手を振り替えしては後ろ向きなので転びそうになると、鈴奈のハッとした表情が目に入った。俺は「大丈夫」と叫んで姿が見えなくなるまで見送ってくれた。


 俺が学校へ到着したのは昼前だった。

 先生には寝坊したと嘘を吐いた。先生には信頼されているのか直に信用してくれたので助かった。優等生でよかったわ。

 そして昼休みのいつもの昼食会で颯と昴に問い詰められた俺は、まだ話さないほうがいいかと思い適当にはぐらかしてはその場を乗り切った。

「まぁ追々話すよ」

 俺は帰り際に二人にそう言うと、安心したかのように微笑んでくれた。

 放課後になり、時雨を迎えに行き、晩飯を作り、二人で食って、風呂に入れば知らない内に夜も遅い時間となっている。

「なんだろうな。疲れた気がする精神的に」

「今日何かあったの?」

 俺は布団に大の字になると時雨が横に転がってきて訊ねてくる。

「いや特に何もないが…ただの気疲れだろう」

「でも疲れてるんなら早く寝ないとダメだよ」

 そんな俺に優しく言ってくれる時雨。

 そうだな、言うとおり今日はもう寝よう。

「そうするわ。お休み」

「おやすみ」

 本当に疲れていたのか今日は直に寝付くことが出来た。


 真っ暗な空間。一人どこかに立っている俺。これは夢の中の俺だ。

 すると、見慣れたシルエットが現れた。いつかの少女の姿が。

「どうして…どうして思い出してしまったのですか…」

 少女はとても悲しそうに俺に向かって小さくそう言った。

 少女のシルエットが大人の姿へと変化した。それが何を意味したのかすぐに理解出来た。

 俺は少女の正体を知っていた。と言うよりは思い出したに近かった。

「やっぱり…君だったんだ。美鈴」

 鈴奈の双子の姉の美鈴。今度はシルエットじゃなく目の前に本人が居る。鈴奈と同じ顔をした美鈴が目の前に居る。

「どうして、思い出したのですか椿様…。椿様が思い出してしっまたら、私はあなたの事が忘れられなくなってしまうではないですか…!」

 彼女は泣いていた。彼女の言い方で分かってしまった。この忘れていた原因を。

「ごめんな。俺、好きだったのかもな美鈴の事。だから時雨を好きになったのかもな」

 俺は美鈴を力一杯抱きしめた。離さなかった。

「私も、私も椿様の事が好きです。好きだったから、私の代わりに梓昏を人間にして頂いたのです」

 俺は美鈴をゆっくりと離した。すると美鈴は俺の目をジッと見つめ話を始めた。

「鈴奈から伺った通り、私は去年交通事故で死んでしまいました。盲目の時雨…いえ、あの時は梓昏と言う名前ですね。私は梓昏の散歩中の出来事で、梓昏は奇跡的にも無傷で助かったんですけど何も分からない梓昏はそのまま捨てられたと思い込み放浪してしまったのです。突然の出来事なのでそのまま人間恐怖症になったのでしょう。ですが拾ってくれたのが偶然にも椿様でよかった」

 安心ているようにも見えるがどこか後悔しているようにも見えた。

「時雨を人間にしたのも美鈴なんだな」

「はい。一年間椿様の時雨に対する行動を査定して判断が下される。それに合格して梓昏は時雨として人間の姿になる事を許された。時雨が私と同じなのは私の器を使ったからです。これは私の願いでもあったからなのです」

 これで話が繋がった。俺はそう確信を持てた。だがまだ分からない事が一つある。

「何となく理解は出来たよ。だけど分からないのは、最初に夢に出て来た時のあの言葉の意味は何なんだ?」

「あの子には幸せになる権利がある。そして彼方には、あの子を幸せにする義務がある」

 すると美鈴は悪戯に微笑み教えてくれた。

「あの子は私の分身。私が椿様を好きなように時雨も椿様を好きでいる。あの子には今後も幸せであって欲しいし、あの子を幸せにして欲しいの。それが私の願いでもあって幸せでもあるの。これは椿様だから出来る事……そろそろ時間ですね。また会いましょう」

