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3-5 ハーバード大学の試験 その一

 1914年9月7日午前9時から、物理学部棟の一室で、宏禎王の試験が始まりました。

 今日ばかりはいつも付き従う侍従などの付き添いは居ません。


 宏禎王が不要と判断し、家での見送りだけをしてもらったのです。

 筆記試験の制限時間は正午までで、その前に回答を書き終えたなら、退室しても構わないという条件が事前に宏禎王に伝えられています。


 試験の行われる部屋には監視員が二名配置されました。

 宏禎王は、問題が記載してある用紙だけでも20枚ほどの量であるにもかかわらず、監視員が驚くほどの速度で処理しています。


 所謂選択式も三分の一ほどもあるのですが、問題の大半は記述式であり、しかもすべて専門用語の英語で記載されており、当然のことながら解答は全てを自分で記述して行かねばならないのです。

 答案用紙は一応必要と判断される程度のスペースを確保できる枚数が用意されているのですが、仮に不足すれば申し出て追加の用紙を使っても良いとされています。


 そうして、試験が始まって20分ほどもすると、宏禎王は選択式問題の解答を終え、続いて記述式問題を読み解いて、驚くほどのスピードで回答を書き綴り、既定の解答用紙以外に10枚ほどの追加用紙を要求してその全てに記述を埋め尽くして解答を作り終えたのです。

 時間は試験の開始から二時間近く経過していたものの、十分に余裕がありました。


 そうして監視員に解答をし終えたので退室する旨を告げて、その部屋を出て行きました。

 監視員の一人は、直ちに隣室で待機している教授に午前の試験が終了した旨を告げたのです。


 電磁気学部門のローランド・クレストン主任教授はその報告を聞いて小さな声で呟きました。


「早すぎるな。

 問題が難しすぎたかな?」


 その上で彼は、監視員に尋ねた。


「彼の解答していない問題は何かね?」


 問われた監視員である大学院生のトム・エンデルトンは戸惑いながら答えた。


「僕が見ている限り、彼は全問に回答をしていたと思います。

 それが妥当な解答かどうかは採点してみないとわかりませんが・・・。

 選択式問題はともかく、記述式の解答は用意された解答用紙以外に10枚の追加用紙を使って書かれています。

 正直なところ、僕でもあれだけの量をこの短い時間に書き切れるかどうかについては自信がありません。」


 教授は改めて監視員の顔を見て言った。


「この時間で全問を・・・?

 それに10枚の追加用紙だと?」


 それからしばし考えこんでからトムに言った。


「最後の問題の解答を見せてくれないか?」


 トムはもう一人の大学院生である監視員が手に持った解答用紙から最後の問題の解答用紙を引き抜いて教授に手渡した。

 それをしばし読んでいた教授がまたまた呟くように言った。


「うーん、これはかなり上方修正をしなければならんな。

 少なくとも、この回答は博士課程レベル以上の者でなければ書けない筈だ。」


 彼は、それからその場でメモを数枚書いて大学院生のトムに頼んだ。


「このメモを記載した名宛の各教授に正午までに渡してほしい、

 最後のブレンドリー教授以外、彼らはそれぞれの研究室にいるはずだが、昼になると外出するかもしれない。

 だからできるだけ急いで行ってくれ。

 ブレンドリー教授は、三階の第二実験室で三回生の授業に立ち会っている筈だが、授業の途中でも構わないので必ず渡すように。」


 トムは頷いて、解答用紙を同僚のケントに預けると駆け足でその場を離れた。


 その頃、宏禎王はハーバードのキャンパスを散歩しながら周囲を見物中でした。

 昼近くになって、周辺を魔法で探ると日本で見かける屋台のような移動式キッチンでファーストフードを販売しているような店を見つけた。


 近づいてみるとトルティーヤを販売している様だった。

 本来はメキシコや米国南部で食べられる筈のモノが、どうしてマサチューセッツのような北部で売られているのか少々気になった。


 売っているのはメキシコ系のおばさんである。

 宏禎王はおばさんに尋ねた。


「お姉さん、そのトルティーヤ、一ついくらなの?」


「ん?

