4-1 女性部隊「紅兵団」の創設
1933年から私的な頭脳集団である飛鳥軍事研究所で検討させていた特殊部隊の創設問題が1936年に一応完結し、更に一年がかりの貴族院でのロビーイングが実を結び、1937年秋に内閣を通じてお上に奏上していた『特殊部隊の創設に関わる建議書』が翌年(1938年)の早春に裁可されました。
その奏上案はおおよそ次のようなモノです。
①特殊部隊は、女性だけの部隊であり、徴兵制ではなく数えで15歳以上26歳未満の者の志願制とすること。
②本人の志願の意向があれば、例え親兄弟、雇い主であってもその志願を妨げる行為は罰せられること。
③部隊への入隊に際しては健康診断を行い、診断に合格した者が隊員となり、3年間の兵役義務を負うこと。
④入隊時において借財等がある場合は、当該借財は部隊が支払うこと。
⑤3年間の兵役の後は、本人の意向により2年ごとの任期で再採用されること。
⑥任期中に婚姻せし者は兵役を免除すること。
⑦全ての予算は飛鳥総業が賄い、国家からの予算は不要であること
⑧北海道雄冬岬周辺の土地凡そ200平方キロを金一千万円で飛鳥総業に下げ渡すこと
⑨同地に飛鳥総業は訓練所及び基地を設け、部隊創設に励むこと。
⑩なお、訓練に際して退役した数えで55歳以上の軍人を雇用することを認めること及び同雇用を持って予備役から除外すること、軍人恩給は雇用期間中一時停止すること
⑪陸軍及び海軍は、同部隊を予備部隊としてその軍事活動を承認すること
⑫部隊の指揮は飛鳥総業の会頭である宏禎王が取ること
⑬このために特に宏禎王は大将相当職と見做すこと
⑭この勅令の①~⑥及び⑫以外の内容は機密となすこと
⑬について、草案では大佐若しくは少将職相当としていたのですが、お上御手ずから修正され、大将職相当とされてしまいました。
私も数えで40歳になりますから佐官でも十分に問題はないのですが、将官と言うのはちょっと行き過ぎかなとは思うのですよ。
だって、実質的な能力は別として、軍人としての経歴は皆無なわけですからね。
父宏恭王も実は大将格ですから、その息子が同じ階級と言うのは通常はあり得ないわけです。
一般の職業軍人から見れば、当然に『何だアイツは』となるわけですよ。
まぁ、皇族の特権の一つとしてお目こぼししてもらいましょう。
少なくとも陸海軍の正面装備の充実に関しては、これまでに絶大な貢献をしていますからね。
部隊名は、草案どおりに『紅兵団』と名付けられました。
主力が女性の部隊ですから「紅」が適しているだろうと思ったのです。
実のところ北海道と東北で行っている農場設立と相まって、優秀な女性だけを集めた秘密組織である女子挺身隊が既にあります。
これは1914年に建設を開始した農場建設に合わせて計画が進められ、4年後の1918年4月からは、少人数で発足させて農場内の大深度地下施設で教育と訓練を繰り返していたのです。
女子挺身隊の隊員に教えるのはゴーレムが主体でした。
この時代、軍人は勿論の事、教員を含めて男女平等の思想で物事を教えられる人物が極めて少なかったのです。
紅兵団の発足に当たり、既に秘密組織として出来上がっている「女子挺身隊」を呼称としてはどうかなんて言う案もあったのですが、正直なところ公の呼称とするには(私にとって)余り良い印象がない言葉なので辞めました。
女子挺身隊はいったん解消し、その一部は紅兵団の先任将校又は教官として残すことにしました。
訓練所は雄冬岬近傍に地下基地を秘密裏に建設しました。
建設要員は例によってゴーレムを使いました。
この地下基地の完工を持って1937年(昭和12年)6月から4隻の客船を利用して全国の港で採用のための試験を行いました。
試験と言ってもペーパー試験は一切ありません。
名前と本籍と現住所を確認し、その上で船に搭載されているポッドに入って適性検査を受けてもらい、合格者をそのまま船に収容する方式です。
このために一度に二千人余りが収容できる特殊な客船を用意しました。
全国各地の港での受験者から合格者を選び、それを洋上で潜水輸送艦に乗り換えさせて雄冬の秘密基地に輸送すると言う方式です。