 俺の夢はここで終わった。だがこの出来事で色々とパズルのピースが塞がった気がした。

「待て、消える前にもう一つ。俺が時雨を拾ったのは本当に偶然なのか?」

「ふふふ。どうかしらね…。じゃぁまたね椿様」

 消える最中思わせ振りな曖昧な返事で美鈴は消えてしまった。だが美鈴の表情はとても笑顔で満足そうな顔をしていた。

「ちょっと待て!」

「え! 何!?」

 目が覚めた俺は開口一番に叫び起きた。

 その叫びに時雨は勢いよく目を覚ます。

「ど、どうしたの椿?」

 何事かと俺を揺さ振る時雨はとても焦っていた。

「い、いや。すまん。盛大な寝言だ」

 俺は時雨に寝言の一言で済ませた。

「清清しい目覚めだ。朝飯でも作ってくるわ」

「絶対清清しくは無いと思う目覚めだよ今のは」

「うるさいうるさい。気分はスッキリなのだよ」

 俺は寝巻きのままキッチンへと向かい朝食の準備に取り掛かった。

「ねぇねぇ、今日は何する予定?」

 朝飯を食べながら期待に満ちた顔で訊ねてくる。

 何って、このまま学校…。

「そうか、今日は土曜日。学校休みじゃん」

 俺は両手で頭を抱え込んだ。学校に行く気満々でいつもの時間に起きていた。

「え? 学校行く積もりで早起きしたの?」

 時雨は休日の早起きにどこかに連れて行って貰えるかと思っていたようだ。

「そう落ち込むな。弁当作って温海の足湯でも連れて行ってやるから」

 俺はそのまま簡単に弁当の仕度を始めた。

「さっすが椿。分かってらっしゃる」

 時雨の気分は一気に晴れ晴れ。身支度を整えて出発となった。

 この日は二人きりのデート。昼前には温海駅に降りていた。

「もうそろそろ足湯の時期も終わるな」

 山の木々の紅葉も段々と役割りを終えるようになってきたこの時期。厚着とまではいかないが肌寒い。

「また次が楽しみになるだけだよ」

 時雨はそんなことはお構い無しに俺の腕を引っ張り先を急がせる。

「そうだな」

 俺は一言呟いた。違うことを考えていると反応も覚束無いのか呆気なく返す。

 俺は美鈴の事が好きだった。小さいときに抱いた初めての恋心なのか、俺はあの後一度もあの場所を訪れる事がなかった。それは怖かったのかもしれない。好きだと言って断られるのが。だけども一度も行かなかったのも事実。今更後悔しても遅い。なぜ好きだと言えなかった。今になってあの時に戻りたいと思う自分が居る。だけども今は、俺は時雨の事が…。