 一個、15セントだよ。

 どこから来たのか知らないけど、初めて見る顔だね。

 中国人かい?」


「いや、中国の近くに日本と言う国があるのだけれど、僕はそこから来たよ。」


「あぁ、日本か。

 そういえば、何日か前の新聞に日本のRoyal Familyがボストンに来たってあったね。

 7日に試験って・・・・。

 あれ、もしかして、お前さんPrince Hiroyoshi?」


「はい、英語ではどうもそう呼ばれていますね。」


 それを聞いておばさんは急に慌てだしました。


「あらぁ、そんなこと知らずに失礼な言い方しちゃったかなぁ?

 お願いだから許してね。

 あたしゃあ、何の悪気もなかったんだからさぁ。」


「許すも何も、お姉さんは何も悪くありませんよ。

 謝る必要もありません。

 で、折角ですから美味しそうなトルティーヤを二つくださいな。

 30セントでいいのかな?」


「はい、そうです。

 二つだけでいいですか?

 何ならサービスでもう一つおまけしちゃいますけど・・・。」


「いや、二つでいいです。

 三つとなると少し多すぎますから。」


 気のいいおばさんは30セントと交換で、二つのトルティーヤを薄皮で丁寧に包み、渡してくれた。

 因みにドル・円レートは2.5円/$程度なので、日本円にするトルティーヤ二つで75銭ほどなのですが、米一升が13銭から15銭ほどのご時世なので、随分と高いことになりますけれど、ドル高円安なのだからやむを得ないのでしょうね。


 宏禎王は、最寄りの芝生に座り込んでトルティーヤを食べ始めたが、そう言えば何故にトルティーヤがこの北部で売られているのかを聞けずじまいだった。

 それから10分もしないうちにあちらこちらの棟から学生が溢れ出し、中にはトルティーヤを注文する人も出てきたので、おばさんは急に忙しくなったようだ。

 屋台の前には直ぐに行列ができていた。


 宏禎王が座っているあたりは公園のようになっており、同様に芝生の上に寝転ぶ者も出てきたので、宏禎王は邪魔にならないようその場を離れることにした。

 こういったキャンパスでは、意外に自分の居場所を決めていたりするもので、そこが誰かに占領されていたりすると、稀にむしゃくしゃして周囲の人に当たり出す人も出ることが有るからだ。


 まぁ、どっちかというと縄張りを荒らされたガキ大将の気分なんだろうねぇ。

 口述試験は午後一時からなので、まだほぼ一時間はあるようです。


 仕方がないので最寄りの図書館に行ってみることにしました。

 未だ学生ではないので借りることはできないだろうけれど閲覧だけなら許されるかもしれないからです。


 先ほど散歩している間に図書館の位置だけは確認していたのです。

 入館も拒否されると困るのだが、入り口付近の司書と思しき女性は、宏禎王が入って行ってもちらっと確認しただけで何も言わなかった。


 宏禎王は、棚毎の分類を確かめ、物理学分野の書籍を探すことにした。

 思ったよりも書籍数は多いのだが、立派な装丁のモノが多く、力学や熱力学に関する古いものが多いようだ。


 物理学は古くて新しい科学だから、むしろ新しい本ほど進んでいる筈なのだがそうした書籍は余り見当たらなかった。

 特に量子力学や放射線に関する分野の書籍は少ないように思われた。


 別に日本にそうした書籍があるわけではない。

 もしかすると先進の米国ならばあるかもと思っていただけなのだ。


 書籍については見当たらずとも各種論文を整理している棚もあったので、見出しを見ながら興味がわきそうな論文がないかを探してみた。

 しかしながらよく考えてみると電磁気学などはともかく量子力学に関する理論展開は極最近になって始まったばかりと気づき、関連する書籍が少ないはずだと改めて思い直した。


 放射能と放射線に関する一考察という10枚ほどの論文を目にしてそれを手に取って読んでいると、背後から不意に声を掛けられた。


「あんた、誰?

 見かけない子よね?」


 振り返ると金髪美人がそこにいた。

 身長は178センチの宏禎王よりも僅かに低いくらいだから175センチ近く有るだろう。


 ポニーテールにまとめた髪型は額を露わにし、引き締まった顔に見せる効果がある。

 デニムのスカートに燃えるような赤の毛糸のセーターで装った姿は彼女によく似合っている。


「ん?

