残業と定時と床
総務部のマグカップを運んだ時と同じように給湯室に入ると、さっきはいなかった先客がいた。
「お疲れ様です」
『あっ…。お疲れ様です』
自分のマグカップをスポンジで洗う、正丸大将に出会ってしまった。
『えっと、私やりますよ』
今、フロア内で話題の人と一緒にいるのは、少し気まずさを感じるためマグカップ洗いを引き受ける。
「いや、大丈夫ですよ。そのお盆のも貸してください。重たいですよね、いつもありがとうございます。杜若さん、もう定時ですよね。やっておきますよ」
正丸くんは、ふにゃっと笑い、私からお盆を受け取った。
『いやいや、悪いですよ。私の仕事ですし。正丸くんだって、あと三十分で定時でしょ』
彼の手からスポンジを受け取ると、少し気まずそうな顔をした。
「いやぁ…。まだ帰れないので残業用の休憩中なんですよ」
『あっ…。そうなんだ。だったら尚更しっかり休まなきゃ』
正丸くんは大きく息を吸い、小さく細く吐き出した。全ての空気を吐き切った時、壁に掛けられた長針がカチッと動く音がした。
「僕って、この仕事向いてないんですかね」
突然の重たい質問に、対して驚きはなかった。
『どうしてそう思うの』
「なんていったらいいのかわからないんですけど…。言葉がうまく伝わらないんですよね」
その言葉を皮切りに、さっきスピ子が騒いでいた内容のこと、今までのこと、自分のことなど、途切れ途切れではあるが振り絞るように教えてくれた。
『要するに、一週間前に事務の子に頼んでいたはずの配布用パンフレットがそのまま残っていて確認したら、逆切れされ泣かれ、更衣室から出てこなくなったため、今から自分で配りにいかないといけないというのと、営業成績が芳しくないため一緒にセールスもしてこいと言われたということね』
俯いたまま頷き、しっかり顔が見えるようにかきあげていた前髪がぱさっと目にかかっている。
『自分はしっかりその子に頼んだつもりだけど伝わっていなかったことと、こんな状況で営業しろと言われてもお客さんの気持ちを考えたら憂鬱になってやっていけないと感じたってところかな』
「そうなんですよ、だからコップでも洗っていたら気分も晴れるかなって」
はははと乾いた笑いは給湯室の床にそのまま落ちていった。