「…時雨…!」

 俺は時雨の手を強く握り呼び止める。

「イヤだったらごめんな」

「え…!?」

 時雨は振り向くと、何のことか分かっていない時雨の唇にキスをした。

「今まで言えなかったが自分で自分の事理解したよ。俺は時雨が好きだ。家族とか情とか関係なく、一人の女の子として時雨が好きだ」

 今度はハッキリ言う。後悔なんかしない。後悔しないように自分の想いを彼女に伝える。

「やっと…やっと言ってくれた…。どんだけ待ってたと思って…椿のバカ」

 時雨は嬉しさの余り泣き出した。時雨の答えは最初から決まっている。

「私だって椿の事好きなんだからね! 今まで気付かないなんて最低なんだから!!」

 時雨も今までの感情を俺にぶつけて来た。

 バシバシと拳で俺の胸を叩いていた。

「え!? それはすまないことをした。ただ、時雨の気持ちも分かったから俺は満足だ」

 そう言うと俺は時雨を力一杯抱きしめた。

「逃がさないからな」

「だったらしかっり捕まえててよ」

 時雨は泣き止んでいないのか震える声でそう答えた。

 この日俺達は正真正銘正式な恋人関係となった。

 足湯に浸かりながら正面には時雨。改めて言ったはいいが今度は時雨の顔を見れない。

 それはお互い様のようで、時雨も無言のまま下を向いてなにやら「ん~ん~」と唸っている。

 俺もそうだが時雨も何を話そうかと考えているようだ。

「改めて思ったが時雨は普通の女の子なんだな。反応が乙女だぞ」

「私を何だと思ってるのよ。一応これでも女の子やってます~」

 何となく言った言葉に時雨は頬をプクーっと膨らませ、終いには「べー」と舌を出す始末。

 なんだ。普通に話せるじゃん。何も考える必要なかった。何時ものように何も変わらずこうして会話をすればいい。同居人じゃなく、恋人に変わっただけでそれ以外は何も変わっていない俺と時雨だ。今までと同じでいいんだ。

