決断と想い
翌朝俺達四人はメモに書いてある住所の病院へと向かった。
「多分この辺の筈なんだが…ん? んん?!」
「どうしたの椿?」
時雨は俺の疑問を抱いている声に問い掛ける。
俺は今見覚えのある病院を見ている。たしかこの間一番最初に行ったとこだよなここって。
「い、いや、何でもない。とりあえず入ろう」
ここってそんな住所だったのか。いつもと違う道のりで来たから分からなかった。まさかここが愁爺の言ってた病院だったなんて。
俺は受付に紹介状を出すと、別の部屋へと案内された。
「ん? あれ?」
院長らしき人物が目の前に居るのだが、これも何やら見覚えのある人物だった。
「さーて、俺は誰でしょう」
悩んでいる俺に陽気に問い掛ける一人のオヤジ。おやじ?
「あ! ああぁ! オヤッさん!」
俺はあまりの驚きに大声を出しながら指を指した。
「よう椿! 久しぶりだな。随分とでかくなったものだな。成長期か?」
両手を広げてハグをしてくる。
「まぁ高校生なんで成長真っ盛りですね」
この人も父さんの飲み仲間。見た目が板前のオヤッさんに見える事から父さんも愁爺もそう呼んでいた。だから幼い俺もオヤッさんと呼ぶ様になった。
「何だ椿、この人も知り合いだったのか」
「あ、ああ。父さんと愁爺とオヤッさんの三人でいつも家でな」
思い返せばいつもこの三人だったな。
「話は愁の奴から聞いている。時雨と言うのはこの子か」
オヤッさんは俺と手を繋いでいる女の子に目をやった。
「確かに瞳孔、視点、光に反応無し。何にも見えていないな」
時雨の目線に合わせて、軽い診察をその場で行った。
「まぁとりあえず座ってゆっくりしていけ」
そう言うとオヤッさんは冷たい麦茶を出してくれた。
「早速本題に入るが、今俺が見た限りでは出来なくはない手術だと思う。当日は愁が手伝うって事になってるから手術自体は大丈夫だ。問題は医療器具だな。結構特殊な物使うから費用は嵩んでしまうぞ。裏手術だ勿論保険なんてものは利かない。まぁ費用の事なら愁の紹介状に書いてあったからそれで問題なしだ」
オヤッさんは可能と言った。俺はこの言葉だけで十分だった。
「それじゃぁ手術が可能ならお願いします」
俺は頭を下さげた。それにつられて皆も頭を下げる。
「まぁ問題が無いのならこのまま話を進めて準備するわ。ただ失敗しても責任は負えんから覚悟だけはしておけよ」
俺と時雨は大きく返事で返した。
念の為そのまま時雨の精密検査も行い、特に異常は無いという結果。
「準備が整い次第連絡するからそれまでは自由にしていてくれ」
後のことはオヤッさんに任せて俺達は再び家に帰る事になった。
「後は待つのみですね」
昴は何か言いたそうにポツリと呟いた。
「絶対見える様にして、俺達の事を見てもらう。時雨にはこれから楽しい事が沢山待ってるから俺達で盛り上げるんだ」
俺は昴の頭を撫でながら言い聞かせた。昴が何を言いたいのか分かったからだ。
「だから、そんな顔はやめろ。失敗なんてしない。信じんるんだ」
「そうだよそうだよ。せっかく掴んだチャンスなんだから、私は信じる。椿が信用するあの二人を」
「昴、二人の言う通りだぞ。俺達が信じなきゃどうする。俺達じゃ何も出来ないんだ。時雨ちゃんの視力回復を信じる事しか。そうだろ?」
時雨も颯も昴に熱心に言い聞かす。すると次第に昴にも笑顔が戻った。
「皆さんすみません。私も確り信じる事にします。失敗なんてありえません」
昴は前を向きそう言い放った。それは何も迷っていない表情をしていた。
しばらく歩くと家の近くのバス停に到着した。
「また遊びに来いよ」
「昴また一緒にお風呂ね」
颯と昴が帰宅するとの事なのでバス停まで見送っている最中。
「日程決まったら連絡くれな」
「時雨さんのお肌を触り放題と言う条件で」
昴の不敵な笑いは時雨の警戒心を一気に高めた。
「昴は揉み魔だったよ」
身体が危険を察知し本能で俺の後ろに隠れた時雨は小さく呟いた。
