ポメラニアンには運転させない
「杜若さん、こっちです」
通用口に停めて置いてとお願いしたにも関わらず邪魔にならないよう少し離れたところに停めるのが正丸くんらしいと言えばらしいのだが、今はそんなことを言っている暇はないのだ。
私は車に駆け寄り、『私が運転するよ』と伝え、ワンテンポ遅れの正丸くんの手を引いた。
「いや、悪いですよ。僕、後輩なんで運転します」
状況が理解できていない彼は謎の後輩理論を主張し、ハンドルを譲らない。
『私、定時過ぎているの。交替して』
この会社の正社員は派遣社員の定時に敏感だ。私にそう言われてしまったら替わらざるを得ないことを知っていてわざと嫌な言い方をする。
果たして私のこの言い方は悪くないと言えるのだろうか。
明確な意図はあるが、伝わっていない時点で彼にとっては意地悪であり、悪意を感じるだろう。自分の主張によって悩むことがあるとは思わなかったが、今は背に腹は代えられない状況だと言い聞かせる。
運転席を確保し、足の長い正丸くんが座りやすいようにセットされている運転席を、足が短いとまでは言わないが標準の長さ程度しかない私サイズに合わせなおす。
ルームミラーの位置をさほど直さなくていいことに自分の座高を疑った。
私はシュッと音が鳴る速さでシートベルトを装着すると、彼はおずおずと助手席に座り、ゆっくりベルトを着ける。
彼が一言目を発する時には、既に車は商店街へ動き始めていた。
「すみません、運転までしていただいて…」
『大丈夫です、私の家もこっちの方向なので。早速ですが、駄菓子屋の斎藤さんに電話をしていただけますか』
「えっ…、でも既にアポ取り済ですよ」
『約束は十九時からの満福祭りの会議後ですよね、今はまだ十八時少し過ぎたところ。急げば半には商店街に到着します。多分ですが、斎藤さんは会議の為に会場に既にいらっしゃると思われます。会議前にパンフレットを確認してもらい、会議参加者が十分前に到着するのであれば、その時に参加店に配布する方が効果的です。もし、断られたとしても、斎藤さんとは既に会議後のアポは取れているため、問題ありませんよね』
「確かに…そうですね」
『参加店のリストは持っていますか。もし電話で会議前に参加させて頂けるような話に纏まれば、今日の会議に欠席される店を聞いておいて下さい。私が、そのお店に出向いてパンフレットをお渡ししておきます。明日出社後、フォローの電話を入れておいてください』
「わかりました、やってみます」
彼はポケットから営業用携帯電話を取り出し、電話をかける。
ハンドルを握る手に、夕日に照らされた腕時計が光る。大丈夫、道も混んでいない。
助手席に座る彼は、電話だから姿は見えないというのに、ありがとうございますと連呼し頭を下げている。
膝の上に置いた紙に印刷されたリストに書き込みをしているため、おおよそうまく話が纏まったのであろう。
信号待ちの時、ルームミラーを通して様子を伺うと、私の視線に気が付いたのかオッケーと言わんばかりのにんまり笑顔を浮かべてきた。
多分、彼の前世はポメラニアンかもしれない。思わず、耳としっぽが見えてしまった。
この近辺で一番大きな十字路を越え、商店街近くの駐車場に停車する。
時計は三十分より少し前を指していた。