「何時もの俺達だなこれじゃぁ」

「そうだね。何も変わらない私たち。変わる必要なんて何もないよ」

 時雨は優しく微笑んでいる。俺はその顔を見て微笑む。そっと手を伸ばして時雨の顔に触れると、くすぐったそうに顔を引っ込める。

 すると時雨は俺の手を握り締めて小さな声で呟いた。

「私は今のままでも満足だから」

 そんな小さな声が俺の中では大きく響き渡った。


 いつもと変わらない帰路。今変わったことは手の握り方くらいか。恋人特有の繋ぎ方。

「なんか変な感じ」

 時雨が笑いながら言うと、俺も「そうだな」と笑いながら返す。

 何も変わっていないようで変わっている。少しの変化が新鮮で心地の良いものに感じる気がする。好きだと言ったあの時から、俺達の中では大きな変化だった。

「ねぇ椿。もう一回キスしてくれる?」

 時雨は歩を止め、人差し指を自分の唇に当てると恥ずかしそうにそう強請った。

「承知いたしました」

 時雨の頬に優しく手を添える。

 再び伝わる時雨の感触。

 そして初めてキスをした同じ場所。もう一度互いの温もりを感じ合う。

「えへへ。ありがとう」

 子供みたいに笑う時雨は、俺にとってはまるで天使のような存在。今はそう思える。

「満足したなら歩け歩け」

 俺は時雨の手を再び握り歩き始める。

「いぢわる~」

 うるさい。こちとら恥ずかしさがマックスなんだ。

 いつも通りの帰宅。違う事といったら今日は終始胸のドキドキが治まらなかったくらい。それだけ時雨との進展が俺にとっては大きかったのだろう。

 晩飯の準備も終わり、二人で食卓を囲む何気ない光景。時雨の顔を見ると何時もより笑顔が多い気がするのは俺の気のせいではないようだ。

「今まで言えなくてごめんな」

 時雨のその笑顔を見ていると、今まで言えなかった自分が情けなく思った。

「ううん。椿の想いはちゃんと伝わったよ。だから今の私は最高に幸せ」

 もう時雨はあの時の子犬の時雨でも同居人でもない。心から大切に想う俺の恋人。

「そうか。じゃぁ改めて宜しくな時雨」

「うん。よろしくね椿」


 そしてまた何も変わらない日々が始まる。

 授業が終わった放課後、時雨を迎えに行くにはまだ時間があったので屋上のベンチにいつもの面子が揃う。

「昨日時雨に告白したぞ」

 俺は真っ先に言わなきゃいけない二人に報告を始めた。

「「ふ~ん。当然問題ないんでしょ」」

 なんだよ声を揃えてその呆気ない反応は。

「でも何だか残念です。私も椿さんの事好きでしたのに。告白もしてないのに失恋です」

「おい、初耳なんだが」

 いきなりの失恋と言う言葉に俺は耳を疑った。何処にそんな素振りが有ったよ。

「椿、俺の妹泣かしたな」

「いつもは颯に泣かされてんだよ」

 冗談を真顔で言う颯に対し、こっちも対抗して真顔で返してやった。そんな遣り取りを行いつついつも通りに会話を進める。

「でも今は良き友として接する事に決めましたからご安心を御二方」

「「切り替え早いなぁ」」

 昴の切り替えの早さに感心する俺達。そして今度は俺の告白後の話に切り替わった。

 二人に「何か変化はあったか」と聞かれるが特に何も無いと答えた。

「お二人らしいですね」

「そうかもな。椿も時雨ちゃんも何も変わらないのが一番だろうしな」

 昴も颯も何か納得と安心しているような言い方だった。

「そういうもんか?」

「そういうものじゃないですか? お二人にはお二人のまま居てもらいたいですし。無理して変わろうとする必要なんて無いですからね」

 俺の質問に昴が「当然しゃないですか」と答えてくれた。

 人は変わろうと思えば変われるもの。無理してまで変える必要は何処にもない。だけども本当にそれでいいのかと少しばかり気にしていたところだったので気分は晴れた。

「ところで時雨ちゃんは襲ったのか?」

 いきなりとんでもない事を切り出してきたな。いつかこいつは殺して埋めてやろうか。

「いや、寧ろぎゃ…ん、んんっ、何でもない」

 俺は咳払いをして寸でで言うのを止めた。

「何ですか今の!? 気になるじゃないですか!」

 昴がここぞとばかりに食いついてきてしまった。

「大丈夫だ。本当に何も無い。言おうとした事は俺の夢の話だ」

 俺は無い頭を回転させ咄嗟にそう言った。

「ホントぉですかぁ?」

 昴はズイっと顔を近づけて俺の目をじっくりと見ている。これはヤバイ。

「兄さん。椿さんは今嘘を言っています」

 この野郎。お前はいったい何者だ!?

「ほほぅ。早くホントの事を言わないと昴の拷問が始まるぞ~」

 颯はニヤニヤと顎を摩りながら俺を問い詰める。

「くっ…。何なんだお前らのコンビネーションは」

 仲が良いのか悪いのか分からないこの兄妹の息の合いようは流石だ。

 俺は観念して話したよ。赤裸々に話してやったよ。

「ほぅほぅ…。羨ましいじゃねぇかこの度スケベっ!」

 真剣に聞いていた颯が突然一発俺を殴り飛ばした。何でやねん!

「椿さんも大胆ですね。何でそれを私にも向けてくれないのでしょうか?」

「仮に俺が昴に同じような事をしたら明らかに俺は生きて帰れない」

 俺は身の危険を肌で感じ取る事に成功した。だが意外な反応が帰って来た。

「そんなことないですよ。私だってどんと来いですよ」

 昴は言いながら拳で自分の胸をポンと叩く。

 どんと来いって何だよ。俺に何を求める?

「ほら、そろそろ迎えに行ってやれ」

 颯の言葉に俺は時間を確認すると丁度いい頃合になっていた。

 皆と別れて時雨の待つ施設に向かい、そのまま帰宅した。


 そのまま何もないまま月日は流れ、早いもので俺と颯の卒業式。

 この日はたまたま時雨の病院の日でもあり、俺は時雨を送っていき学校へと向かった。

「別に何処も異常は無いのだが…やはり失敗だったのか」

 オヤッさんは悔やみながら小さく呟いた。

「そう…ですか…」

 時雨も落ち込みを隠せない。見える事に期待をしていたのも事実だったから。

「見たかったな…椿の卒業式」

 時雨は目を瞑りながらそう言うと涙を流した。それと同時に頭の中に声が響き渡った。

『貴女の片目は完治している筈ですよ。二人の医師と椿様によって』

 突然の声に時雨は戸惑ったが、ただ直にあの時聞いた声だと分かった。

『何を恐れているのですか』

「分からない…。分からないけど、見えた事によって…違うものを失うような気がして…」

『時雨、貴女は何を信じてここまで来たのですか? 何を得てここまで来れたのですか? 貴女のために必死にここまで連れて来てくれた人達が居る筈ですよ。貴女の想い人は私が見込んだ強い人。恐くなんて無い。あとは貴女自信の問題。恐怖を捨てて、闇を振り払って…。安心して、貴女の右目は…大切な人の意思そのものだから』