「冗談ですよ。時雨さん楽しみにしてますね」
全く持って冗談じゃ無いなあれは。
俺達は二人を見送ると家に帰る事となった。
その日の夜、一本の電話が鳴った。
『もしもし椿か?』
「その声はオヤッさんですか? どうしたんですかこんなに遅くに」
声の主はオヤッさん。随分と遅い時間に掛けて来たものだ。
『いや、大した事では無いんだが、明後日までには準備が整いそうだからその連絡だ』
全然大した話でも無いぞそれは。仕事速過ぎだろ。
「随分と早いですね」
『そりゃぁ椿の為だ。どうにかこうにか直に出来る様に整えるさ。と言う事だからそっちも準備出来たらいつでも来いな。待ってるで』
オヤッさんは用件だけ言うと電話を切った。何とも俺の周りは自由な人達ばかりだ。
俺はそのまま颯に電話を掛けて今の事を伝えた。
颯は嬉しそうに「だったら時雨ちゃんの為に直にでも行くべきだろ」と後を押してくれる。そんな事は分かってた。ただ俺が怖いだけだった。時雨の眼が見える様になるのかが。一番信じてあげないといけない俺が土壇場になってそういう不安が襲い掛かって来た。だけどこれだけは言える事。一番不安なのは時雨本人。時雨の為にも俺がこんな事ではいけない。だったら俺は神頼みだろうがお百度参りだろうが何でもする覚悟で挑んでやる。
手術当日。俺は時雨を連れて再びオヤッさんの病院を訪ねていた。颯と昴は遅れて来ると連絡があったので多分手術真っ最中に来るだろうな。
「覚悟は決まった様だな」
愁爺は真面目な表情で時雨にそう言った。
「はい。いつでもお願いします」
時雨は自分に言われている事が分かったのか気合十分で答えた。
「じゃぁ椿は別室で待機しててくれ」
オヤッさんは俺を違う部屋へと案内した。
「オヤッさんと愁爺が手術してくれるなら安心です。俺も覚悟は出来てますのでお願いします」
麻酔を掛けられ手術が始まった。何時間が経つのだろう、案の定手術真っ最中に颯と昴が様子を見に到着した。
闇手術なので何も起きない様見張れる様にガラス越しで中の様子が観察出来る仕組みになっている。二人はそこで心配そうに見守っていた。
「時雨ちゃん後悔しないといいんだけどな」
「そうですね。確率の問題なら椿さんの判断は間違っては無いのですけど、時雨さんは納得してくれないでしょうね」
二人が何を言いたいかは俺と愁爺とオヤッさんしか分からない。時雨には言わなかった。
「だけど大丈夫だろ」
「そうかもしれませんね。最初だけですよきっと」
俺達の性格を把握しているこの二人には特に心配する必要は無いと判断を下した。
更に数時間が経ち、漸く手術が終わったのかガラス越しに見えた二人の医師は手袋を外していた。
「とりあえずは何事も無く終わった。成功と言えば成功か」
オヤッさんは見ていた颯と昴を安心させる為に先に教えた。
「後は定期的に経過を見るしかないな」
愁爺は何やらオヤッさんと相談していた。多分入院先の事だろう。最初は何日か入院して、具合を見てからの退院な筈だ。
「何の相談だ?」
「よう椿。元気そうだな」
「時雨さんの入院先のご相談かと」
別室から出て来た俺は眼帯を当てられていた。
言っている間に話が付いたらしい。
「とりあえず一週間俺の所で入院させるそ」
愁爺が俺に向かって話の結果を教えてくれた。
「私、一週間入院?」
目を覚ました時雨は入院と言う部分だけ聞き取れていた。
「ああぁ。様子見って事で一旦入院だ。その後はオヤッさんのとこで通院だな」
俺は時雨にそう説明すると納得した様で何も言ってこなかった。
「椿も何回か来いよ。物貰いなんだからな」
俺は軽い物貰いで右目に眼帯を付けたいた。専門医の言う事だ、素直に聞いてやろう。まぁそれは時雨に悟られない為の嘘と言う事なんだけどな。
「さて、じゃぁ俺は時雨ちゃんを連れて入院の手続きでも始めるわ。椿達も一緒に付き添ってやれ」
オヤッさんに挨拶をして俺達は愁爺に連れられ酒田の病院へと向かう。
「まぁ俺からの計らいで個室部屋にしておいた」