このために極端な受験者の事例では、遊郭に居た女郎が足抜けして交番に飛び込み、受験したという事例や、家出してきた良家の子女というのもありました。
遊郭で働く女郎でも受験資格はありますし、例え家長の親でも娘の受験を妨げてはならないと言う明文があるので、遊郭も親兄弟も受験を希望する者を止められないのです。
万が一、後で違反が露見すると厳罰に処せられることになっています。
因みに違反に対する罰則は、懲役10年未満若しくは1万円以下の罰金です。
現実に青森の遊郭で女郎を受験させないために部屋に閉じ込めた容疑で、遊郭の経営者が逮捕され、その三日後遊郭そのものが廃業させられました。
勅令に反する罪は非常に重いのです。
面倒な司法手続きを経ることなく即決の裁判で家財没収が決まったのです。
その結果を受けて、その後は親の干渉も雇用主の干渉もほとんど無くなりました。
報道が一生懸命に広報してくれましたからね。
特に処罰が迅速で重いとなれば誰でも躊躇します。
余程の覚悟がないと違反はできません。
検査に使用するポッドは身体検査を行うスキャナーでもありますが、同時に教育機械でもあります。
身体検査と適性検査で合格すれば、そのままポッド内で催眠教育を受けるシステムになっているのです。
客船の船員と支援者は全てゴーレムで固めました。
こうして全国から集った志願者は総勢で十三万を超え、合格者は二万を超える人数になりました。
数えで15歳は、満年齢では14歳未満もありますから、21世紀では中学1年生か二年生ですね。
年齢の上限は一応数えで25歳ですが、独身であれば寡婦でも構わないとしています。
流石に25歳での応募はありませんでしたが最長老は23歳の寡婦、次いで22歳の現役女子大生でした。
紅兵団に関する勅命が出されてから数日後には、既に準備されていた紅兵団創設の勅令(公開部分)が公布されました。
昭和13年2月25日のことです。
新聞各紙がこの異例の内容を掲載し、同時に私の下へ取材が殺到しました。
まぁ、皇族ですから、簡単には近づけないのですが、報道各社が寄り合い、お伺いと言う形で私の記者会見を求めて来たのです。
広報してもらうには報道機関への説明が一番ですから当然に許可を与えました。
精一杯、紅兵団に入隊すればどのような特典があるかを吹聴しました。
また、飛鳥総業からかなりの額の広告経費を出したので、3月に入って、新聞各紙に大きな折り込みの広告が定期的に入るようになりました。
「紅兵団徴募のお知らせ」によると、昭和13年6月3日を初日として、北は、北海道の釧路港と網走港で、南は博多港と門司港を皮切りに四隻の徴募船が全国各地の港を順次回る事になっています。
なお、紅兵団の主な任務は、公称では主要任務が陸海軍の後方支援とされ、表向き最前線で戦う事は考えにくいのですが、必要な場合は戦闘にも従事し、そのための軍事教練も行うということにしています。
しかしながら、これは陸海軍の反発を避けるための建前にしかすぎません。
私の考えでは、場合により、陸海軍に先んじて敵地を攻撃し、場合によっては陸軍及び海軍の行き過ぎを止める役割さえ持たせるつもりなのです。
四隻の徴募船は、沼津の造船所で建造された新造客船「ひまわり」、「あじさい」、「すいせん」及び「しらゆり」です。
その予定経路は、「ひまわり」が釧路から太平洋周りで東北、関東、東海、大阪湾、瀬戸内を経て、九州西岸まで行き、四国を廻るルートで、「あじさい」が網走を出港し、オホーツク海沿岸と樺太寄港の後、日本海側の主要港を廻って、山口県の萩港からは朝鮮半島の東側を廻るルートです。
一方、「すいせん」が門司港を皮切りに、東回りで大分、宮崎、鹿児島を経て、南西諸島と沖縄、石垣島、台湾を廻ることになっていますし、「しらゆり」が博多から出港し、対馬、朝鮮南部および朝鮮西部を経て、壱岐、および九州西岸を廻る予定になっています。
因みに早く徴募を終えた船から南洋諸島の徴募にも一応向かうことになっています。