 声はここで終わり、時雨は勢いよく立ち上がる。

「(私右目は大切な人の意思そのもの? …まさかそれって!?)」

 時雨は何かを悟り、そして力強く願った。

 私は椿をこの目で見る! 昴や颯をこの目で見る! 皆が教えてくれたものをこの目で見る! 恐くなんてない! だって私の右目は…!!

 時雨の眼は輝きを取り戻し、ぼんやりとした視界から徐々にハッキリとした視界に変わる。

「み、見える! ようやく…! 見えた!」

 時雨はそう叫ぶと勢いよく病院を飛び出した。

「そうか。見えたか。良かったな時雨…椿。あとはお前達次第だぞ」

 オヤッさんは止める事無く笑顔で後ろ姿を見送った。

 見えない原因は時雨自信による恐怖と言う闇だった。だが、彼女の言葉が切っ掛けでその闇を時雨自身に打ち破らせたのだった。そして時雨は喜びより先に怒りが勝っていた。


 門の側に咲く一本の大きな紅桜の前で俺は颯と昴と話をしていた。

「本当は四人でこの桜を見たかったんだけどな」

 俺は桜を見上げながら時雨の事を考えていた。

「だな。この桜を俺達四人で見上げて見るのも良いモンだったろうにな」

「残念ですね」

 颯と昴も俺の横に立ち桜を見上げていた。

「椿はどこだぁぁぁあああ!!」

 突然の威勢のいい声に俺達は校門の方に目を遣ると、一人の少女が息を切らして辺りを見回しながら何かを探している。

「し、時雨!?」

 あの顔、あの声、あの容姿は見間違えるはずも無い紛れもない時雨だ。

 驚いた俺の声に気付いた時雨は、鬼のような形相でこちらに向かって走ってくる。

「椿の…バカぁぁぁぁああああ!!!」

 走ってくる勢いに身を任せ、そのまま俺にパンチを繰り出してきた。

 唖然とする颯と昴。そして後方に飛ばされた俺は全く訳が分からなかった。

「なんで? …なんで!? …こんなことしてまで…」

 鬼のような形相から一変して女の子の様に泣きじゃくった。

「そうか…見えるようになったか」

 俺は痛みを忘れて起き上がると時雨の側に歩み寄り抱きしめながら頭を撫でた。

「良かったな。この見える全てが、俺達皆が見てきた景色だ。泣かずに少しは喜んだらどうなんだ? これが時雨や俺達が望んだ結果だ」

「でも、でも! 椿の目が!」

 俺は泣きじゃくる時雨の涙を拭い取った。

「俺は後悔もしてないよ。今一番不安なのは俺達を見てガッカリしてないかという事かな?」

 すると時雨は俺達を再度確認するかのように見渡し、

「全然! イメージ通り!」

 首を横に振り満面の笑みで答えてくれた。俺もその笑顔に「そうか」と優しく微笑んだ。

「颯、昴」

 俺は二人に呼び掛け、一本の木に顔を向けた。。

「ああぁ」

「ですね」

 俺の言いたい事が伝わったかのように返事をする。

「見上げる事、出来ましたね」

「そうだな。時雨ちゃんも来たし」

「四人揃って初めて見上げたもの」

「すごい綺麗」

 卒業生を見送る一本の大きな紅桜。凛として咲き、旅立つ者を送り出してくれる紅く染まった花びらは、美しくも誇らしく花を咲かせている。これが初めて四人で見上げた大切な思い出。そして、時雨には大きな一歩を、俺達には新たな未来を与えてくれる。


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