 私は、Hiroyoshi Fujinoと言いますが、何かご用でしょうか?」


「いや、特段、用というわけじゃないけれど・・・・。

 その論文、午後から借りるつもりだったのだけれど、あんたが使う?」


「あ、それは失礼、気になって読んでいただけです。

 貴女が使うならお渡ししますよ。」


「ん、じゃあ、お言葉に甘えるわね。

 頂戴。」


 宏禎王が論文を手渡すとにっこり笑って彼女が言った。


「ありがとう。

 私は、ケイトリン・スゥエドナー、物理学部の三回生よ。

 物性物理学を専攻しているのだけれど、貴方も物理学部なの?」


「いいえ、まだ。

 希望はしてますけれど、そうなればいいですね。」


「ん?

 どういう・・・。

 あれ?

 ひょっとして、新聞に出ていた日本の・・・。」


 彼女はいきなりその場で青くなって震え出した。


「あ、多分、あなたの考えている人物で当たっていますが、別に私は神聖な生き物でも何でもなく、ごく普通の人間ですから、普通におつきあいしていただけるととてもありがたいのですが・・・。」


「だって、・・・。

 だって、プリンスなのでしょう?

 普通に接するなんてできるわけないじゃない。」


「いいえ、少なくともそうと気づくまでの貴方はごく普通に接していたでしょう?

 そこまで戻してくださればよいのです。

 貴方も私も生物学的には人間です。

 男女の違いや生まれた国は違いますけれど、今は同じ言葉で話しているでしょう。

 貴方はお相手が金持ちか貧乏かで付き合う態度を変えますか?

 それとも肌の色で差別をされますか?

 もしそういう方なら私もおつきあいは避けたいですけれどね。」


 彼女はちょっと唖然とし、やがてふっと笑顔を見せた。


「そうね。

 貴方が特別な人であっても、それを気にしてこちらが態度を変えたなら差別と同じだよね。

 まぁ、礼儀は礼儀として、貴方が普通に接することを許してくれるなら、お友達になりましょう。

 私のことはケイトって呼んでね。」


 そう言って彼女は右手を差し出した。

 宏禎王は同じく微笑みながら握手をして、言った。


「私のことはヒロと呼んでください。

 貴方は米国でできた初めての友達です。」


「あら、それはとても光栄ね。

 で、ヒロは、今日は試験なのかな?

 調子はどうなの?」


「一つ目の答えはイエス。

 二つ目は、うーん、多分大丈夫かな?」


「あ、疑問形なんだ?

 それは、危ういなぁ。

 でも、自信をもって対処しなくっちゃ、午後からも試験なんでしょう?

 自信をもって回答しないと口述で減点されちゃいますよ。」


「ウン、その通りですね。

 まぁ、採点は先生方に任せて私はこれまで培った知識を披露するだけです。」


「ウン、それでいいと思うよ。

 だって、ヒロって、まだ、17歳なんでしょう?

 それなのにこの論文に興味を持つなんて・・・。

 凄いよ。

 最新の知識で詰まった先輩の論文なんだけれど、まだ私はよく理解できていなくて、今ちょっとスランプ中なの。」


「ふーん、この論文の所為でケイトが詰まっているとしたなら、何だろう?

 もしかして放射線の種類かな?

 放射線には三つのパターンがあると考えていた方がいいですよ。

 原子物理学に関連するのだけれど、原子は陽子、中性子、電子から構成されている。

 で、ある条件で原子核は崩壊する、その際に中性子、陽子、電子が飛び出すことになるのだけれど、それが放射線の正体でもある。

 だから放射線は三つの特性を帯びる。

 それを観察するにはどうしたらいいかを考えるといろいろわかることも多いと思うよ。

 そのほかにも電磁機器から発生される放射線も少なくとも二種類あるから、それらを区別して考えることができれば、更に理解が深まると思う。

 原子物理学、電磁気学も併せて研究するといいかもね。

 あ、そろそろ時間だから、試験会場に行かないといけない。

 ケイト、機会があったらまた会いましょう。」


「あ、・・・。

 ありがとう、そしてまた会いましょうね。」


 ケイトの頭の中ではヒロが今言った言葉がぐるぐると渦巻いていた。

 放射線が三つ?

 何それ・・・?

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