予定では9月末までに四隻の船が内地及び外地の主要港を訪れて徴募を完了する事になります。
一方、志願者は各市町村に申し出れば、受検地までの交通について種々の便宜を図ってもらえる事になっています。
徴募船船内では簡単な試験があり、応募者全員が採用されるわけではないのですが、採用されると月額50円の給金がもらえる事になっています。
紅兵団採用者の任期は三年で、希望者はさらに二年毎の再任用が可能です。
赤紙で召集された兵隊にも手当てが支給されますが極めて微々たるもの(陸軍二等兵で月額6円から9円程度)ですし、任官された少尉の給与が月額70円、小学校の初任教員の給与が精々50円、校長でも100円を超えないご時勢ですから、めったに就職口などない婦女子にとっては破格の就職口でもあったのです。
もう一つ婦女子にとって大きな利点がありました。
借財を抱えている者には、紅兵団が肩代わりをして借金を返済してくれる制度があることです。
応募資格には花街などの芸娘、娼妓などであっても構わず、一切の職業、身分、学歴を問わないこと、さらには、応募自体には親権者の同意が必要なく、逆に自由な応募を妨げる行為をしたものは何人であっても処罰される事になっていました。
徴募対象者は数えで15歳から25歳(満年齢で言うと概ね14歳から24歳)までの健康な婦女子であり、子供のない「寡婦や離婚者」も応募可能でした。
応募期日が近づくと徴募対象地域の至る所に立て看板が目立つようになり、婦女子の注意をひきつけることになりました。
天皇陛下自らが特に創設を下命したという経緯もあって、年末には字の読めない婦女子であっても、噂を聞き及んでいて殆どの情報は伝わっていたのです。
この紅兵団の創設に当たっては、本当に必要なのかどうかを随分と悩みました。
現状の陸海軍に与えている新兵器は既に30年分の未来を顕現していますからね。
必要数こそ抑えていますが、艦船、戦闘車輌、航空機のいずれをとっても欧米列強とはかなりの差が付いています。
従って、局地戦に限って言えば余程のミスをしない限りは負けることは無いはずです。
まぁ、そうは言っても不安はあります。
帝国の技術力や躍進に驚いたのか発奮したのかわかりませんが、欧米列強の総合的な科学力の進展度が増したようなのです。
明らかに昭和20年代に入らないと出てこないような技術が既に生まれているのです。
レーダーやソナーの開発は昭和10年代半ばにはありましたけれど、より性能がアップしたものが出現していますし、何よりも驚いたのは米国のマンハッタン計画が前倒しになって動き出したことです。
前世の史実ではマンハッタン計画は戦前の1939年に開始されたはずですが、現世では1935年に計画が立てられ、1937年から動き始めたのです。
大統領は前世の通り、フランクリン・ルーズベルトが1933年から務めています。
前世の史実ではマンハッタン計画は戦前の1939年に開始されたはずですが、現世では1935年に計画が立てられ、1937年から動き始めたのです。
大統領は前世の通り、フランクリン・ルーズベルトが1933年から就任しています。
マンハッタン計画は1945年に完成を見ましたので、計画発動から5年乃至6年で原爆を産み出してしまいます。
尤も立ち上がりが2年も早過ぎるので、あるいは失敗する可能性も無きにしも非ずですが・・・・。
いずれにせよ、私が最終的に紅兵団創設を決めたのは米国がマンハッタン計画に手を付けたからに他なりません。
原爆製造と原爆投下は是非とも防がねばならない私の義務なのです。
現状の陸海軍戦力を大幅に高めることはできますが、そのことは前世の様に軍部の増長と台頭を許しかねません。
私の直接的な支配下にない軍部に世界制覇も可能となるような強大な武力を与えるわけには行かないのです。
従って、欧米諸国の横暴や核兵器の使用を阻止するため、また帝国の陸海軍の支援並びにその暴発防止のために私は紅兵団を創設することにしたのです。
いくつかの年数にミスがありましたので訂正しました。
2020年11月10日
By サクラ近衛将監