褒め讃えろと言わんばかりにアピールする愁爺に「流石お偉いさん」と拍手で流す。
周りを気にせず過ごせる良い環境。一週間だが夏休み最後の週だ。毎日行ってやろう。
そう考えていた俺は、独りの時の時雨を思い出した。
「愁爺、俺もここに泊まりたいんだけどダメか?」
俺は愁爺にそう口走っていた。
「ん? あ、ああぁ別にそれは構わんが、どうした?」
愁爺は俺が急にここに泊まると言い出した事がよく分からなかった。
「別に深い意味は無いんだけど、時雨が心配だから」
「看護師も居るからそんな心配は要らないと思うが、騒がなければ好きにしていいぞ」
愁爺のお許しを得た俺は時雨の方を見てみる。
「椿、ありがとう」
俺に聞こえる様に小さい声で感謝の言葉が聞こえた。あの事はみんなの前では言い辛いだろう。俺が今こうして思い出さなかったらどうなっていた事か。
俺達は時雨を置いて一旦帰宅する事となった。いつもの様にバス停で二人と別れ、時雨と俺の着替えを持って夜には再び病院へ戻った。
病院の一つの個室。俺と時雨は二人っきりでここに居る。
「あのまま椿が気付かないで帰ったらどうしようかと思ったよ」
「俺も手術が無事に終わった事で頭が一杯でもう少しで忘れるとこだったけどな」
「そんな事したら一生怨んでやるからね」
「はいはい」
結果として思い出したから俺はこうして時雨の側で一緒に会話を楽しんでいる。何を言われ様が受け流す事が出来るのだよ。
「ほら、今日は手術で体も疲れてるんだから寝ろ寝ろ」
「う~」
変な奇声を上げながら無理矢理俺に寝かされる時雨は不満たっぷり。
「寝付くまで手でも握ってやるから」
たちまち時雨の顔は笑顔を取り戻し俺の手を握ってくる。
暫くすると小さい寝息が静かな個室を柔らかく包む。時雨が気持ち良さそうに眠りだしていた。
「いつ見ても幸せそうな顔だな。いつでもその笑顔は忘れないようにな」
俺はそんな時雨の頬を突いている。
「あむ…」
「っ!!」
痛って、噛み付かれた。
ボーっとしながらだったので不覚を取ってしまった。
声を出すと時雨が起きてしまうので俺は一人無言で悶える。
「なんこつ…おいしい」
軟骨? そうか俺の指は軟骨か。いったい何の夢を見てるんだ?
「まぁいい。俺も寝るか」
俺は指をブンブンと払いながら寝床を探す。
長椅子に横になると直に眠りに付く事が出来た。
翌朝。なんて事の無い普通の目覚め。よくよく考えると時雨と隣り合わせで寝ている上に抱き付いて来るので久々に感じる。
「朝飯の準備…しなくて良いんだな」
ここは病院。時雨の朝飯は自然と出てくるから準備の必要は無い。ただ俺の朝飯は売店で買う必要がある。
取り敢えず朝なので時雨を起こすか。
「朝ごはんまだ?」
寝返りをうちながら朝飯の事を聞いてきた。寝言か起きたのかはっきりとして欲しいものだな。だが耳を澄ますと微かに寝息が聞こえて来たから寝言確定。
「おはようございます」
ノックと共に扉が開けられると昴が入って来た。
「おう、おはよう昴。こんな時間から来たのか」
俺も昴に挨拶を返す。特に来る様な事は聞いていなかったから、来るなら家から何か持って来て貰えばよかったな。
「すばる!? なんだ気のせいか」
ガバッっと勢いよく起きた時雨は周りを確認しないまま再び布団へと倒れこむ。
「いや、ちゃんとここに居るぞ」
俺は時雨に昴の存在を教えた。
「おはよう昴」
「朝から元気ですね時雨さん」
昴はニコッと笑顔で時雨に返した。
「そういやぁ颯はどうした」
昴が来るなら颯もいるはずなんだが居る気配がしない。
「兄さんは今父の薬を受け取りに違う階に居るので放って置いてもその内来ますよ」
「そうか。別に居ても居なくてもいいんだがな」
颯は居ても騒がしいだけだ。
「ええぇまぁそうですね」
昴も特に颯はいらない様だ。うんうんと頷いている。
「二人にとって颯って…」
「「公然わいせつ」」
「・・・」
意見が合う俺と昴に何も言い返せない時雨。
「多分そろそろ朝飯来るだろうから、俺も何か買ってくる。二人とも何か要るか?」
俺は自分の朝飯を買いに行くついでに欲しいものを聞いておく。
「私は食べてきたので何か飲み物でも有れば」
「私は―」
「お菓子とジュースな」
時雨の欲しい物は大体見当が付く。言われる前に言ってみたんだが、
「うん。お願い」
マジでお菓子とジュースで良かったようだ。さてと行って来ますか。
俺は一階にあるコンビニに足を運んだ。
「よう颯。用事は済んだのか?」
色々と物色していた颯を見つけて嫌々だが声を掛けてみる。まぁ二割冗談だがな。
「おう椿。ああぁ、用は済んだからこれから病室行こうと思ってたところだ」
颯のカゴを覗いて見るとお菓子と飲み物を入れているところだった。
「何で追加する?」
俺は便乗して自分の食い物も颯のカゴに入れた。
「ついでだ。一緒に買ってくれ」
どうせ会計するんだ。一緒だと速く終わるだろ。
颯はそのまま会計を済ますと俺と一緒に病室へ進む。
扉を開けると時雨は朝飯を食べていた。と言うよりは昴に食べさせて貰っていた。
「悪いな昴。代わるか?」
「嫌です。結構楽しいのでこのまま続行の方向で」
昴は餌付け…もとい時雨の朝食の手助けを楽しんでいるようだ。
「ほら時雨ちゃん、差し入れのプリン買ってきたから」
颯は袋からプリンを取り出してトレイに置いてくれた。
「ありがとう颯」
時雨は昴にプリンをねだっていたが、「ダメですよちゃんと食べ終わってからでないと」と言い聞かせていた。まるで母と子だな。
朝食を食べ終えてから数時間位は話していただろうか、颯が時計を見ると椅子から立ち上がった。
「お前等もう帰るのか?」
「あぁ、そろそろ帰るよ。親父の薬を取りに来たついでに寄ってみただけだからな。退院したらお前ん家に遊び行くわ。流石にここまで来るのは交通便がな」
学生の俺達がここまで来るのは電車やバスを使わないといけないからな不便なんだよな。
「いろいろ助かったよ。ありがとな」
「どうってことねぇよ」
持つべきものはいい友だ。何を言い合ってもこんな仲を保つ事が出来るんだからな。
「それでは時雨さん。今度は元気な姿でお会いしましょうね」
「これでも元気なんだけどね」
颯と昴は俺達に手を振り病室を出て行った。
今度は時雨が俺達と一緒に同じものを見れるという喜びもあるが、回復しないと言う不安もまだ少なからず残っている。だからといってもし見えなかったとしても今まで通りになるという事も分かっている事。何も変わらないんだ。それが俺の唯一安心できる言い訳。
この手術が失敗していたとしても誰も責めないことも分かっている。時雨は本当に手術をして良かったと思っているのだろうか。俺以上に不安を持っているのは時雨本人。見える喜びと見えない孤独。今の時雨はこの境に居るのだと思う。俺は時雨の側に居る事で見えない孤独を和らいでいるだけなのかもしれない。…俺は正しかったのか…?。
一週間が過ぎた退院の日。最後の診察にて特に何処も異常は見られないとの事。
「後の経過はあいつに診て貰ってくれ」
愁爺に見送られ俺達は病院を後にした。
オヤッさんが施設を用意しておいてくれていたらしく、学校が始まったら時雨をそこに連れて行けとの事。この施設はオヤッさんと愁爺が共同して建てたらしく、まぁ何もなくすんなりと入れるって事だ。只者じゃないなあの二人。いたせりつくせりで感謝感謝。
これといったハプニングも起こらず無事に鶴岡の自宅に帰り着く事が出来たのだが、時雨の元気がどことなく無いような気がした。
「どうした時雨、腹でも減ったか?」
「ううん。たいした事じゃないから大丈夫だよ」
見かねた俺は時雨に声を掛けるもニコッと「平気だよ」と返された。
だけど俺は分かっていた。分かっていたから壁伝いに歩く時雨を後ろから抱きしめたのかもしれない。
「時雨、大丈夫だからな」
「…うん」
時雨は俺の手を強く握り返して僅かに聞こえるかの声で小さく返した。




